映像には映らない、薔薇の香りの果物ポマロッサ
あなたは2010年、どんな生活をしていましたか?
私は出勤中には、単行本を読み、
友人とガラケーで連絡を取り、
家ではVHSで録画したドラマをたまに見る。
家にいることなんてほとんどなく、毎日、誰かと会っていた気がします。
この時代は、段々と人々がパソコンやスマホで動画を見始め、世界が『画面の中』に収まり始めた頃。
この5年後に、私はペルージャングルにやってきている。
2015年の私は、スマホはもちろん、カメラなどの電子器具を一切持っていなかった。
だから、撮影なんて考えずに、気楽にジャングルの村を転々していた。
あの日、この果物は、地面に落ちていた。
果物の熟れている匂いと、ほぼ腐りかけている臭い。
そして、まだ木々にぶら下がっている果物が放つ、バラの香り。
風が全く動かない、だるい暑さの昼下がりに、すべての匂いが混ざり合って香ってきた。
私はこの道を通った時に、一体何のニオイなんだ?と脳内が迷子になった。
村の中の道には、日陰がない。
カスカスの声で鶏が鳴いているだけで、風の音もない。
風の音というより、空気の音がない。と言ってもいいかもしれない。
村人に勧められて食したこの果物は、爽やかではあるのに、たっぷりの糖分が含まれていて、暑さで疲れている私を癒す。
そして、鼻に抜けるバラの香りのインパクトがいつまでも残る。
何か口にしてはいけない、神秘的な果物を食べてしまったのではないかと感じさせる。
そして、これを最後に、その後、食べられる機会はなかった。
2026年に再度南米へ戻ってきた今回。
偶然、街中でこの木を発見した。
やはりこのときも「匂い」がきっかけだった。
道に落ちているこの果物はすべて、腐敗していた。
この木の持ち主に売ってくれないかと聞いてみようか、と考えながら、スマホを用意し始めた。
木、果物の映えを気にしながらカメラを構えた。
電線が入ると、「ジャングル感」が台無しだ。
近代的な置き物も近くにない方がいい。
画面の中の「映え」ばかりを気にしていた。
その後、たまたま通りすがった市場で、女の子がこの果物をカゴいっぱいにして売っていた。
私は興奮して、即座に購入した。
それらは、どこかしら虫に喰われていたり、黒ずんでいたり、傷があった。
しかし、味には変わりないだろう。
彼女にまた明日も買いに来る。と約束し、その場を去った。
戻ったホテルの洗面台で念入りに洗い、映えるようにみずみずしく演出し、撮影した。
そして、あの記憶への期待と共に口に入れた。
「まずい。」
パサパサで、甘さもないし、香りも感じない。
いや、きっと、今食べたのが悪かったんだ。
別の個体を取り、口に入れる。
もう一度、しっかりまずい。
購入した6個すべてを齧ったが、美味しいと思える個体は一つもなかった。
そう感じられなかった要因はいろいろとあるだろう。
収穫してから時間が経過していた。
または、まだ未熟な果実だった。
など。
しかし、一番の原因は、きっと私にある。
私は、あの時の空気全体が美味しいと感じていたんだと思う。
画面に切り取り、「綺麗に演出されたジャングル」を追い求めすぎて、あの頃の、身軽で何も考えずに五感で掴み取っていた「本物」が、私の中でおざなりになっている。
そう感じる時がある。
「2015年のあの時に、すでに映像に残せていれば、今頃もっとこのジャングルを多くの人に拡散できていたのではないか」
発信をする身になった今、そんな後悔が頭をよぎることも、正直ある。
しかし、すぐに思い直す。あの時、カメラを持っていなくて、本当によかったのだ、と。
もしあの頃から画面越しに世界を見ていたら、私は「映え」というノイズに邪魔されて、あの空気の重さも、脳がパニックになるような香りを嗅ぐことも、何ひとつ受け取れていなかったかもしれない。
あの不便で、身軽で、純粋だった時間があったからこそ、私は私の中で感じる「本物」を知ることができた。
映像に残し、届けるために、私はカメラを構える今。
しかし、きっと私が届けたい、ジャングルの中で一番重要なものは、画面には映らないのだろうと思っている。
