西川貴教さんの『THE FIRST TAKE』口パク説は本当なのか? 音響的な視点で「ポップガード問題」を整理してみた
2026年7月に、T.M.Revolutionこと西川貴教さん(55歳?!)が「THE FIRST TAKE」に出演した動画が公開されました。
あの「HOT LIMIT」を鍛え上げた肉体に「あの衣装」を纏って、今なお衰えない声量で歌い上げる姿はインパクト抜群で、コメント欄は「これ以上夏を刺激しないでくれ」「全盛期より全盛期」「見たら悩み吹っ飛んだ」といった絶賛の声であふれており、公開からわずか数日で1000万再生を突破しています。
そんな称賛ムードの中に飛び込んできたのが、とあるシンガーソングライターの方のXへの投稿です。
「ポップガードに口が追突してんのに衝突音がない」という主張
日之内エミさんは西川貴教さんの動画について次のような内容を投稿しました。
口パクがバレすぎな件 こいつ歌なんか歌えないもんw
— 日之内エミ EmiHinouchi (@hinouchiemi) July 12, 2026
こんなにポップガードに口が追突してんのにさ、その衝突音が入ってないけどぉ、別に素人にはバレんだろという人を基本的に見下してる感性がキモいんだよ。
イタイイタイイタイイタイ pic.twitter.com/mE4HxCPVdB
「唇がマイク前のポップガードに激しくぶつかっているのに、その音が録音に入っていない。だから口パクだ」という主張です。
日之内さんも、R&Bやヒップホップをベースとした楽曲で知られ、m-floとのコラボで当時のR&Bシーンを代表する存在として知られた実力派アーティストだけに、物議を起こしています。
ただ音楽制作や音響の現場に詳しい方々の反応は「それは違う」という内容でほぼ一致していますし、2026年7月時点でコミュニティノートも付いています。
実際にボーカルの録音・編集をした経験がある人であれば、西川貴教さんの歌が口パクとは言えないことは分かると思います。
なぜそう言えるのか、順番に整理してみたいと思います。
そもそもポップガードって何をするもの?
ポップガードとは、「p」や「b」などの破裂音を発音したときにマイクへ直撃する空気の吹き出し(ポップノイズ)を防ぐためのフィルターです。
素材はナイロンメッシュや金属メッシュで、マイクとボーカリストの間に設置して使います。
今回の西川貴教さんの録音で使われているのは金属メッシュ製ですが、ポップガードはポップノイズの原因となる空気の衝撃を拡散・弱めるための器具なので、唇が触れたりポップガードがショックマウント(マイクを固定している器具)に接触したりしても、発生する音自体は通常はそれほど大きくありません。
一方、西川さんは「声量おばけ」とも言われることがあるほど声を大きく張り上げて歌うスタイルで有名で、至近距離で歌う声は80〜100dB以上に達すると思われます。
100dBというとライブハウスの前のほうでロックバンドの演奏を聴いてくらいの音量なので、ポップガードの接触音は西川さんの圧倒的な声量でマスクされてしまっている可能性があります。
※ちなみに西川貴教さんの声量について個人的には以下の方のXの投稿が好きでした。
西川貴教は声量がデカ過ぎてU87Ai(127dB SPL)では音が割れてしまうので、あれはダミーのマイクで、収録用は10m先にあります。
— Nem (@Nem_P) July 13, 2026
マカロニえんぴつ「hope」でも接触音は入っていない
マカロニえんぴつの「hope」という楽曲のパフォーマンス動画でも、ボーカルのはっとりさんが熱唱中にポップガードに接触し、外れたまま最後まで歌いきるというハプニングがありました。
その熱量あふれるパフォーマンスはファンの間で「伝説の神回」として語り継がれています(4分30秒あたり)。
しかし、この動画でも勢い良くポップガードに接触しているにもかかわらず、動画内では「接触音」は聴き取ることができません。
ちなみに「マカロニえんぴつ」さんの動画について「ポップガードを破壊した」と言われることがありますが実際には壊れたわけではありません。
ここで使用されている「Aspen Pittman Designs」のポップガードはマグネットで簡単に着脱できる仕様になっています。
アームとフィルター部分を簡単に分解してコンパクトに持ち運べますし、セッティングも簡単なので、私もAspen Pittman Designsのポップガードはよく使っています。
マイクの指向性、ショックマウント、マスキング効果
話を西川貴教さんの動画に戻すと、ポップガードの接触音が聞こえない理由は他にも考えられます。
THE FIRST TAKEでよく使われるコンデンサーマイクは単一指向性、つまりマイク正面からの音を最も効率よく拾い、横や後ろからの音は大きく減衰させる設計になっています。
また、マイクはショックマウント(マイクをスタンドから振動的に分離するサスペンション)が付いているため、ポップガードの振動音はマイクには拾われれにくい傾向があります。
さらに「聴覚マスキング」の問題もあります。
大きな音が鳴っている最中は、それより小さな音は人間の耳には聞こえにくくなくなります。
大きな歌声が乗っている間の微細な接触音は、録音波形に存在していたとしても実際には聞き取りにくくなってしまうわけです。
THE FIRST TAKEは「無編集」ではない
THE FIRST TAKEは「一発録り」というコンセプトではありますが、実際には「追加録音やリテイクをしない」ということであって、ポストプロダクション(録音後の音声処理)が行われています。
仮に録音中にポップガードへの接触音が入ったとしても、iZotope RXのようなノイズ除去ツールを使えばクリックノイズや擦過音の除去は細かいレベルで対処できることがありますし、ノイズ種類や位置によっては波形を直接切り取ってクロスフェード
を用いて前後を貼り付けるといった方法で対応できることもあります。
作曲家の「こおろぎ」さんがドライヤーの音をノイズ除去ツールで処理する動画を公開されていますが、これを見るとノイズ除去ツールの威力をイメージしやすいと思います。
Waves Clarity VxとiZotope Voice De-noiseをドライヤーで試した版です。両方ともパラメーターMAX。 pic.twitter.com/qiMaRj3mZn
— こおろぎ 🦗 (@Kohrogi34) March 8, 2022
もちろん、ドライヤーの音とポップガードへの接触音は種類が異なるため同じ方法で処理できる訳ではありませんが、ドライヤーのような「連続的な広帯域ノイズ」よりも、ポップガード接触音のような「一時的に発生する特定の周波数の音」のほうが対応手段の選択肢が多いため、処理が簡単なケースも多いと思います。
ポップガードの接触音がなかったとしても、ボーカリストの衣装による「衣擦れ音」がマイクに入ってしまって処理が必要になることもあります。
(今回の「HOT LIMIT」の衣装に関しては「衣擦れ音」は出なさそうですが……)
プロのレコーディングでは演奏者やボーカリストがいる録音ブースと、エンジニアが作業するコントロールルームは基本的に分離されていますが、宅録や小規模なスタジオではエンジニア役がマイクと同じ部屋にいたり、見学者が同席していたり、ノイズを発する機材が設置されていたりすることもあるため様々なノイズが混入することがあります。
さらにリハスタ(練習用のスタジオ)で録音したりすると隣のブースで練習しているバンドのベースやドラムの低音が漏れてきて録音に混入してしまうこともあります。
録音中には見学者が貧乏揺すりをしたり、物を落としたり、お菓子の袋を「バリッ」と開けてしまったりと予期せぬノイズが発生することもありますが、そのたびにブチギレして録音を中断していたら作業が進みません。
そのため、涙を流しながら録音後の編集工程で不要なノイズを地道に除去するということは、プロだけでなく宅録や小規模なレコーディング環境でも日常的に行われている作業だったりもします。
「衝突音がない=口パク」という論理は成立しない
ここまで整理してきた要素をまとめると接触音が聞こえない理由は、
・そもそもポップガードの接触音自体があまり大きくない
・西川さんの圧倒的な声量でマスクされた
・マイクのショックマウントなどで振動も拾われにくかった
・ポストプロダクションで除去された
といった要素により合理的に説明することができます。
これらの可能性をひとつずつ排除しない限り「口パク」という結論には辿り着けません。
「歌い方」のスタイルの違い?
音楽の現場を知っているはずの日之内さんが、なぜこのような投稿をしたのでしょうか。
「X(旧Twitter)でのインプレッション稼ぎでは?」という見方もあるようですが、日之内さんはウィスパーボイスをはじめとする繊細な発声を得意とするプロのシンガーです。
圧倒的な声量で押し切るタイプではないからこそ、普段から衣擦れの音やリップノイズ、わずかな接触音などにも細心の注意を払っているのかもしれません。
一方、西川貴教さんは圧倒的な声量とエネルギッシュなパフォーマンスで歌い切るスタイルです。
そのため小さな環境音や接触音は相対的に目立ちにくく、むしろポップガードに勢いよくぶつかるほどの迫力があるからこそ、ライブ感や臨場感が生まれ多くのファンをワクワクさせています。
日之内さんは自身の録音経験や歌唱スタイルをベースにして「接触音が入っていないのは不自然だ」と捉えた可能性があるように思われます。
しかし、両者の前提となる歌唱スタイルやレコーディング環境の違いが考慮されていなかったため、今回の投稿に対して多くの疑問や反論が寄せられる結果になったのかも知れません。
批判的な投稿が成された中、当の西川貴教さんの動画はTHE FIRST TAKE史上でも類を見ない速度で1000万再生を突破しました。
日之内さんのコメントが話題になったことで「あの西川貴教さんが口パクをするはずがないのでは?」と気になって動画を確認した方も相当数いたと思いますし、結果的に西川貴教さんを批判するような内容の日之内さんの投稿が、逆に動画への注目を爆発的に高める「呼び水」になったというのも興味深い結末だと思います。
まとめ
日之内さんの投稿は「映像と音声の整合性を疑う」という視点に基づいていたのかもしれませんが、「ポップガードへの接触音が聞こえないから口パクである」という主張は論理の飛躍があり、根拠としては不十分だったと言わざるを得ないと思います。
本当に口パクを検証したいのであれば、音声をスペクトルで解析したり、唇の動き(口唇運動)と音声波形の同期分析など、より専門的で踏み込んだアプローチが必要です。
とはいえ、何よりも西川貴教さんの圧倒的なパフォーマンスそのものが、あらゆる懐疑的な目を軽々と跳ね返すほどの説得力を放っていたと思います。
驚異的な再生回数の伸びや、数多くの好意的なコメントを見れば西川貴教さんがアーティストとして規格外の魅力と実力を持っていることは明白であり、今回の騒動によって改めて西川貴教さんのブレない姿勢や人間的な魅力の深さを多くの人々が改めて実感する結果となったのではないかと思います。
