「すみません」と言われて、昔の自分が少し見えた
今朝、いつものようにウォーキングをしていました。
途中、少し狭めの道を通ったときのことです。
向こうからご婦人が歩いてきたので、自分が少し端によけて道を譲りました。
すると、すれ違いざまに
「すみませんねぇ」
と言われました。
もちろん、何もおかしなやり取りではありません。
自分だって同じ場面なら、反射的に「すみません」と言うことはあります。
でも、そのときなぜか
「いや、謝るほどのことは何もしてないんだけどな」
と思いました。
ほんの数秒の出来事です。
そのまま歩きながら考えていたら「すみません」という言葉について、少し気になることが出てきました。
「すみません」は、あまり気持ちのいい言葉じゃないのかもしれない
ご婦人が、どんな気持ちで「すみませんねぇ」と言ったのかは分かりません。
単なる挨拶だったかもしれません。
道を譲ってもらったことへの感謝を込めていたのかもしれません。
そこを勝手に想像するつもりはありません。
気になったのは、言われた自分がどう感じたのかでした。
自分としては、ただ道を譲っただけです。
何かを我慢した感覚もない。
迷惑をかけられたとも思っていない。
だから「すみません」と言われても、
「いえいえ」
と思うくらいです。
でも、そのときふと
「そういえば自分も、昔は『すみません』をよく使っていたな」
と思いました。
しかも、自分の場合はかなり重たい意味を乗せていた気がします。
昔の「すみません」は、本当に申し訳なかった
今でも「すみません」という言葉は使います。
長年使ってきたので、クセで出ることもあります。
ただ、今ならそこまで深い意味はありません。
誰かに何かしてもらったとき、意識して言葉にするなら
「ありがとうございます!」
の方が自然だと思います。
でも昔は違いました。
誰かに何かしてもらったときの「すみません」には
「自分みたいな存在のために、お手を煩わせてしまって申し訳ありません」
くらいの意味が乗っていました。
文字にすると、なかなか重いですね(笑)
でも当時は、本当にそんな感覚だったと思います。
親切にしてもらった
助けてもらった
何かを譲ってもらった
本来なら「ありがたい」と受け取ればいい場面でも、その前に
「自分のために相手を動かしてしまった」
という申し訳なさが出てくる。
だから「すみません」になる。
今朝の出来事をきっかけに、そんな昔の自分を思い出しました。
でも、相手は本当に迷惑だったんだろうか
そこで少し考えてみました。
今朝、自分は道を譲りました。
でも、それを負担だとは思っていません。
ほんの少し横によけただけです。
それなのに相手から謝られると
「いや、別に何も悪いことしてないですよ」
と思う。
だったら昔、自分が誰かに何かしてもらって「すみません」と言っていたときも、相手は同じように思っていたことがあったのかもしれません。
自分の中では
「迷惑をかけてしまった」
という大きな出来事になっている。
でも相手からすれば
「いや、このくらい別に」
だったかもしれない。
そう考えると、昔の自分は、相手が実際に感じていた迷惑よりも、自分の中で想像した迷惑を大きくしていた可能性があります。
ただ、当時の自分にそれを伝えても、たぶん無理だったと思います。
「迷惑じゃないよ」と言われても、受け取れなかったと思う
もし昔の自分に誰かが
「別に迷惑じゃないよ」
「そんなに謝らなくていいよ」
と言ってくれたとします。
たぶん自分は
「そう言われましても、私には価値がございませんので」
くらいに思っていたはずです(笑)
今になって見ると、なかなか業が深い。
でも当時は、自分で自分を認められるだけの素地がありませんでした。
だから仕方なかったとも思います。
相手が
「迷惑じゃない」
と言ってくれても、自分の中には
「いや、自分は人に迷惑をかける側の存在だから」
という前提がある。
そうなると、相手がどう感じているかはあまり関係なくなります。
ここまで考えて、昔の自分が何に対して謝っていたのかが、少し違って見えてきました。
相手に謝っていたというより、自分の存在に謝っていたのかもしれない
昔は「すみません」を、相手への気遣いだと思っていました。
相手の手を煩わせた。
相手の時間を使わせた。
だから謝る。
でも今になって考えると、それだけではなかった気がします。
「自分のような存在が、あなたの時間を使ってしまった」
という、自分自身への評価まで入っていた。
だから、実際に相手が迷惑だったかどうかとは関係なく謝ってしまう。
もしかすると自分は
相手に対してというより、自分がそこにいることに対して謝っていた部分もあったのかもしれません。
今朝、ご婦人から「すみませんねぇ」と言われて
「何も悪いことしてないのにな」
と思えたことで、初めてそのことを反対側から見られた気がしました。
言葉が変わったというより、言葉の後ろが変わった
だからといって
「『すみません』はやめて、『ありがとう』と言いましょう」
という話でもないと思っています。
今の自分だって、普通に「すみません」は使います。
狭い道で譲ってもらったときなんかは、クセで出ることもあるでしょう。
たぶん大事なのは、言葉そのものではありません。
昔と今で変わったのは「すみません」の言葉の後ろに何があるかなのだと思います。
昔は
「自分みたいな存在が申し訳ない」
まで乗っていた。
今は、ただの挨拶として「すみません」と言うこともあるし、何かしてもらったら「ありがとうございます」と受け取ることもできる。
同じ「すみません」でも、自分の中ではずいぶん違います。
そして今朝、誰かからその言葉を受け取ったことで
昔の自分も、相手から見ればこんな感じだったのかもしれない
と思いました。
「そんなに申し訳ながらなくてもいいんだけどな」
もちろん、当時の自分には見えなかったと思います。
自分で自分を認める素地がなかった以上、反対側から物事を見る余裕もなかったのでしょう。
だから昔の自分に
「もっと堂々としていればよかったのに」
とも思いません。
あのときは、あの位置からしか見えなかった。
今になって、たまたま反対側に立つ機会があって
「こっちから見ると、こうだったのか」
と気づいただけです。
朝の狭い道で、ほんの数秒だけ交わした
「すみませんねぇ」
その一言から、昔の自分が見ていた景色と、今の自分から見える景色が、少し違っていることに気づきました。
今でもクセで「すみません」と言うことはあると思います。
でも少なくとも、その後ろに
「私のような存在が誠に申し訳ございません」
までは、もう付いてこない。
そう考えると、言葉遣い以上に、その変化の方が自分にとっては大きいのかもしれません。
いつも読んでいただき、ありがとうございます。
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