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映画名無し


【名前 山田太郎・花子】

原作は読んでいないし、事前情報も一切入れずに観た作品だったんだけど、山田太郎と花子に名前がつけられるシーンだけはどうしても気になって、あとからその部分だけ原作を調べてみた。

映画では、照夫が戸籍に登録するために“とりあえず”つけたように見えたけど、原作では照夫が好きな漫画のキャラクターから取った名前らしい。

この作品では“名前”が命に関わるほど重大な意味を持っている。
だからこそ、あのシーンがあまりにもあっけなく感じて、ずっと引っかかっていた。

もちろん映画では権利など色々な事情もあったんだろうな…とは思う。でも、やっぱり名前を与えるシーンはもう少し丁寧に描いてほしかった気持ちもある。

花子は自分の名前を気に入っていた様子だったけど、太郎は困惑しているような、関心のないような感じに見えた。

「太郎」と呼ばれても反応していなかったから自分の名前を認識してしまう恐怖もあったのかな。

そして、照夫って名前素敵だよね。
まさに真っ暗闇を照らすような人だったな。

丸ちゃん適役すぎる。

山田太郎が照夫に見つけられたとき、右手にはコードが巻かれていた。
そして、誰なのかも分からない花子にご飯をあげていた。

山田太郎と花子の出会い、山田太郎がいつこの能力に気付いたのか、生まれた時はどうだったのか、両親はどこにいるのか…。

気になることはたくさんあるのに、物語はどんどん進んでいく。

もしかすると、山田太郎の親も同じ能力を持っていたのかもしれない。
そう考えると、“名前をつけられなかったこと”は、ある意味では愛情だったとも捉えられる気がした。

【神様・宗教】


この作品で1番気になったのは、“神様”や“宗教”の描かれ方だった。

物語は、山田太郎が喫茶店で宗教の勧誘(?)をされるシーンから始まる。 

また、照夫が山田太郎を見つけた場所の近くにも宗教的な言葉が書かれていた(何て書いてあったかは忘れてしまったけど…💦)。

そして何度も出てくる「神様」という言葉。

特に印象的だったのが、山田太郎の

「もし暇してるなら、神様、僕と手を繋ごうよ」

というセリフ。

山田太郎がはっきりと言葉を話したシーンだったこともあって、かなり緊張感が走った。

神様に対して言葉をかけるなら、「助けて」や「お願い」が先に来そうなのに、山田太郎は「手を繋ごう」と言う。

“手を繋ぐ”という行為は、人と人との繋がりを象徴する大切なスキンシップだと思う。

そして、“名前を呼ぶ”ことも同じように、人との繋がりに欠かせないもの。

でも、“神様”は固有名詞ではなく、名前ではない。

この作品では“名前”に強い力が宿っているのに、“神様”はその枠の外にいる存在のように感じた。

だから山田太郎が神様と手を繋いでも、何かが起こるわけではない。

照夫の「空は繋がっている」という言葉を思い出して空に手を伸ばしていた山田太郎。

山田太郎は、“人間”と繋がることを諦めて、目には見えない存在である“神様”と繋がろうとしていたのかな、と感じた。

神様に「手を繋ごう」と語りかける姿からは、山田太郎の孤独が痛いほど伝わってきて、本当に辛かった。

きっと山田太郎は、誰よりも“繋がり”を求めていた人だったんだと思う。

また、“もし暇してるなら”という言葉には、山田太郎が神様をどう捉えているのかが詰まっている気がする。

“暇してるなら”という言葉は、
「余裕があったら」
「無理じゃなければ」
とか相手に強く期待しない言い方でもある。

絶対的に信じているわけでもない。
でも、完全には否定できない。

山田太郎にとって“神様”は救いというより、もしかしたら繋がれるかもしれない希望だったのかもしれない。

あと、神様を信じていないような発言をしていた国枝刑事。
空を黒く塗っていたことや、どこか闇を抱えているように見えた点を考えると、山田太郎と似た部分を持っていたのかもしれないなと感じた。

【空は繋がっている】


この物語の核とも言える言葉。

照夫が山田太郎に言った
「空は繋がっている」。

山田太郎は、何度も空に向かって手を伸ばす。
その行動から、誰よりも強く“繋がり”を求めていたことが伝わってきた。

人と繋がることはできなくても、空や、目には見えない存在(神様)となら繋がれるかもしれない。

山田太郎にとって、この言葉は希望だったんだと思う。

また、この映画は下から人物を映すカメラワークが多かったように感じた。

山田太郎と空が同じ画角に映るたびに、こんなにも近くに見える空と、それでも繋がることのできないもどかしさを感じた。

きっと山田太郎も、同じ気持ちだったのかなと思った。

【右手の三原則】


①右手が触れたものは、全て消える
②右手で触れられたら、命も消える
③名前を知らなければ消すことはできない

③のルールが明確になったのは、施設での花や犬のシーン。

花子が花の名前を太郎に伝え、太郎が触れると花が枯れる。
犬を撫でている途中で名前を知り、その犬は亡くなる。

“人間”だけではなく、植物や動物など、“命が宿っているもの全て”にルールが適用されることが視覚化されていて、本当にゾッとした。

【12/8】


山田太郎と花子の間に子どもを授かるシーン。

希望と絶望が同時に詰め込まれていて、どのシーンよりも心が動いた。

山田太郎が幸せそうに働いたり、子どもの名前を考えたりしている姿が本当に愛おしかった。

部屋に花が飾られていたり、表情が柔らかくなっていたり…。
山田太郎が“人と繋がること”に希望を持ち始めていたことが伝わってきた。

だからこそ、花子が「山田太郎のような人間を産むかもしれない」という恐怖に耐えきれず去ってしまうのが苦しかった。

予定日だった12/8に毎年ケーキを買ってお祝いしていた山田太郎。
でも、ネームプレートには名前がない。

そして花子との再会。

花子は「堕した」と伝える。
でも実際には、子どもを産んでいた。

これは子どものためでもあるけど、同時に山田太郎のためでもあったのかなと思う。

“人との繋がり”を知ってしまった山田太郎は、きっとその分だけ苦しむ。

自分の大切な人を、自分自身が傷つけてしまうかもしれないから。

このシーン、本当に苦しかった。

山田太郎が花子の遺体やケーキ、オルゴールメリーを残していたのは、どこかで“繋がり”を感じていたかったからなのか、それともただ関心が薄かっただけなのか…。

あと個人的に気になったのは、序盤で山田太郎がオルゴールメリーを触ったり離したりしていたシーン。

あの行動には、どんな意味があったんだろう。

【無差別・繋がり】


自分が育った施設に銃を持って向かう山田太郎。

一見すると無差別殺人のように見える。
でも、お世話になった人や、犬のぬいぐるみを落とした子どもは撃っていなかった。

その姿を見て、“無差別”に見えて、実際はそうではなかったのかなと感じた。

山田太郎は、自分と少しでも“繋がり”があった人には手を下せなかった。

ここでもやっぱり、この作品の中心にあるのは“繋がり”なんだと思った。

そして、国枝刑事が照夫の息子・アツシだと知る山田太郎。

国枝刑事が山田太郎に向かって
「クソだ」
と言ったシーンが、個人的に1番涙が出た。

国枝刑事は、山田太郎の幼少期を知っている。
そして、今の犯行も知っている。

それはつまり、“山田太郎という存在を知っている人”ということ。

この作品では、“知ること”そのものが繋がりとして描かれているように感じる。

だからこそ、あの瞬間の山田太郎の表情が少し柔らかく見えたのが印象的だった。

“繋がり”を感じたんだと思う。

【子ども】


ラストシーンでは、山田太郎と花子の子どもが登場する。

どうやらこの子どもには、山田太郎の持つ“凶器”が見えている。

この作品では、凶器が見えるシーンは全て何かに反射して可視化されていた。
(鏡、メガネ、水面など)

つまり、ラストで山田太郎の凶器が見えているということは、“山田太郎を映し出せる存在”だということ。

その子どもが10歳だと確認したあと、山田太郎は

「絶対に名前を言うな」

と言う。

本当は、自分が考えていた名前を呼びたかったはず。
名前を呼んで、確かめたかったはず。

でも、名前を知ってしまえば、その子に危険が及ぶ。

だから山田太郎は、“名前”ではなく“年齢”で確認する。

そこに、親としての愛情を感じた。

そして最後に、

「もし暇してるなら、神様、僕と手を繋ごうよ」

と言いながら、息子と手を繋ぐ山田太郎。

そのまま血の涙を流して亡くなる。

ずっと“繋がり”を求め続けていた山田太郎が、最期に辿り着いた繋がり。

そして最後、子どもが空に向かって唾を吐くシーンで物語は終わる。

山田太郎は、何度も空に向かって手を伸ばしていた。でも息子は、空に唾を吐く。

この対比がすごく印象的だった。

山田太郎は、空や神様のような“目には見えないもの”に希望を求めていた。

でも息子は、それを最初から拒絶しているようにも見える。

ただ、逆に言えば、それは“山田太郎のように空へ救いを求めなくても生きていける”という可能性にも見えた。

どうかこの子が、“名もなき怪物”にならない世界で生きていけますように。

そんなことを願いながら、Novel Coreの「名前」を聴いた。

【表情】

この作品は、主人公・山田太郎のセリフ量が圧倒的に少ない。

だからこそ、動作や表情、視覚的な情報から感情を読み取っていく必要がある作品だったように感じる。

個人的に印象的だったのは、山田太郎が犬を亡くしたあとから見せる、鼻のあたりをピクピク動かす表情。

最初は癖なのかなと思っていたけど、物語を追ううちに、山田太郎は苦しい時や辛い時にあの表情をしているのかな、と感じた。

無差別殺人のシーンでも同じように鼻をピクピクさせていた。

もちろん許される行為ではない。
でも、山田太郎自身も苦しみながらあの行動をしていたように見えてしまった。

そして、子どもを授かったシーンでは、山田太郎が本当に幸せそうな表情を見せる。

あんなふうに穏やかに笑える人だったんだ、と知ってしまったからこそ、その後のピクピクした表情がより苦しく感じた。

セリフが少ない作品だからこそ、山田太郎の表情一つひとつに感情が詰まっていたように思う。

【この作品においての残虐】

この作品には、残虐なシーンが数多く登場する。

多くの人が亡くなり、大量の血が流れる。
感情移入してしまう展開も多く、観ていてかなり苦しかった。

でも、この作品で本当に残酷だったのは、そこではない気がする。

誰よりも“人との繋がり”を求めている人間が、人と繋がることを諦めなければならない。

その現実こそが、この作品における最大の残酷さだったように感じた。

人に触れることができない。
名前を知ることすら恐れなければならない。

山田太郎は、最初から無差別殺人をするような人ではなかった。

名前も知らない女の子にご飯をあげていた。
犬が亡くなれば悲しんでいた。
照夫の言葉に希望を見出していた。
新しい命が宿れば、心から喜んでいた。

そんな、“繋がりたい”と願っていた人間が、人との繋がりそのものを諦めなければならない。

それが、この作品で何よりも苦しかった。







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