軽やかに跳びたい人生だった
質問があります。
あなたは流行に敏感な方ですか?
「はい」と答えた方、そう、そこのあなた。
正直に申し上げてもいいでしょうか。
うらやましいです!
流行にのれる人って、なんであんなに軽やかなんだろう。
もしかして背中に羽でも生えてるんじゃないのかな。
ねえ、実は生えてますか?
私ですか?
私には生えてません、そのせいでしょうか流行にはのれたことがありません。
ノリが悪いの?センスがないの?どっちもあるかもしれない。
そんな自分に軽くがっかりしてしまう。
これは一体何に似ているだろうか…そう考えて、はたと思い至った。
あぁそうだ、これは
長なわに入れなかったのと同じ現象だ!
🕊️🕊️🕊️
長なわ、大なわとびとも言うね。
それに私が出会ったのは、忘れもしない小学校四年生の時。
そのタイミングで引っ越しをし、学校が変わったのだ。
以前の小学校では、みんなで一緒に一つのなわとびを跳ぶというイベントはなかった。なわとびといえば個人競技だったのだ。
だから引っ越して、カルチャーショックを受けた。
縄はまるで綱引きの綱のように長く少し太めで、体全体を大きく使って回すスタイル。
回している縄は、ぶぅん、ぶぅんと大きく風を切り、地面に打ち付ける度にパシィィン、パシィィンと力強い音がする。怖い。
私が慣れ親しんでいたなわとびよりももっと重厚で壮大な様子に、怯んでしまった。
クラスメイトはといえば、慣れたようにスイスイと縄に吸い込まれ、ひらりひらりと跳んでいく。その姿はまるで清流を泳ぐ小さな魚のようだ。
淀みなく流れ、いつまでも続いていく。その光景は、水面に反射する陽の光のようにまぶしかった。
「今だ!行け!」と思っても、上手くタイミングが掴めない。踏み出したこの足が、優雅に流れる水を濁らせてしまうのではないか。
そう思えば思うほどに、地面を打ち付ける音は「跳べ!早く!」に聞こえ、風を切る音は「失敗するな、上手くやれ」と聞こえるのだ。
慎重に、慎重に…タイミングをよく見て。
大丈夫、たかがなわとびなんだぞ。失敗しても死ぬわけでも怪我をするわけでもない。
ほんとに?ほんとうに大丈夫?
そうしている間に、気持ちも足も完全に止まってしまった。かろうじて頭だけが赤ベコのように上下に揺れ、跳ぶタイミングを図って見送るふりをしているだけだった。
跳ぶ気ももうないというのに。
コストコ・インスタ・ファッション、みんなそう。
うらやましいな。
そう眩しく目を細めながらも、みんなの動きに合わせられずに、結局見送る自分がいる。
軽やかに跳ぶことができずに、慎重に慎重にとお見送りスタイルだけがどんどん高められてしまう。
このままでは山も登らないのに、孤高の人になってしまうのではないだろうか。
…そんなわけないか。
でも、慎重なのも、タイミングが上手く掴めないのも、ぜんぶ私なのだ。どんくさくても、流れに上手くのれなくても、無理に合わせずにいつか自分のタイミングでジャンプできる時が来るかもしれない。
いつか来るその日を信じて、今日もお見送りスタイルを貫いてみるよ。
え?結局長なわは跳べないのかって?
それが跳べるようになったんだよ。
思い切ってえいって跳んでみたら、案外いけたんだ。
ふふっ、案ずるより産むが易しってね。
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