たまんちゅ!#14【波平琉海の漂流】「碧い海」
胸いっぱいに空気を吸い込んで、碧い世界に溶け込んでいく。
三月の海はまだ冷たいけど、透明度が高くてあたしは好きだ。ウェットスーツ越しにひんやりとした心地良さを感じながら、キラキラと光を反射する稚魚の群れをかき分けるように進む。カクレクマノミの鮮やかなオレンジ、ナンヨウハギの深い青、名前の割に牛乳みたいな白さのキイロウミウシ。
色とりどりの生き物が暮らしているこの光景は、芸術に疎いあたしにとっては世界中のどんな絵画よりも素敵な作品だ。子どもの頃からずっとここにある、変わらない宝物。
そんな水中に身を置いてるっていうのに、あたしの心は晴れない。

「ぷはっ……!」
一旦水面に出て、肺に酸素を送り込む。そのままゆっくりと、湯船に沈むかのように頭まですっぽりと海に浸かった。
明日は、美波島高校の合格発表の日だ。あたしとありあと羊の3人で同じ高校を受験した。模試の判定では問題ないって担任の先生に言われたけど、それでもあたしは今日の今日まで、クレープの生地みたいに薄く引き伸ばした不安が拭えなかった。昔からずっと一緒だった3人で話し合って志望校を揃えたっていうのに、誰かひとりが落ちるなんてことになったら目も当てられない。そして、その可能性が一番高いのはあたしだ。同じプレッシャーを受けるなら、1点差の最終回で二死満塁、一打サヨナラの大ピンチな場面でイージーなショートフライが上がるほうが100倍マシ。あたしは絶対に、それを掴み捕る自信があるから。
(……どーすんのさ)
中学3年最後の夏が終わってから、勉強に集中できない日々が続いてた。なんて言い方をしたら言い訳のように聞こえるかもしれないけど、あたしにとっては割と事実で、目を逸らすことのできない問題だった。
野球というスポーツを通じて、あたしとありあと羊は強く結ばれてきた。まだ小さい頃にありあと繋いだ手でバットを握り、ボールを掴んで絆を深め合ってきたんだ。なのに、これまでずっと先頭に立ってあたしと羊を引っ張り続けてきたありあが、この半年間は中途半端で宙ぶらりんなまま、別人のようにぼんやりとしている。最後の夏に勝てなくて、悔しかったのはわかるけど。
(なんなの、ほんとに……。落ち込んでるのとは、違う感じで……ずっと、うわの空っていうか……。悩んでるなら、もっとあたしたちに、さぁ……)
人の人生を生きてるわけじゃないんだから、この先どうするのかを決めるのは自分だって理屈ではわかってるつもりだ。でも、些細なことで喧嘩をしては仲直り、を幾度となく繰り返してきた間柄の友達が悩んでいる様子を、ここにきて指をくわえて見ていることしかできない自分に腹が立つ。
こんな気分になった時、あたしは決まって海に潜る。身体がふわっと軽くなって、泡の弾ける音を合図に別の世界に切り替わったような心地になれるからだ。大小を問わず悩み事があると海に来るのは子どもの頃からの習慣で、つまるところあたしは悩んでばかりの人生を送っていた。
これまでを振り返ってそんな結論が出る度に、あたしは強く思うことがある。いつになったら、大人になれるんだろう。大人になっても悩みは尽きないのかもしれないけれど、少なくとも今抱えているような問題は自分で解決できるようになるに違いない。子どもにはどうしようもできないことがあまりにも多すぎる。だから、早く大人になりたい。
眼前に広がるカラフルな世界が少しだけ眩しくて、あたしは目を閉じた。しばらくそうしていると、幼い日の記憶が蘇ってくる――
東京生まれ東京育ち。それが、あたしの両親の生い立ちだ。
高校の頃に水泳部でなかなかの結果を残していた父さんと、同じく高校の陸上部で結構な記録を出していたお母さんが社会人になってすぐに出会い、マリンスポーツという共通の趣味が発覚したことで一気に距離が縮まったらしい。結婚後、お金を貯めた後に一念発起して沖縄へ移住。念願だったスキューバダイビングのお店を開いた。
共働きだった頃に比べて収入は当たり前のように減っちゃったみたいだけど、それでも2人は幸せだったとよく聞かされてきた。で、そんな頃に生まれたのがあたし。
あたしが小さい頃はまだお客さんも少なくて、お店の仕事も忙しくなかったから、お父さんとお母さんは暇さえあればあたしを海に連れて行ってくれた。近所の公園や友達の家にいる時間よりも、浅瀬で泳ぎを教わる時間のほうがずっと長かった。
自分で言っちゃうけどアスリートの両親から生まれたあたしは運動神経バツグンで、あっという間に泳ぎ方を体得していった。「将来はオリンピック選手だな!」と、お父さんが日焼けした顔で喜んでたのは記憶してる。その頃から少しずつ、物心が付き始めていたから。
だから、ちゃんと覚えてる。あたしとありあが、初めて会った日の事も。
つづく
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