「ディズニーに通いたい!」けん、岡山から上京した。
嘘みたいな話をするんだけど、ディズニーが好きすぎた10代の頃の私と友達は、DAISOで買った光るおもちゃやら、ライブで使うペンライトを光らせ、夜の公園でエレクトリカルパレードの音源を流しながら、手を振りながら歩く遊びをしていた。

……えぇ、やべぇやつ……今書きながら驚いている。文章にするとやばい、いや、文章にしなくてもやばい。この頃よく親に「警察に捕まるなよ」って言われてた意味が、やっとわかった気がする()
ある時、東京の人は”放課後ディズニー”という遊び方があるらしいということを知って「なんて天国に生まれたんだ、そこの人たちは」と思いながら、私達は公園でペンラ振ってました。

高専卒業に向けて、個人的には”就活”というより”東京に住むために仕事を探す活動”をしていた。ディズニーの年パスを買って、ディズニーに通う夢のような暮らしがしてみたい!東京で仕事探す!そんな二十歳の私の記録。
はたちの私、ディズニーのため上京する。
📖ディズニー好きな岡山の学生ライフ

小さい頃は、気づいた頃には”ディズニーランド=いつか行ってみたい場所”だった。
小学校6年生の頃、親が仕事から帰ってきて「はい」と一言、ディズニーランドのガイドブックを渡してきた。「…え!?え!?!?!?!?」初めてのディズニーランド。今となっては全然記憶がない(カリブの海賊が怖かったぐらい)けれど、その時からディズニーが好きだったな〜〜〜。とはいえ、遠すぎて、今の感覚的に置き換えると海外に行く!という心構えぐらいの距離感だった。

中学になってからできた友達(冒頭の一緒に光っていた子)にテスト期間『ハッピーハロウィーンハーベスト』というパレードの音源をおすすめされ、聴いて、パレードにハマる。
とはいえ現地には行けないので、いろんな過去のショーやらパレードの音源を聴き漁り、一度しかインパしたことがないくせに、YouTubeに投稿されている過去のショーパレ音源は、ほぼ歌えるようになる。
さて、光りながら公園で歩くだけでとどまるわけがなく。


こんなことばかりしていた。そんな私達、お互い高専・大学に進学してからというもの、ついに……インパーーーーク!



と〜〜〜〜〜〜〜っても幸せだった。コスパ最強のディズニー遊びで岡山を満喫していた私達。そりゃ楽しいに決まっている。

さて、ここから私はディズニーに通うべく、東京で仕事を探します。就活就活っ
💻「ディズニー好き高専生な私」の就活

まず、高専生の一般的進路は工業系の会社に就職すること、そりゃそうだ、そういう学校だもの。ただ、私が高専に入学して唯一学んだこと「私は工業系わかんない!理系やっぱ無理!絶対工業系では働かない!」これに気づくために、私は高専に入学したらしい。「パソコンできたらかっこいい」なんて理由で入学するから……。
ただ、唯一、合同説明会で興味がある会社があった。ディズニーリゾート内のアトラクションのメンテナンスをする会社。説明を聞いて、わくわくして、募集要項には”機械科、電気科の募集”だったにもかかわらず、私は会社の説明会にも行ったし、面接にも行った(私は情報科です☆)
一応聞いたよ「情報科なんですけどいいですか」って。「いいですよ!」って言われたからさ。まあ結局落ちたんだけど、初めてオリエンタルランドの本社の中に入れたりと、経験的にはとても最強イベントだった。
それからはもう、とりあえず東京の仕事を探す。東京で就活するために、夜行バスを毎週乗り回し、合間にディズニーも楽しみ、何をしているのかよくわからない数ヶ月を過ごした。


就活の記憶より、東京で遊んだ記憶のほうがでかい。
🏠職場とディズニーの間に家を借りる。

違う
さて、ここまでで分かる通り、とても適当な就活をしていた私。とりあえず東京だったら何でもよかった。最終的には7ヶ月で辞めちゃう仕事を選んだんだけど、東京に住めることは確定した。(適当に探すから)
さて、家探し。職場は大門(浜松町)。休日は舞浜。「家の場所の候補ありますか?」「舞浜と大門の中間地点あたり、ありますか……」の結果の、四ツ木(葛飾区)。
本当は青砥も候補に上がっていて「青砥の方がディズニー近いですよ」という言葉に必死で、必死で、超〜〜〜〜必死で理性を保ち、四ツ木にした。だって週5で働くからね……割合的には。
☀️死にかけの仕事、真夏のディズニーランド
さて、今となっては本当に何故かホームページの営業職を選んだ私。毎日死んでた。本当に死んでた。唯一の楽しみ、ディズニーランドへ行く。
私がわかりやすいぐらい病んでいて、隣に座っていた40代のおじさん先輩が「初めてアポ取れたらチケット買ってあげるよ、それまで頑張れ」と。

ん〜〜〜〜〜〜ディズニーのため。とったぜ、自力でアポ。

は〜〜〜〜〜神様〜〜〜〜〜〜。
この頃は『オー!サマー・バンザイ!』(というキャッスルショー)時代で、19時に仕事が終わり、走って駅まで行けばぎりっぎり舞浜に着いて、オーサマーもしくはパーティグラのラス回を外からみえる、頃。平日は週1〜2で走ってた。

仕事内容があっていないだけで、職場自体は楽しく。先輩たちとインパしたり、同期ともインパしたりしていた夏。
🏰給料で買った、夢の年パスライフ
さてさてさて、ついに夏、年パスゲット。就職して3ヶ月が経ち、給料で初めて買った、どでかい買い物。約10万円。

岡山時代と比べたら、夢のディズニーランドが近所にあって、年パスも持っていて、これぞ天国。夢。仕事以外。




たくさん、たくさん楽しんだ。これのために東京へ来たんだもの。それからというもの、仕事は辞めたけれど、ディズニーに遊びにいくことで保つメンタル。
そんなこんなで、コロナ禍突入。
🦠コロナでさよなら、ディズニーライフ

ベリミニライフが始まり、もう超〜〜〜〜可愛くて、それでもショーベースが当たらなすぎた私は「毎日インパしよう」と決意した。
ある日、シーにインパしていて、トレイルに並んでいた。そんなとき”ディズニーランド休園”のニュース。嘘やん。涙のトレイルとなる(´・ω・`)
ここでまたまた登場、友達。私の家に長期で泊まりにきてくれたんだけど、今写真を見返すとやはりおかしい。


わたしたちはきっと、ディズニーに行けない期間や場所にいるときのほうが、楽しめているのではないかと思う()
夜、カチューシャを付けて、おそろいのニットを着て、過去のTodayで遊ぶ時間。一緒にいるときは基本ディズニーの何かしらの音源を流して、二人して踊りながら全力で歌うことが好きだったから、この写真のときもきっと何かしら流れているんだろう。
ちなみにパークが休園している間は、園外をしっかり楽しみました。



そんなこんなで、久しぶりの開園。

ディズニーに、少なくとも前より慣れてきてしまっていた私は、ディズニーの大切さ(?)を再び実感した。


コロナ禍明け、年パスの復活がなかったことをきっかけに、私はディズニー通いをやめた。
もともと行けることが夢!みたいな感じだったから、一生分楽しんだんだと思う。のと、年パスの楽しみ方を知ってしまったのもあり、チケット1枚買って、丸1日全力で楽しむ!というメンタルというかモチベーションというか、そういうのがどこかへいってしまった。

とはいえ、夢は叶った!最高の日々だった、東京ライフ!大満足です。
大満喫ディズニーライフ!さらば舞浜!

ディズニーランドがなかったら、私はどこで就活していたんだろう、と思う。実際東京に住んでみて、心の底から「一回、東京での暮らし経験してみてよかった〜〜」と思うから、ありがたい、ディズニーがいてくれてよかった(?)。
次インパするのはいつかなぁ、パーティグラが復活したらかなぁ(まだ消えてないよね……!?)
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