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時空を超えたメッセージ


「幸せな人生でしたか?」

死に際に聞かれたら、

「はい。 最高に幸せな人生でした」


と答える。


そう決めていた。


今までに経験してきた
様々な困難によって、
そこそこの悟りは開いたつもりだった。


少なくとも、
今を幸せに感じて生きる事の価値に
気がつく
くらいには
十分な経験を積んだ自負が有る。


そして、
この先に起こるであろう
更なる困難も
いずれは
乗り越えて行ける、
と知っていた。


でも、
どうしても超える事の出来ない困難が
1つだけ有る。


それは、
先立った息子との別れ


なぜなら、
この困難を越えてしまうと
彼の存在自体を否定してしまう
と考えていたからだ。


つまり、


「はい。 最高に幸せな人生でした」

と答えてしまうと、

「彼の死を幸せな事だった」

と言っていることと同じになってしまうのではないか?


そんな疑問が頭をよぎる。


親や伴侶に先立たれる
のも
悲しい事だろう。

でも、
それは生き物の順番上の問題だろうし
時間と共に
悲しみが癒えて行くことも想像が出来た。

しかし、
自分の子供に先立たれる事。

その、
有ってはならない理不尽さへの怒り。

乗り越えようとすればするほど
その疑問は大きくなっていったのである。

それは、
私にとって、
人生で経験してきたあらゆる困難とは
明らかに違うレベルのものだった。


そして、
世の中に救いを求める事も
容易では無かった

例えば、
どんなに優秀なカウンセラーに相談してみても、
子供を喪った経験の無い人からのアドバイスでは
心の奥までは届く気がしなかった。

子供を喪った経験が無い友人に相談しても、
相談された側の
友人を困らせてしまうだけだ。

妻に相談しても
彼女の悲しみを深めてしまうだろう。


「世の中には誰にも救いを求められない困難が有る」


その現実に気が付くと

『人生での越えられない悲しみ』

存在を呪った。

そして、


「幸せな人生でしたか?」

と死に際に聞かれたら、

「はい。 でも二度と経験したくない人生です」

答えるくらいしか出来ないんだろうな。


そんな風に思った。


その思いは
息子が亡くなってから数年が経過する今も、
変わらなかった。



30年ほど前に
大往生で他界した祖母は、
生前に3人の息子たち全員を亡くした

2人は戦争
もう1人は阪神淡路大震災だった。

息子の全員に先立たれるという壮絶な人生
を歩んだ祖母は
一体どんな思いで余生を送ったのだろう。

「私と同じ思いで悲しみながら人生を歩んだの?」

「幸せな人生だと思いながら生きる事は出来たの?」

「悲しみは越えられたの?」

それらは、
祖母が生きていたら訊ねたかった質問だ。

それらの質問に答えられる祖母は、
私を救うことが出来る唯一の存在に
違いなかった。

でも、
既に数十年前に他界している祖母から、
そんな質問の答えを聞く術は無かった。

ただ、ただ、

「おばあちゃんも辛い人生を送ったんだろうね」

仏壇に手を合わせながら、
そんな思いを祖母に寄せてみるしか
なかったのである。



ある年の秋、
私は翌日に控えた講演会に向けて
北海道から東京入りしていた。


足が不自由な私だったが、
到着した羽田空港には、
都内に住む友人が自家用車で迎えに来てくれたので
不安は無かった。


そして、
公共バスでの移動が必要だった講演会当日の朝も、
従妹の恵子さんが同行してくれることになった。


私の道中を心配してくれた恵子さんは
わざわざ神戸から来てくれたのだ。


「久しぶりに会いたかったんよ」


私の東京での講演会の聴講と
移動のサポート
が、
会社を休むための良い理由になったという。


忙しい仕事と家事の合間に
無理やり時間を作ってくれての東京入りだった。


10数年振りに再会
した従妹の恵子さんとは
食事をしながら
つかの間の歓談を楽しんだ。


そして、

「この話だけは直接会って話したかったんよ」

そう言って恵子さんは
おもむろに或る話を語り始めたのである。



神戸市に住む恵子さんの家の隣には、
木彫りの先生
が住んでいるという。

その木彫りの先生は、
時折、兵庫県の各地を巡って
木彫りの教室を開催している

ある日、
兵庫県の田舎町で開催した木彫り教室に、
女性の生徒さんが参加した。

その女性の生徒さんは、
木彫りの授業の休憩時間に、
ある話を
木彫りの先生へ語った。

その女性の生徒さんは
娘を病気で亡くされた方だったのだが、
娘を亡くして傷心の日々を送っていた当時に、
隣に住む高齢の女性から
慰めの言葉をかけてもらった
のだという。

それは

「越せない悲しみは、ありませんよ」

という言葉だった。


この慰めの言葉を
女性の生徒さんへ掛けてくれた高齢の女性は
3人の息子を喪っていたのである。

そして、
この高齢の女性から
慰めの言葉をもらった女性の生徒さんは、


「その言葉で私は心から救われた」


というエピソードを、
木彫りの先生へ語ったのである。


そう、
その慰めの言葉を掛けた高齢の女性は
恵子さんの祖母

すなわち
私の祖母だったのだ。


そして、
この体験談は、
木彫りの先生から隣に住む恵子さんに伝わったのである。


分かりにくいかもしれないので図に表してみる。

祖母の言葉が伝わってきた経路



娘さんを喪った傷心の隣人に掛けられた祖母からの言葉、

「越せない悲しみは、ありませんよ」

その言葉は、
祖母が3人の息子を亡くしながらも
悲しみを乗り越えて
余生を生きることが出来た
ことを物語っている。


なんと、
天国の祖母は、
時と次元を越えて私の質問に答えてくれたのである


世の中の誰からも得られなかった答えが、
講演会をきっかけに、
恵子さんを通して送られて来たのだ。


そうか..


「おばあちゃんは、乗り越えられたんだね」

「越えられない悲しみは無いんだね」


それは、
私にとって
今一番必要な答えだった。


よし...


「最高に幸せな人生でした。」


最期に
そう答えらるよう、
祖母からもらった言葉を大切にして
がんばって生きてみる。


そう思うと、

3人の息子達の仏壇に手を合わせている生前の祖母、
その小さな後ろ姿が
目に浮かんだ。



結局、
忙しい恵子さんは、
午後の私の講演会を聴講せずに
神戸へ帰ってしまった。

夜までには神戸に帰らなくてはならないという。

恵子さんは、
ホテルから講演会場までの私の移動をサポートして、
そして
祖母の話を伝える為だけ
東京と神戸を
とんぼ返りで往復してくれたのである。

講演会場となった東京ビックサイト
久しぶりのネクタイ姿で社会復帰の気分を味わった


魂は生き続ける。

苦しんでいる孫を救う為であれば、
肉体を失った後でもメッセージを送ってくれる

先祖の愛は
永遠に子孫達を見守ってくれている

そんなことを学んだ
出来事だった。


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北海道の武父さん チップに見合った内容だったことを祈るばかりです。 次稿も頑張ります。