日本近未来話 第三話 竹取物語2.0
そう遠くない昔、いつの頃でありましたか、竹取の翁といふ人がありました。昭和生まれの翁は齢190歳を迎えてますます元気で病気の一つもありませんでした。
いえこの22世紀を半ば過ぎた頃にはすでに「病気」という言葉自体、誰も使う人がいなくなっておりました。それを証拠にこの「病気」という事象は21世紀以前の書物、映像でしか見ることができません。
最近の若者は「病気」という概念を理解することができず、年齢150歳代以上のものだけが、昔は良かったとある種の憧憬をもって人間模様を語るときに「病気」を引き合いに出すぐらいです。21世紀以前は「病気」にどう立ち向かうかというのが人間として生きる上での大きなテーマでした。
さて竹取の翁、毎日のように国立の絶滅危惧種保護植物園に行っては竹林の管理世話をするレッドリスト・パンディットと呼ばれる政府の担当官でした。保護種の竹林とはいえ密集化を防いだり良質の竹を残すために間伐が必要になります。その間引いた竹でいろいろのものを作り商うサイドビジネスをしていたため俗に竹取の翁という名で通っていました。
ある日、いつものように竹林に入り込んでみますと、一本妙に光る竹の幹がありました。不思議に思って近寄って、そっと切って見るとその切った筒の中に高さ3寸ばかりの美しい女の子がいました。きっと天が我が子として与えてくれたのであろうと考えて、その子を手の上に載せて持ち帰り、妻のお婆さんに渡してよく育てるようにいいつけました。
お婆さんもこの子の大そう美しいのを喜んで、籠の中に入れて大切に育てました。ちなみにお婆さんは平成生まれの160歳でありましたが若くてぴんぴんしておりました。というのも21世紀の終わりにはやはりリヴァースエージングの技術が完璧にまで高められ「老化」という言葉を人々の頭の中から追いやってしまいました。時間をさかのぼることが可能であれば進めることもわけなく行うことができます。
時間を進めるほうの技術はフォワードエージングと呼ばれました、そしてそのフォワードエージングの技術は物質の「劣化」や「風化」も自由自在にコントロールすることを可能にして、ものの数日、数時間で物質を劣化風化させて時間の経過を楽しむ娯楽を生み出しました。
このことがあってからも、翁はやはり竹を間引いてその日その日を送っていましたが、奇妙なことには、多くの竹を切るうちに節と節との間に、黄金が入っている竹を見つけることが度々ありました。それで翁の家は次第に裕福になりました。
有史以来人類は金に安定して価値を見出して来ましたが今や金の価値は二分しております。時間を操るともいえるフォワードエージングの技術が金の生成を可能にしたのです。それはある意味錬金術ともいえますが生成された金は本物です。ですが人類は新しい技術による金を良しとしませんでした。
新しい技術以前の古来従来から存在する金、金鉱山から採掘された金は天然を意味するネイチャーと呼ばれ、新しい技術による金は養殖を意味するカルチャーと呼ばれその価値には天と地ほどの違いがありました。もちろん翁が竹から入手した黄金はネイチャーでした。特殊なスキャン装置をいくらかざしてもロット情報が浮かんできません。これすなわちネイチャーに違いありませんでした。
ところで、竹の中から出た子は、育て方が良かったと見えて、ずんずん大きくなって、三月ばかりたつうちに一人前の人になりました。そこで少女にふさわしい髪飾りや衣装をさせましたが、大事な子ですから、家の奥にかこって外へは少しも出さずに、いよいよ心を入れて養いました。
大きくなるにしたがって少女の顔かたちはますます麗しくなり、とてもこの世界にないくらいなばかりか、家の中が隅から隅まで光り輝きました。翁にはこの子を見るのが何よりの薬でまた何よりの慰みでした。そうです。人類は病気を撲滅しましたが薬はあいかわらず必要とされました。
光子による新素子による量子コンピューターはありとあらゆる症状に対する薬を作り出し、自然界に出現するであろうありとあらゆるウイルスを予測しました。そしてありとあらゆるヒトの遺伝子配列の分析がなされ、病気のかかりやすさや薬の効きやすさが判定され、遺伝子治療に役立てられました。そして最新の遺伝子編集は生きながらにして行うことができたので臓器、体のあらゆる部位を再生または更新できるようになりました。
さてその間に翁は相変わらず竹を間引いては、ネイチャーを手に入れましたので、遂には大した身代になって家屋敷も大きく構え、召使いなどもたくさん置いて、世間からも敬われるようになりました。さてこれまでつい少女の名をつけることを忘れていましたが、もう大きくなって名のないのも変だと気づいて、いい名づけ親を頼んで名をつけて貰いました。その名は「なよ竹のかぐや姫」というのでした。
この美しい少女の評判が高くなったので、世間の男たちは妻に貰いたい、また見るだけでも見ておきたいと思って、家の近くに来て、隙間のようなところから覗こうとしましたが、どうしても姿をみることができません。ネット上にも姫の画像は一切見当たりません。
せめて家の人に逢って、ものをいおうとしても、それさえ取り合ってくれぬ始末で、人々はいよいよ気を揉んで騒ぐのでした。そのうちでどうにかしてかぐや姫に逢って志を見せようと思う熱心家が5人ありました。
みな位の高い身分の尊い方で、一人はアフガニスタンのムハンマド・ムジャヒドさんです。レアアースで財を成しその後政界に進み国防大臣まで務め上げた立派な方です。
今から約200年前の富豪といえばアラブの石油王というのが相場でしたが今の富豪といえばレアメタル、レアアース王というのが誰もが認めるところです。
歴史を振り返ると21世紀の中頃、地球温暖化対策のCO2削減の一環として、残念なことにガソリン車などに代表される内燃機関は政治的に終わりを告げられてしまいました。そうなるとその終焉とともにその燃料である石油の需要も激減してしまいました。環境問題という言葉とアラブの石油王という言葉の頻出度は反比例の関係にありました。
その代わりに台頭してきたのがレアメタル、レアアースで財を成してきた人々です。電気自動車などの蓄電池をはじめ、最新の先端技術による工業製品にはレアメタル、レアアースが欠かせません。ちなみにレアメタル、レアアースはフォワードエージングの技術を使っても生成が容易ではありません。どちらも元素番号の大きなもの、周期表でいえば後ろのほう、下のほうになりフォワードエージングの技術に加えて莫大なエネルギーを必要とします。
さて、もう一人はスイス人のラウリン・シュミッドさんです。コーヒーでお馴染みの世界に名を馳せる多国籍企業のオーナーです。大金持ちで政治家より権力を持つシュミッドさんにできないことはないと言われています。
そしてオーストリアからはペーター・バウワーさんです。バウワーさんの家系は代々武器商人と銀行業を営み莫大な財を成してきました。バウワーさん一族が世界の経済や政治を牛耳っていると噂されております。そして一説によると世界各国の通貨発行権をも握っているとささやかれています。
そして、4人目は中国の富豪の張王芳さんです。4代さかのぼったご先祖様はIT企業を起こし一代で世界有数の押しも押されぬ大企業に育てあげました。そのお父さんは当時の中国の総人口14億のトップに君臨する7名しかなることのできない中国共産党の政治局常務委員の一人でした。家柄も申し分ありません。
そしてかぐや姫の住む日本国から名乗りを上げたのが鈴木次郎さんという方です。次郎さんのお家柄も代々政治家で、お父様は日本国の総理大臣まで務めあげた方です。ご自身も入閣を果たし現在も環境大臣をされています。
この人たちは思い思いに手だてをめぐらして姫を手に入れようとしましたが、誰も成功しませんでした。翁もあまりのことに思って、ある時、姫に向かって、
「ただの人ではないとはいいながら、今日まで養い育てたわしを親と思って、いうことをきいてもらいたい」
と、前置きして、
「わしは200歳を目の前に充分生きながらえたと思っておる。わが人生必要と思われることはたったひとつを除いてすべてをやりつくした。いつ命をタアミネートしても良いと思っているがそのたったひとつのことが気がかりで決心がつかぬ。早くよい婿をとって、心残りのないようにしておきたい。姫を一生懸命に思っている方がこんなにたくさんあるのだから、このうちから心にかなった人を選んだらどうだろう」
翁はターミネートという言葉を口にしました。この言葉を口にするということは相当な覚悟があるということです。今や人類は「病気」を撲滅し、体中の臓器、部位の再生更新が可能になりました。そして極めつけは遺伝子情報と全脳スキャンデータを利用して何かあった場合ヒトの再生が可能になったということです。最新の全脳スキャン時までさかのぼって生き返ることが出来るのです。
こうして人類は「死」という宿命からも逃れられるようになりました。ただし法律はあらゆる権利を認めると同じく「死ぬ権利」、言い換えれば「自ら命を終了させるという権利」も認めていました。世間ではこのことを「ターミネート」と呼んでいました。経済学や社会学ではこのことを「代謝」と表現することがあります。
姫は、案外の顔をして答え渋っていましたが、思い切って、
「私の思いどおりの深い志を見せた方でなくては、夫と定めることは出来ません。それは大してむずかしいことではありません。五人の方々に私の願うものを注文し、かなえて下さった方にお仕えすることにいたしましょう」
と、いいました。ところが姫の注文というのはなかなかむづかしいことでした。
それは5人とも別々で、
アフガンのムジャヒドさんには、ダイソンリングを制作せよ
スイスのシュミッドさんには、税金をきちんと払うように
オーストリアのバウワーさんには、戦争をおこしてみよ
中国人の張さんには、龍を捕まえてくるように
日本国の次郎さんには、量子テレポート用のゲートを制作せよ
というのであります。
そこで翁はいいました。
「それはなかなかの難題だ。そんなことは申されまい」
しかし、姫は、
「たいしてむずかしいことではありません」と、言いきって平気でおります。翁はしかたなしに姫の注文通りを伝えますと、3人はあきれかえって、2人は激怒してその場から引き取りました。
激怒して捨てセリフを残して去ったのは2人のヨーロッパ人でした。
スイスのシュミッドさんのいい分は次の通りです。
「俺の遺伝子に〝税金を払うという行為〟ははいっていない!」でした。
22世紀の中盤である今、ほとんどの国で法人税は全廃され多国籍企業にはその国の運用益に対して金融資産税がかかるのみになっておりました。運用益に税金をかければ実業の方に力を入れてもらえます。ちなみにほとんどの国の庶民はほぼ無税というのは周知のところです。今般の人口知能の発展により2人に1人は働かなくとも社会が回るようになったため、どこの政府もベーシックインカム政策を採らざるをえなくなりました。
ちなみに日本国の現在のベーシックインカム支給額は月に一人あたり530万円ほどです。それは今から150年前の21世紀の初頭の40万円に相当します。そしてそのベーシックインカムから税金が支払われるため庶民は実質無税となってます。
さて、スイスのシュミッドさんはご自身の莫大な資産に対してわずかばかりの金融資産税もできるだけ払わなくて良いように対策をしております。しかし法に触れている訳ではありません。かぐや姫の注文はまったく筋のとおったものではありませんでした。
そしてオーストリアのペーター・バウワーさんのいい分は次の通りです。
「戦争起こせるならとっくにやっておるわ!」
かぐや姫の注文を聞くないなや顔を真っ赤にしてそう叫びました。バウワーさんのご先祖は代々武器商人でしたが戦争当事者のすべての国に武器を売っては儲けてきました。戦争、紛争があれば必ず儲ける事が出来ました。
20世紀から21世紀にかけてはテロリストの組織にも武器を流し結構な利益を上げてきました。ですが近年どこも戦争や紛争をやりたがらなくなってきました。一人の人間を死に至らしめることが今や非常な困難と多大なコストがかかるようになり、戦争の目的の1つである人的被害を出すことができなくなってきたためです。簡単にいえば人は死なないし負傷しないのです。こうなると戦争はもはや意味がありません。
しかたなくバウワー一族は武器の商売を諦め銀行業に専念しておりました。戦争を起こしたくとも起こせず地団駄を踏んで悔しいのを耐えているところへきてかぐや姫の臓腑をえぐるような挑発的な注文です。ペーター・バウワーさんはかんかんに怒って帰ってしまいました。
さて、アフガンのムハンマド・ムジャヒドさんはダイソンリングという言葉を初めて聞きました。手元の端末で確認するとダイソン球というのがあって、1960年にアメリカの物理学者のフリーマン・ダイソンが提案したもので、恒星のエネルギーをもれなく活用するようにその周囲を構造体で覆った居住区みたいなものみたいです。
簡単にいえば卵の黄身を太陽だとすると殻がダイソン球に相当します。その殻が生物の居住圏だと考えます。ダイソンリングというのはこのダイソン球のバリエーションのひとつで殻の代わりに幅をもった帯が黄身をぐるりと取り囲むイメージです。
ムジャヒドさんは首をかしげながらも宿に戻り検討を始めました。どう考えても実現できそうにありません。それもそのはずです。星間文明というのをロシアのニコライ・カルダシェフという天文学者が考察したところ3つの段階に定義できるそうです。
その詳細は割愛しますが、21世紀の時点で地球文明は第一段階にも到達しておらず、ダイソン球は第二段階に到達のために建設されるとあるそうです。
ムジャヒドさんは翁のもとに訪れて正式に辞退を申し入れました。その際どうしても姫に聞きたいことがありましたので翁に取り次いでもらいました。
「地球ではすべてのものが事足りています。なぜダイソンリングが必要なのですか?」
今度は翁が姫から取り次いだ答えは次のようなものでした。
「月の住人のため」
ムジャヒドさんも翁もその意味がわからず首をかしげるばかりでした。
さて、龍を捕まえてくるようにと言われた中国人の張さんは途方にくれました。
「龍なんているわけがないじゃないか、さてどうしよう」
張さんは早速世界でも有数の映像会社と人口知能を専門とするソフト会社に秘密裡に声をかけました。張さんが出したのは、全長60mほどの龍のホログラフィック映像でAIにより自律的に動くこと、というオーダーでした。どちらの技術も100年も前からあるもので充分に洗練されているうえに料金もそれほどではありません。
張さんが作ったものといったら龍の檻だけでした。そして、3か月もするとその龍ができてきました。なるほど、見事な出来栄えです。張さんは早速ディスプレイを抱えて姫のもとを訪れました。
「捕らえた龍は全長60mもあるため目の前にお持ちすることはできません。是非映像でご確認下さい」
姫はその映像を見て目を見張りました。生きている龍に違いありません。言葉が理解できるらしくて姫の問いかけにもきちんと呼応しています。姫も、
「これは本物に違いない、私はこの男を婿に迎えるのか・・・」
と観念しかけたところ、突然映像に『ピクスト・アニメーション・スタジオ』という文字が入りました。
「なんだ?これは?映像なのか?」
張さんは姫の問いかけに答えられずにすごすごと引き下がりました。どうやら料金の支払いの遅延に腹をたてた映像会社がたまたまこのタイミングで権利を主張したようです。その後張さんは二度と姫の前に現れることはありませんでした。
さて次郎さんの場合は少しなりゆきが違っておりました。アフガンのムジャヒドさんと同じように、出された問題を検討しましたが量子テレポート用のゲートなど作れるわけがありません。そしてヒトが瞬時に別の場所に移動する量子テレポーテーションの仮説はありましたが仮説に過ぎなく現在の技術ではその実現はどう考えても不可能です。次郎さんはすぐに翁のところに出向きました。
翁は次郎さんの辞退の申し入れをもって引き下がりましたが、タブレットをもって再び現れました。
「姫からこれを預かりました。次郎さんに渡してくれとのことです」
次郎さんがタブレットをみるとそこには量子テレポート用のゲートの設計図がありました。
「さては姫。俺に惚れとるな」
次郎さんは飛び上がって喜び、急いで帰りました。そして権力にものを言わせて人員と材料をかき集めおよそ3ヶ月、不眠不休ともいうべき勢いで姫が所望するものを作り上げました。完成するやいなや確認もそこそこに姫のもとに駆けつけました。
「姫、お持ちしました」
翁、姫立ち会いのもと電源が入れられました。ブーンとうなりを上げ量子テレポート用のゲートが立ち上がりました。姫は『デモ』とかかれたボタンを押してみました。
何も起こりません。再び押してみました。やはり何も起きません。姫は無言で次郎さんの方を見ました。
「わかりました。この場でチェックさせていただきます」
次郎さんはスタッフ10人とともにその場で装置をばらして設計図どおりに作られているのかの確認をしました。一切問題の無いことを確認するのに3日3晩かかりました。そして再び姫と翁に立ち会いを依頼しました。
「お待たせいたしました。相変わらず『デモ』ボタンは無効のままですが、設計図どおりであることを確認しました」
次郎さんは電源をいれ確認を待ちました。姫は今度は『自動』ボタンを押しました。やはり何も起こりません。再び押しましたが、ゲートはウンともスンともいいません。姫は思い切ってゲートをくぐってみました。やはり何も起きませんでした。
姫は今回も無言で次郎さんを見ました。無表情でじっと次郎さんを見ています。そして抑揚のないトーンで、ありがとうございました、と一言小さくつぶやきました。次郎さんは耐えきれなくなってその場から逃げ出してしまいました。
結局5人のうち誰一人として姫の所望に応えられるものはいませんでした。
そうこうするうちに3年ばかりたちました。その年の春先からかぐや姫は、どうしたわけだか、月の良い晩になると、その月を眺めて悲しむようになりました。それがだんだんつのって、七月の十五夜などには泣いてばかりいました。
翁たちが心配して、月をみることを止めるように諭しましたけれども、
「月を見ずにはいられませぬ」
といって、やはり月の出る時分になると、わざわざ軒先などへ出て嘆きます。翁にはそれが不思議でもあり、心がかりでもありますので、ある時、そのわけをききますと、
「今までに、度々お話しようと思いましたが、ご心配をかけるのもどうかと思って、打ち明けることができませんでした。実を申しますと、私はこの国の人間ではありません。月の都のものでございます。ある因縁があって、この世界に来ているのですが、今は帰らねばならぬ時になりました。この八月の十五夜に迎えの人たちがくればお別れして私は天上に帰ります。その時はさぞお嘆きになることであろうと、前々から悲しんでいたのでございます」
姫はそう言って、ひとしお泣き入りました。それを聞くと翁も気がどうかしたかのように泣き出しました。
「竹の中から拾ってこの年月。大事に育てた我が子を、誰が迎えに来ようとも渡すものではない。もし取って行かれようものならわしこそ死んでしまいそう」
「月の都の父母は少しの間と言って、私をこの国に寄越されたのですが、もう長い年月が経ちました。生みの親のことも忘れて、ここのお二人に慣れ親しみましたので、私はおそばを離れていくのが、本当に悲しゅうございます」
二人は大泣きに泣きました。家の者どもも、顔かたちが美しいばかりでなく、上品で心だての優しい姫に、今更、永のお別れをするのが悲しくて。湯水も喉を通りませんでした。
そうこうするうちに八月の十五日になりました。翁の家の周りにはSNSなどで噂をききつけたもの達3千人余りが集まってきました。誰もがかぐや姫を月に帰すまいと意気込んでいます。
そのうちに夜もなかばになったと思うと家のあたりが俄にあかるくなって、満月の十そう倍ぐらいの光で、人々の毛穴さえ見えるほどになりました。
かぐや姫は翁の家の中庭に放置してあった量子テレポート用のゲートの電源を入れました。そして装置の隅々にまで電気が行き渡るぐらいの間をおいて、ディスプレイに向かって何かを打ち込みました。隠しコマンドのようです。そうです、次郎さんの仕事は確かなものでした。
ゲートが光輝き始めました。翁の家の周りのものたちは中庭の光を見た瞬間、何かに魅入られたかのように戦意を喪失し、力も出ず、ただぼんやりとしてしまい、目をぱちぱちさせることしかできなくなりました。何か強力な電磁波によるものでしょうか。
ゲートが更に光ったかと思うと3人の男が出てきました。見たこともない服装です。その中からリーダーと思われる男が翁を呼び出して言いました。
「なんじ翁よ。そちは少しばかりの善いことをしたのでそれを助けるために片時の間、姫を下して、たくさんの黄金、こちらの言葉ではネイチャーだったか、それをつかわせて儲けさせるようにしてやったが、今は姫の罪も消えたので迎えに来た。早く返すがよい」
翁が少ししぶっていると、それには構わずに
「さあさあ姫、こんなきたないところにいるものではありません」
といって、促しました。
かぐや姫の体はするすると動き始めました。翁が留めようとあがくのを姫は静かに押さえて、形見の文を書いて翁に渡し、天の羽衣を着て、ゲートに静かに吸い込まれていきました。その後を3人の男が続き、ゲートの光は徐々に消えていきました。
これを見送って翁夫婦はまたひとしきり声をあげてなきましたが、なんの甲斐もありませんでした。家の周りを取り囲んでいたもの達もただただ放心していつまでも立ち尽くすばかりでした。
それから3月も過ぎたある日のこと、翁のところに一人の若者が尋ねてきました。
「何かご用かな?」
「噂でこちらに量子テレポート用のゲートがあると聞いてきたのですが?」
「ああ、あるよ。今にも大事な娘が出てきそうな気がして毎日磨いておる」
翁がかぐや姫ロスから立ち直るにはまだまだ時間がかかりそうです。
「私は浦島の太郎と申します。ちょっとそのゲートを見学させてもらっていいですか」
「えっそなたがあの有名な浦島太郎さんか?」
翁は素早く浦島太郎にまつわるエピソードを思い巡らしました。
「失礼ですがおいくつかな?」
「たぶん400歳ぐらいじゃないですかね。自分でもよく分からないんですよ。竜宮にいたり玉手箱とかあったし。見た目だけは、ほら、リバースなんちゃらのおかげで」
どうみても30代の好青年にしか見えませんでした。
翁は量子テレポート用のゲートに太郎を案内しましたがその見学の理由を考えてみました。
「ひょっとして竜宮に再び行ってみたいとか」
浦島太郎はちょっと恥ずかしそうな表情で答えました。
「ええ。実はそうなんです。あの体験が忘れられなくて」
翁は申し訳ないという表情で言いました。
「そうですか。残念ですな。このゲートは情報の送受信に使われるので送信先にも必要なんです。ということは同じものが竜宮にもないといけないという訳です。これと同じものは月に1台あることが分かってるだけですな。そして、わしにこの使い方が分かればいつでもかぐや姫に会えるんだが」
いかにも残念といった翁の口ぶりでした。それを聞いた浦島太郎もがっくりと肩を落としました。
二人でしばらく黙り込んでいましたが、やがて翁がなにかに思い当たったようでした。
「そういえば助けた亀は覚えておいでかな?」
「なんとなくですが。向こうは覚えてるかもしれません」
「亀が生きていれば再び連れて行って貰えるかもしれん。亀は万年といいますな。なにかお役に立てることがあるかもしれませんぞ」
「どういう事でしょうか?」
浦島太郎は驚いたようだった。
「こう見えても、わしは絶滅危惧種の保護の専門官、レッドリスト・パンディットをしておる。確か海亀は絶滅危惧種で、全体でも400頭前後じゃなかったかな?全てのデータがうちの部署にあるはずだ。見たいですかな?」
〈了〉
底本:青空文庫「竹取物語」
