私たちは焦りながら終わるのだろう【その2】
私は結婚して、家も買った。
一見すれば「順調」に見えるだろう。
でも、心の奥には焦りがある。
それは、外から見える“形”とは別の場所でくすぶっている。
「自分は何者なのか」
「何を成し遂げたのか」
そう問われたとき、
私はまだ、うまく答えられない。
確かに安定はある。
生活はまわっている。
でも、“誇り”と呼べるようなものが、まだどこにも見当たらない。
学生時代、
周りには優秀な人がたくさんいた。
彼らと競い合い、同じ土俵に立つことで、
自分の位置が見えてしまった。
「トップにはなれない」
そう、どこかで悟った瞬間があった。
それでも、がむしゃらに努力してきた。
それなりの成果も出した。
でも今振り返ると、それらはすべて「周囲に劣らないための行動」だったように思える。
誰かに追いつくため。
誰かに舐められないため。
誰かに褒められるため。
その“誰か”は、
時に同級生で、
時に上司で、
時にSNSのフォロワー数で可視化された見知らぬ他人だった。
だから、疲れる。
自分を生きているようで、誰かのためにだけ存在しているようで。
⸻
そうして私は、今の会社を選んだ。
優秀な人たちが集まりすぎていない場所。
「飛び抜けた誰か」がいない場所。
そういう場所なら、自分にも“何か”を残せるかもしれないと思った。
でも、ここでもまた気づく。
結局、私の選択は、
「活躍するため」ではなく「埋もれないため」だったのではないかと。
向上心と、逃避心は、
紙一重だ。
それでも、逃げたくなかった。
ただ流されたくなかった。
だから私は、ちゃんと“自分で選ぶ”という行為だけは守ってきた。
それが正解だったかどうかはわからない。
でも、“選んだ”ということだけが、
いまの自分をギリギリ支えている。
⸻
焦りながら、それでも選び続けている。
決して強くはないが、
それでも、立ち止まってはいない。
誰かの正解をなぞるのではなく、
自分にとっての納得を探し続ける。
そうして、いまもこうして、文章を書いている。
でも、ふと我に返る。
何のために?
誰のために?
どこへ向かっている?
答えが見えないままでも、書いている。
それはきっと、自分を保つためだ。
散らばった感情を拾い集め、形にすることで、
今日も、なんとか“まともな人間”として立っていられる。
