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私という人間の脳内思考

昔からよくいわれる私の第一印象は怖いイメージ、だが話すと全然こわくないし面白いし優しい。そのギャップは今もおそらく変わらない。
考え事をしている表情がそのように映るらしい。

初対面で目を背ける人が多い。なんか気になるから見ちゃう、けどなんか気に入らないから目は合わせない…そんな感じ。
もちろん、目を逸らされる理由がなんとなくわかるまでは自己否定に苛まれた時期も過ごした。

人を愛する気持ちしか持たない私がこのような思いをする、原因は何なのかと世の不思議を紐解いていた。


——いまじゃもう、慣れっこだ。

なんなら、最後まで目が合わない方が気が楽とさえ思うようにまで変化した。
私にとって人は災いの始まりであって、真の愛の繋がりはごく稀。ハズレくじをわざわざ引きに行くようなものである。

経験上、真の愛の繋がりがあれば、目が合わなくとも自然に引き寄せられ互いの存在に気付くものだと信じている。

私は昔から数えきれないほど人様にたくさん愛して頂いた。
いろんな人に誘われ囲っていただき、それにより依存されることを覚えてきた。依存イコール愛と解釈していたと思う。
大人になればなるほど、その解釈にズレが生じて、好き勝手振る舞う人間に嫌気がさして、愛の真相を紐解くようになった。

愛を知らない人と愛はつむげない。
愛を知らない人は、愛を知らない自覚がない。
説明をしても、結論に至る見込みがない。
それは、ものごとの解釈や捉え方が異なることを意味する。

だから、最後までひとりでも良くなった。
そうでなければ、苦しいとさえ思うようになった。カラダがとても軽くて、自由だ。
ひとりはなにより、自己否定とも無縁だ。

例えば誰かに、これは愛だといわれて信じるようじゃまだまだ未熟とさえ感じている。自ら愛だと思わなければ、私は人を信用しなくなった。

勘違いを避けるために弁明しておく。これは他人を否定するものではなく、あくまでも自分の目で見て判断していくための生きる力として必要不可欠なものの見方を説明しているだけに過ぎない。


さて、前置きはこの辺にしておき本題に入ろう。

先日、50〜60代の女性と共通の繋がりで行動を共にすることが多々あり、初めての経験ということも共通して、肩を並べて参加することがあった。

行動を共にする義務があるときは「一緒にやろうね」も時には必須である。かと言って、何でもかんでも一緒にするつもりはない。同じ時間を過ごしているときだけに限る。

人は大体、大人になると大概の人がそのような認識で行動することが多くなるように見受けられる。
「一緒にやろうね」は年寄りやこどもの時期にありがたいと思える気遣いであって、その中間にいる大人たちは毛嫌いさえする。

それでも、その女性は「一緒にやろうね」と歩み寄ってくる行動を示してくる。
これは善意なのか孤独なのか。
どちらの気持ちから生じているのだろうか?

まだそんなに親しくない仲だ。
もちろん行動を共にするときは仲良くしている。
「今度、みんなで一緒に行きたいね」
え?みんなで…⁇
私は無意識にも咄嗟に顔をしかめる。
「みんなじゃ多いか、何人くらいがいいかな」

うーん。
この方は恐らく私を囲ってくださっているのだろうか。善意なのかもしれないがこれぞありがた迷惑という言葉がドンピシャの一幕である。

ちょっと待てよ。
思えばさっきから太ももに圧がある。
恐る恐る足元を見れば、二人がけのソファの中心のラインに彼女は腰掛けている。
気が付いていないのか?それとも愛しているアピールなのか?私はあなたを嫌いはしない善人ですよという意味合いとも考えられる。

暑苦しいし、重たい…。
この距離感、なんだ?
パーソナルスペース皆無。
私は介護されている老人か…?
引っ付いて座るのは小学生以来だ。

これは善意なのか孤独なのか。
どちらの気持ちから生じているのだろうか?
私が求めているように見えるのだろうか。
私は人生の経験を経て得た、紛れもない1匹狼だ。
「一緒には行かない」

善意なのかもしれないがこれぞありがた迷惑という言葉がドンピシャの一幕である。

ただ、悪意がないのは私にはわかるので嫌いになることはないし、気遣いであるのならありがとねとさえ思うがお気持ちだけ頂きますと言ったところだ。

寂しがりならお願いされれば全然付き合うこともアリだが、なんだか私の気持ちを決めつけていわれるのが腑に落ちない。

この方は何故このような言葉を選択し表現しているのだろう。
謎だ。

お願いされなければ、申し訳ないが私は断ることが決まっている。あなたのこと、まだ何も知らないのだ。そういうタイプの人間でもない。悪い言い方をすれば冷たい人間なのかもしれない。

ごめんなさい。
自分に嘘はつきたくない。
だから早く気付いてくれないかな。
この距離感に合わせるのは、彼女が気付いたときにショックを受けられるのが目に見えてるから罪悪感しかない。
かと言って、私一匹狼ですってわざわざ聞かれてもいないのに明言するほど、おこがましくなりたくはない。

これが、私という人間の脳内思考だ。
伝えたつもりになっておこう。

愛を知らない人と愛はつむげない。
愛を知らない人は、愛を知らない自覚がない。
説明をしても、結論に至る見込みがない。
それは、ものごとの解釈や捉え方が異なることを意味する。

馬場 百合子

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