何故ヒューマンジーは“存在”していると思う?──アニメ︰ダーウィン事変2話より
第2話︰ALA(ANIMAL LIBERATION ALLIANCE)
2話まで見て気づいたのが、この作品は「ヒューマンジー」という唯一無二の立場を通して、人間の「なぜそうなのかを問わない」歪さが強調されて描かれていると思う。冒頭、(この事例はやや間接的だが)前話でステーキレストランが爆破されて、そのニュースが民間人に広まる場面から早速それが伺える。
学校内で、ある生徒がそのニュースをみて涙ぐんでいた。「小さい子もいた」と。
この一連のシーンで私は「子供が巻き込まれたこと」がやけに強調されているという点に違和感を覚えた。
現実のニュースでもよくある。戦争の犠牲者を伝える時、「犠牲者のうち子供は○○人いました」という伝え方をする。そんなニュースを見る度に私は内心むず痒くなる。
子供の命が尊いという道徳は理解できる。だが、わざわざそれを引き合いのように持ち出すのは、命の価値に格差をつける行為なのではと思う。
「小さい子もいた」となぜ言わねばならないのだろう。
我々人間はこのような問いをあまりに問わなさすぎるし、放棄し過ぎているように私は思ってしまう。
その蓋をチャーリーは人間社会の外から容赦なく引っぺがす。それがこの作品の魅力だ。
いつものように肉以外を食べているチャーリー、しかし皆彼を避けている様子。そこへ再びオジーと金髪青年(名前分かりません)が話しかけるのだが、前話よりも怒りを露わにしている。オジー達に限らずALAの爆破事件以来、そのスティグマが何の関係もないヴィーガン達にも向けられていた。
更に一話の冒頭にもあった通り、ALAはチャーリーを身ごもった母親を保護した団体だ。「関心がないわけないだろ」といった調子で、ALAの爆破事件をどう思ってるのかを問い詰める。
君と同じヴィーガンが自分達の主義主張のために子供を殺したんだよ。
金髪青年曰く、これはマイノリティに配慮しすぎた結果だという。ALAを「少数派の宗教」とし、彼らに耳を傾けすぎた結果クリスマスに七面鳥を食べることすらできなくなると。
これに対してチャーリーの意見は真っ当だ。
「僕は食べないというだけで、僕に気にせず君達は好きなものを食べたらいい。」
チャーリーは自らの意思でヴィーガンになったわけではない。物心ついた時からそういう生活をしていて、且つそれを変える理由が見つからないからそうしているだけ。
「何でも好きなものを食べたらいい。
鳥でも豚でも牛でも魚でも、人間でも。」
ここでまたしてもチャーリーは、人間と他生物を平等に扱う。
「人間が人間を食べるわけない」と言うオジーに、チャーリーは更に逆に問う。
「じゃあ何で人間だけは殺して食べちゃいけないの?」
「何か人間だけを特別にする理由があるの?」
なぜ人間だけは特別なのか。
公式ホムペにも大きく掲げられているこの問い。
私なりの答えはシンプルだ。
「人間は特別である」と言っているのは必ず人間だから。
知能、文化、手足の器用さ、我々人間からすれば、人間だけが特出している要素はいくつも思い浮かぶ。しかし、それらはただの“差”であって他種族と明確に線引きできる要素にはなり得ないことにも同時に気付くはずだ。
それでも人間だけが特別に見える根本原因は、我々がその立場しか知らないから。その視点でしかものを語れないからだ。結局、日本人が日本人以外を“外国人”と括って言う程度の分類だと思う。
オジーと金髪青年はこの問いを有耶無耶にしたまま後にする。
その直後、ALAの新派だという人物が「最高の皮肉だった」と接触してくる。後にストーリーに絡んでくるキャラなのか、危なっかしい目をしている。
一連のやり取りを横で聞いていたルーシーは、人気のない藪の中にチャーリーを連れ出す。彼女のお気に入りの場所だそうだ。
ルーシーは「ここを出ていった方がいい」とチャーリーに提案する。ALA、そしてそのスティグマ被害を受けているヴィーガン達に対する世間の風当たりが強くなっている今、こんな片田舎では受け入れられづらいというチャーリーの身を案じてのことだった。
しかし、感情が乏しいと思えていたチャーリーだがここで自分の意思表示を見せる。
学校に来れなくなったらつまらない。
冒頭では触れていなかったが、ルーシーと同じような不安を抱いたチャーリーの両親もまた、学校に行かせない方がいいかもしれないと考えていた。しかしそれに対してチャーリーは「学校を続けたい」と2人に告げる。作中で初めて彼自身の欲求が現れたシーンだった。
幼い頃から、チャーリーは外の世界についての知見が乏しかった。本やネットは見れたけれど、それも「遠くから見てるだけ」で、興味は湧かなかった。
しかし学校に通うようになって、様々な個性豊かな人間達を間近で観察できるようなって思った。
君達って面白い。
ヴィーガンやALAがどうとか、なぜ人間だけ特別扱いするのかという議論含め、そういった人間同士のコミュニケーションが全て、チャーリーにとっては刺激であり「面白さ」だった。
学校の帰り、チャーリーを乗せた両親の車を警察がぴったり尾行している。ALAとチャーリーが深い関わりがあるということで、チャーリーの周囲にはこういった警備が付きまとうようになった。
その警察官二人の会話、10年前、数人の警察官を当時5歳のチャーリーが戦闘不能にさせたという話が出る。
チャーリーの人間ともチンパンジーとも説明つかない異様な身体能力は前話から示唆されていたが、それ以前に注目すべきは、チャーリーが人間を襲った事実である。
考えてみれば、人間以外の生物が人間を襲うのはごく当たり前だ。昨今は熊による人身被害が尋常ではない。大海原で船から落ちればサメに食われる。
その「人間以外の生物」に、チャーリーが該当することも充分有り得るということである。
チャーリー出生時は世界中でヒューマンジーブームが巻き起こっていたが、その件以来チャーリーはメディアに出なくなった。「腕利きの女弁護士」の活躍か、この事件は“なかったことにされている”。
一方、ルーシーは帰宅途中にマックスと名乗る男と出くわす。彼はコーンバーグ研究所(チャーリーが出生時から定期検診を受けている施設)に勤めているという。
たまたまチャーリーと仲良くしているところを見かけたことから彼女を呼び止めた。
しかしこの男、かなり不可解な質問を投げる。
「何故ヒューマンジーは存在していると思う?」
意味が分からないといったルーシーに「チャーリーの事をどう思ってるのか聞きたかった」などとすぐさま言い直すが、果たして本当にそうだろうか。
このマックスと名乗った男、前話からALAのリーダーと活動を共にしているように見えるが、物語のキーマンに見える。
この後にルーシーは、チャーリーがコーンバーグ研究所に通い続けているのは本当だが、そのような男は施設には属していないことを知る。
後日ルーシーはその研究所に招待される。そこでチャーリーの生物学上の母親───1話の冒頭で血を流して倒れていたチンパンジー「エバ」と対面する。
【あとがき】
何故ヒューマンジーは存在していると思う?
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