曲解・匿名ユーエンミー
注:これは歌詞や言葉をこねくり回して「もしこうだったら面白れぇな」「こんな見方ができたらどうだろう」という妄想的解釈を広げるいちオタクの戯言です。間違っても「実はこうやって読み解くべき歌だったんだよ!」「な、なんだってー!」がしたいわけじゃないです。ご承知おきください。ゆるして。
隕石が「ある話」とされる現実との乖離感。
わかっている、元ネタとしてのトークもあるし、あくまでifの世界の話。
しかし現実の私たちの世界には隕石は落ちてこない。
ただ、たとえばこれを"ミサイル"に置き換えたら、途端に「ある話」としての解像度があがるのではないか。
そうなった時、「ある話」の現実に対して「ない話」を続けようというのは現実の直視を拒む逃避なのか、あるいは"パンとサーカス"におけるサーカスのような、娯楽による"目隠し"なのか。
そうではなく「ない話」の想像力を持ってして、現実に向かっていって楽しんで乗り切ってやろう、隣人との会話を続けよう、相反する立場や考えの相手と面白いアイデアを出し合ってまだ見ぬワクワクを創造/想像しよう、そういう愛と未来を信じた「人間讃歌」なのではないか。
◆
改めて聴き返すと「隕石」はもっと普遍的で個人的なことにも置き換えられるかもしれない。
まるで天変地異のような、もう(あなたの)世界が滅んでしまうかのような最悪なことがあったとしても、
愉快な2人はどこかで面白おかしい怪電波を飛ばし続けているから、だからまずは来週まで生きて、来週の「ない話」を楽しもうかなって考えてみてよ、よかったら。勝手な解釈ではあるが、そうも受け取れる。かもしれない。
インターネットに繋がってなくてもいい。
"気づけば過ぎ去っていた月日"を伴走したリスナーたちの心の中には「ない話」を楽しめるARuFaと恐山の魂が分けられて宿っている。そんなリスナーたちがこの世界に遍在している。ひとりじゃないんだ。
"滅びゆく現実"と戦わなくたっていい、まずは来週、気が向けば来週まで生きてみよう。
大丈夫、"世界"が消え去っても未来はあるよ。
曲解だとわかっていても、そんなメッセージを勝手に受け取ってしまう。
いぇーーーーーーーい!!!
