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たまんちゅ!#26【倉地ゆいの再興】「ファインプレー」

 空港のロビーから車に戻った私は、少し迷ってからエンジンをかけ、元来た道とは反対の方向にハンドルを切った。
 家に帰って書きかけの書類をまとめなければいけない、という真面目な思考がほんの少しだけ浮かんだものの、振り切るようにアクセルを踏む。ここでもう一度頭を仕事モードに切り替えられるほど私は器用じゃないし、まして真面目な人間でもないのだ。

「どこでもいいや。徒然なるままに~」

 まずはゆいレールの高架に沿って、あてもなく走っていく。目的地なんてないから、ナビに入力する内容も思いつかない。

「おっ、きたきた」

 そうこうしているうちに、右手に海が見えてきた。波打ち際を散歩したくなった私は、少しでも近付ける場所を探すために国道を離れて下道に入る。それから程なくして、開けた駐車場が見えてきた。何の施設かを確認したところで、私の興味は海からそっちへと移った。

「多目的広場……こんなところにもあるんだ」

 そこは、左右を海に囲まれた砂地の広場だった。サッカーコート大の広さがあり、その一角には年季の入ったバックネットが海風を受けながら立っている。これ幸いとばかりに、私は誰もいないベンチにひとり腰かけた。仰ぎ見た空は曇り空。青空を希望したいところだけど、悩める今の私にはお似合いということかもしれない。
 真琴ちゃんとまもりちゃん。即戦力と呼ぶに相応しい実力者2人に会って私が最初に感じたことは、期待よりも負い目だったのかもしれない。この春から指導者を務める身でありながら、私自身の姿勢が固まっていないという体たらくだ。
 あらためて、私は藍花ちゃんのやり方が間違っていると断言することはできない。有力な選手を県外から獲得することは、男子の高校野球では積極的に行われている。その結果プロへと繋がる道筋が整えられ、野球界全体のレベルアップに繋がっていることは否定できないし、否定されるべきでもないと思う。

(でもなぁ……)

 まだこれから。始まったばかりと言ってもいい女子の高校野球の世界は、どこを目指せばいいのだろうか。男子の後追いでいいのか、それとも全く別の形を模索すべきなのか。小さい頃からずっと野球をしてきたけれど、いくら考えても答えはまるで出てこない。車の免許を取るのにもずいぶんと苦労したこの頭には、いささか負担が重すぎる。

「あ~、困った困った困った~」

 思ったことをそのまま声に出してみる。誰もいないから大丈夫、と思ったのも束の間、広場の入口に何人かの人がいるのが見えたので、私はベンチを離れてそそくさとフェンスの外に出た。そのままグラウンドに沿って歩いていくと、ちょうどいいところに赤レンガの東屋が見つかった。目と鼻の先に海が見えるので、あれこれと考え事をするにはうってつけだ。

(初回からランナー背負ってる感じだよね、今って)

 着任早々、私とは別に監督の藍花がいることを知った。そんな彼女とはなかなか意見が噛み合わない。それでも私は、逃げるわけにはいかなかった。大好きな野球のため。野球が好きな女の子のため。自分一人のためじゃないって思うだけで、私はいくらでも頑張れる。

「さて……やりますか!」

 結局のところ、私は野球が絡むと不真面目になりきれないのだ。今の時代は良くも悪くもスマホひとつあれば作業ができてしまう。私はメモ帳のアプリを起動して、同期させてあった書類の続きを考えることにした。



「……ん?」

 最初に気付いたのは、何か硬いものがぶつかったような音だった。私はその音に聞き覚えがあるような気がして、スマホから顔を上げて周囲を見渡す。私にしては結構集中していたみたいで、暮れかけの西日が東屋の中に射していた。

(グラウンドのほう、かな?)

 立ち上がってフェンスに近付く。バックネットの近くに、3人の女の子らしき子たちが立っている。その手にグラブやバットが握られていることに気付いて、私がさっき聞いたのは硬球がバックネットにぶつかった音だと気付いた。

「金属バット……硬球ってことはシニアかボーイズ? それとも……」

 ここからだと距離があるけれど、それでも女子だということは間違いなさそうだ。ユニフォームではなく私服なところを見ると、練習というよりは戯れ程度のものだろうか。

(ん……?)

 バットを構えている子に、私は見覚えがあるような気がした。あれだけ長身でモデルのような体形の女の子なんて、そうそうお目に掛かるはずが……

「あっ!」

 ピッチャーが投球動作に入り、迎え撃つ打者が集中力を高めた瞬間、打席に立っているのが真琴ちゃんだということに気付いた。ピッチングの動画と一緒に送られてきた打撃動画で見たフォームが、一瞬で頭の中に蘇る。
 空港で出会った時は上着やジャケットを着ていたからすぐには気付けなかったけど、ベンチで見守っているのはまもりちゃんだろう。でも、そうすると……ピッチャーのあの子は誰だろう。

「お、いい球」

 投じられたボールを見るなり、この勝負が戯れではなかったのだとわかる。力のこもったスピードボールは、外角いっぱいのストライクだ。打席の真琴ちゃんは手が出なかったのか、それとも狙ったコースではなかったのか。
 その時ふと、私は奇妙な幻を見た。フェンス越しに見ている2人の勝負の行く末を、満員の観客が見守っている光景だ。鳴り止まぬ手拍子、絶えることのない大歓声。これは、いったい――

 私の目を覚ますかのように、澄んだ金属音が夕暮れの広場に響き渡る。硬球を真芯で捉えた時に鳴る、あの心地良い音。高々と舞い上がったボールは、段々と私のほうに距離を詰めてくる。

「これは……デカい!」

 フェンスを越えて、私のもとへやってくる。そう理解した直後、私は自分が今いる場所が海に面していることなど忘れて、落下点に向けて走り出していた。

「センター倉地、下がる! 下がる! 追いつけるかー!?」

 今は指導者でも、心はいつだってグラウンドに立つ野球少女だ。血が騒いだ私はセルフ実況を添えながら、目を逸らさずに打球を追っていく。

「ジャンプ一番! ダイビングキャーッチ!!」

 飛び込めば捕れると判断した瞬間、私の足は地面を蹴っていた。伸ばした右手のひらに、火の玉を掴んだかのような熱と衝撃。硬球を素手でキャッチした感覚に喜んでいた私は、この時点で着地のことをまるで考えていなかった。
 が、その必要はなかった。

「うぶ@△◆¥%~っ!?」

 着地ではなく、着水。どうやら私はグラウンドに面していた海にダイビングしてしまったのだ。ボコボコと泡が立つ音で耳がいっぱいになり、鼻や口に海水特有の香りがまとわりついてくる。

「ぷはぁっ!」

 海面に出て、息を思いっきり吸い込む。幸い、陸に上がれるスロープのような場所をすぐに見つけたので、そちらに向かって泳いでいく。
 地に足が付いて、全身ずぶ濡れになった自分の姿をつま先から見渡していく。スマホを東屋のベンチに置いてきたのは不幸中の幸いだった。そんなことを思いながら、私は右手に掴んだままの硬球を目線の高さに掲げ、しばらくじっと見つめた。
 何の変哲もない、野球のボール。それが何故だか今の私には、とても大切なものに見えて仕方がなかった。


つづく

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