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【宮崎】堀川国広の故郷へ。神話が息づく宮崎で巡る刀剣ゆかりの旅〜宮崎①宮崎市周辺〜

天孫降臨伝説の地、宮崎県。
神話の里として知られる宮崎にやってきました!
海がきれいなところだなー!!
ずっと行ってみたかった神社なども多いので、とても楽しみです!

宮崎の刀工・堀川国広に縁のある堀川派の三振
脇差の堀川国広

今回は宮崎県総合博物館にて開催された「歴史入替展『國廣の脇指』」にも行ってみたいと思います。




神話の舞台・宮崎


宮崎は神話の里とも呼ばれているように、神話のエピソードの舞台になっているところが多くあります。

ちなみに日本の神話がまとめられている書物といえば、古事記と日本書紀ですが、下記のような違いがあります。
国内に向けた書物が古事記、国際的にかかわりのある外国に向けた書物が日本書紀になるんですね。なるほど。

図引用:https://hiizurukuni.com/kojiki_nihonsyoki/

日本書紀と編纂した舎人親王は、鶴丸国永の写しを所蔵している藤森神社に祀られているご祭神でもありますね。

今回は国内向けの古事記のエピソードを中心に見ていきたいと思います。

さて、日本の神話は3つのパートに分けられており「天高原神話」「出雲神話」「日向神話」になるとのこと。
このうち天孫降臨から神武天皇の東征までが「日向神話」になり、その舞台になった場所といわれるところが宮崎にはたくさんあります。
まさに「聖地巡礼」が可能なところ。神話に出てくる場所に実際に行けるなんて、わくわくするなあ~!

引用:https://www.miyazaki-city.tourism.or.jp/downloads/media/935

九州の誕生

まず「高天原神話」の始まりは、天地開闢(てんちかいびゃく)と神々の誕生のお話。
九州は4番目に生まれた国で、一つの体に4つの顔を持つ島と記されています。
神話に現実的というのもなんですが…まあ現実的に考えれば、山や川など自然の地形で区切られた4つの文化圏があったのではないか?と考えられます。

淡路島・伊予之二名島(四国)・隠岐諸島の次に4つの顔を持つ筑紫島(九州)を生みます。顔はそれぞれ筑紫国、豊国、肥国、熊曾国といいます。(略)
次に筑紫島を生んだ。この島もまた、身体は一つだが顔が四つあり、それぞれの顔に名前がある。すなわち、

  筑紫国(つくしのくに)を白日別(しらひわけ)といい、
  豊国(とよのくに)を豊日別(とよひわけ)といい、
  肥国(ひのくに)を建日向日豊久士比泥別(たけひむかひとよくじひねわけ)といい、
  熊曾国(くまそのくに)を建日別(たけひわけ)という。

https://kojiki.ys-ray.com/1_3_1_kuniumi_2.html

宮崎県は鹿児島県と同じ「熊曾国(くまそのくに)」に含まれますね。

その後、奈良時代になり律令制度が定められると、「熊曾国(くまそのくに)」は「薩摩国」と「日向国」に分けられます。
この日向国のエリアが、ほぼほぼ今の宮崎県になります。


禊と三貴子誕生

日本の国土と神々を生んでいった伊邪那岐命と伊邪那美命の二柱。
その後、黄泉の国に旅立ってしまった伊邪那美命に会いに、伊邪那岐命が会いに行くお話がありますが…
結局二柱は「千引の石」を挟んで別離の誓いを行い、黄泉比良坂はふさがれることになります。

ちなみにこの時、二柱の仲裁に入った神が石川県・白山比咩神社のご祭神・白山比咩大神=菊理媛尊といわれています。
だから縁結びの神社なんですね。

https://www.shirayama.or.jp/

伊邪那岐命が黄泉の国から帰還された際、禊を行ったところが、日向国の橘の小戸の阿波岐原。江田神社があるところがその一つと言われています。

江田神社
みそぎ池

天照大御神(アマテラスオオミカミ)・月読命(ツクヨミノミコト)・建速須佐之男命(タケハヤスサノオノミコト)の天照三貴子(みはしらのうずのみこ)が誕生した場所でもありますね。

祓言葉にも「筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に…」と記載があります。

当社の鎮座する阿波岐原は、伊邪那岐尊が黄泉の国から帰還された際に穢れた身心を清める為に「禊」(みそぎ)を行われたとされる伝承地であります。
阿波岐原の地名は、神事初めにお祓いのときに奏上される祓詞(はらえことば)にも記載があります。
祓 詞
「かけまくも畏き伊邪那岐大神 筑紫の日向の橘の小戸の阿波岐原に禊祓給ひし時になりませる大神…」
また隣接する市民の森には、禊をされた「御池」(みそぎ池)があります。

https://edajinja.com/about.php

とはいえこちらも複数説があり、大淀川の近くにある小戸神社も「小戸の阿波岐原」と言われていますので、これもまた人々の信仰の数だけ説があるのかもしれませんね。


天岩戸

天岩戸のお話は、高天原での須佐之男命の乱暴により天照大神が天岩戸に隠れ、世界が闇に包まれることに。困った神々が計略で天照大神が再び姿を現し、光が戻るという内容になります。

この天照大神がこもった天岩戸や神々が相談を行った天安河原があるのが、高千穂町にある天岩戸神社と言われています。

天岩戸神社 西本宮
天安河原宮
高千穂神楽30番 戸取
高千穂神楽29番 鈿女

天岩戸伝説も有名なためか、宮崎に限らず伊勢や全国各地に「天岩戸」と呼ばれる場所が存在するようです。これもどこが神話の場所?というより、人々の信仰する場所がたくさんあるということなんでしょうね。



出雲神話

その後、須佐之男命を中心とした「出雲神話」のパートに入っていきます。
有名な「八岐大蛇退治」や大国主神が主人公の「因幡の白兎」、さらに「国譲り」までがそれに該当します。


日向神話

そして、天孫降臨から宮崎を舞台にした「日向神話」に入っていきます。
「日向神話」は、主に日向の地に住んだ三代の神々<日向三代>の物語をさします。
古事記・日本書紀にも登場するお話ですが、それぞれ大まかに下記の3つになります。

①瓊瓊杵尊(ニニギノミコト)の「天孫降臨伝説」:木花神社
②火遠理命(ホオリノミコト)と火照命(ホデリノミコト)の「海幸山幸伝説」:青島神社
③鸕鶿草葺不合尊(ウガヤフキアエズノミコト)の誕生:鵜戸神宮

引用:https://www.miyazaki-city.tourism.or.jp/downloads/media/935


天孫降臨

天照の孫・瓊瓊杵尊が日向(高千穂)に降臨。 三種の神器を携え、地上統治の基盤を築きます。
瓊瓊杵尊の天孫降臨の舞台となったのは、鹿児島と宮崎の間にある高千穂峰。
「雲に聳ゆる高千穂の…」で始まる「紀元節」にもうたわれていますね、

高千穂峰がある霧島連山

高千穂峰の頂上には、日本三奇の一つ「天の逆鉾」が突き刺さっていますが、これは瓊瓊杵尊が天孫降臨した際に、突き刺した鉾と言われています。

また高千穂峰の登山口には約770年前に霧島神宮があったという古宮址もあります。天孫降臨の由緒ある場所なんですね~。

引用:https://www.env.go.jp/nature/nationalparks/list/kirishima-kinkowan/course/02/

ちなみに、この時道案内を申し出た神様が猿田彦大神。
伊勢の猿田彦神社に祀られている神様です。
天孫降臨後は、天岩戸でも活躍した天宇受売命(あめのうずめのみこと)と結婚し、伊勢で暮らすことになります。
天宇受売命は佐瑠女君の称号を与えられ、一緒の境内に祀られているようです。
なんだかおしどり夫婦な感じの神様たちで、エピソード聞いてるだけでほっこりしますね。

猿田彦神社
佐瑠女神社


海幸彦・山幸彦

兄・海幸彦の釣り針を失くした山幸彦が海神の宮へ行き、 海神の娘と結婚し、釣り針を取り戻して兄を従える、という「浦島太郎」の原型ともいわれる昔話。
この舞台も宮崎にあり、海幸彦=火照命、山幸彦=火遠理命と言われています。

この兄弟は瓊瓊杵尊と木花之佐久夜毘売の息子たちですが、生まれる時のお話もなかなかのエピソードがあります。
父親の瓊瓊杵尊は妻・木花之佐久夜毘売との「一夜の契り」を疑ったため、
疑いを晴らすため「天津神である邇邇芸命の本当の子なら何があっても無事に産めるはず」と、産屋に火を放ってその中で出産したとのこと。
この火中出産の場も、宮崎市内の木花地区にある木花神社であるといわれています。

木花神社

火の中から、無事3柱の神が誕生。
第一子が火が盛んに燃え始めるときにうまれた火照命(ホデリ=海幸彦)、
第二子が火がさらに勢いよく燃え立つときに生まれた火須勢理命(ホスセリ)、
第三子が火の勢いが弱まるときに生まれた火遠理命(ホオリ=山幸彦)と名付けられます。
生まれたタイミングの火の勢いにちなんで名づけられているんですね。
別の説では、もともとは稲穂の実様子からつけられたとの説もあるようです。神様の名前はいろんな意味があって興味深いです。

さて成長した山幸彦こと火遠理命が無事海積宮から帰還し、兄・火照命との争いを治めた後、宮殿を構えたところが青島神社になります。
きれいな海の中にある島に鎮座しており、南国の珍しい植物に囲まれた神社です。

青島神社
写真引用:https://mppf.or.jp/marugoto_bougain/01/2_02.html

ちなみに青島神社の島内にある亜熱帯性植物群落は、国の特別天然記念物にも指定されています。



鵜葺草葺不合命の誕生

火遠理命と海神の娘・豊玉毘売の息子として生まれた鵜葺草葺不合命(ウガヤフキアヘズ)。
なんか今までの神様の名前ともちょっと違う、しかも長いお名前。
こちらも生まれた時のエピソードにちなんで名づけられているとのことです。

火遠理命(山佐知毘古)と海神の娘・豊玉毘売との間に生まれた子。海辺の波打ち際(なぎさ)に鵜の羽を葺いて産屋を作ったが、まだ葺き終わらないうちに豊玉毘売が急に産気づき、生まれた。豊玉毘売から、もとの国の姿(八尋わに)になって生むため、姿を見ないで欲しいと請われた火遠理命だったが、禁を破って垣間見をしたことにより、離別することとなる。叔母である玉依毘売命を娶り、五瀬命、稲氷命、御毛沼命、若御毛沼命(豊御毛沼命・神倭伊波礼毘古命=神武天皇)をもうける。

https://kojiki.kokugakuin.ac.jp/shinmei/amatsuhitakahikonagisatakeukayafukiaezunomikoto/

この鵜葺草葺不合命の息子の一人が神倭伊波礼毘古命(カムヤマトイワレビコノミコト)。
のちの初代天皇・神武天皇になります。

日向神話の神々の系図

しかし…天孫降臨以降の日向神話の神様たちの系図を見ると、とても不思議な家系図。

瓊瓊杵尊の曽祖父と木花之佐久夜毘売の父方祖父は、同じ伊邪那岐命。
火遠理命の后は母方の従叔母の豊玉毘売。
鵜葺草葺不合命の后は母方からみると叔母、父方から見ると従祖叔母の玉依毘売。
息子の神倭伊波礼毘古命(神武天皇)の后は、海幸彦=火照命の娘・吾平津媛(アヒラツヒメ)。父方から見ると再従姉妹、母方から見ると再従兄弟の娘にあたるんですね。
ややこしいなあ。

とはいえ、天照大神など伊邪那岐命の禊で生まれた神様たちもいるし、瓊瓊杵尊の父・天忍穂耳尊(アメノオシホミミ)は天照大神と須佐之男命の誓約で生まれた神様もいるしで、厳密に近い親族とも言えないんですが…。
それでも高天原神話の頃からみると、イメージ的には人間の家系図に近い感じになってきてはいますね。

画像引用:https://www.town.takaharu.lg.jp/soshiki/34/1300.html

さて、神倭伊波礼毘古命は今の宮崎の高原町で生まれ育ったそう。天孫降臨の地・高千穂峰への宮崎側の登山口・天孫降臨登山口もあるところですね。
狭野神社や皇子原・皇子原神社など、ゆかりの地があります。
15歳の時に今の宮崎神宮へ初の皇居を建設、45歳になってから兄弟たちとともにもっと国を治めるにふさわしい土地を求め美々津の港から出発し東に向かいます。

その後、奈良周辺を統治していた那賀須泥毘古(ナガスネヒコ)を滅ぼした後に、橿原の地に都を開くまでのお話が「神武東征」になります。

ルートはこんな感じ。こんなにあちこちよりながら、奈良まで向かったんですね。立ち寄った場所のほとんどに神社が建てられています。

引用:https://jinja-net.jp/jinja-shi/gyoumu06.html

宇佐に逗留した際には、その地を治める菟狭津彦(ウサツヒコ)・菟狭津媛(ウサツヒメ)が一柱謄宮(足一謄宮・アシヒトツアガリノミヤ)を建てもてなしたとのこと。
その宮の跡が今でも宇佐神宮の境内に残っています。

一柱謄宮跡

↓↓刀剣にもゆかりのある、宇佐神宮への旅はこちら

ちなみに、実在がほぼ確定とされるのは第二十六代の継体天皇。
450~500年頃の古墳時代の人物で、福井市の足羽山に銅像が建っているあの方ですね。

継体天皇像

↓↓継体天皇の故郷・福井の旅はこちら

さらに、安閑・宣化・欽明・敏達・用明・崇峻・推古天皇までの記述が「古事記」には記されています。
推古天皇の時代というと、大体聖徳太子の活躍した飛鳥時代の初め頃ですね。
天地の始まりから飛鳥時代の幕開けまで。神話というのは長い長いお話だなあ~。


日向国の刀工ー堀川国広

ちなみに今回の宮崎旅の目的の一つは、宮崎県博物館に展示されている「堀川國広」の脇差を見ることでした。
宮崎の綾町生まれの方だったんですね。
高さ142m長さ250mの綾の照葉大吊橋など、雄大な綾川渓谷のパノラマが広がる自然豊かな町です。
綾城跡にたつ歴史資料館には、田中国広資料館があり、そこにも堀川国広の作った刀剣が展示されているそうです。

田中国広
戦国大名伊東氏領の綾古屋(宮崎県綾町入野)に1531年?に生まれました。1576年から1612年までの作刀が確認されており、11口が重文分に指定されています。主家の伊東氏が島津氏に敗れ没落した1573~92年から諸国を巡り、作刀に精進しながら足利学校(栃木県)に入学して修験道や兵法の研究をしました。その後、豊臣秀吉の重臣石田三成に仕え、1573~92年には島津氏領都城の検地に従事しています。そして再び、飫肥に封ぜられた伊東祐兵に招かれ、三成の許しを得て再び伊東家に仕えました。1599年頃から京都一条堀川で作刀に励み、新刀界の第一人者と称され堀川国広と呼ばれました。国貞など多くの名工を育て、1614年死去。没年齢は一説には84歳であったとされています。受領名は信濃守と言います。

https://obijyo.com/history/toukou/
綾城
写真引用:https://www.miyazaki-city.tourism.or.jp/spot/10052
綾の照葉大吊橋
写真引用:https://www.kanko-miyazaki.jp/spot/1004

堀川国広が、戦国時代末期に足利学校で山姥切国広を作成したことについては、刀剣乱舞のユーザーにもよく知られていますね。

足利学校
足利学校 北庭園

江戸時代からは、再度伊東氏の飫肥藩のお抱え刀工になり、京都で作刀に励みます。
ちなみに伊東氏は「曽我兄弟の仇討」で兄弟の敵役になる工藤祐経を祖とする一族。お隣、鹿児島の島津氏と同じように、鎌倉時代から宮崎の地頭に任命された一族です。

三国群雄割拠図など
島津・伊東の領地がわかる資料が展示されています。
(宮崎県総合博物館)
伊東家家系図レプリカ(宮崎県総合博物館)

また戦国時代の当主・伊東義祐の歌碑が、宮崎市役所の近くに立っています。
伊東義祐は木崎原の戦いにて島津義弘と戦い、敗戦後、領地を失い豊後の大友宗麟のもとに落ち延びることとなります。こんな感じの和歌を詠む方だったんですね。

神代より その名は今も たちばなや
小戸のわたりの 舟の行く末
伊東義祐

ちなみに、大友宗麟が派遣した天正遣欧少年使節の一人・伊東マンショは伊東義祐の孫にあたります。いろんなところに縁があるのね。


今回の刀剣乱舞とのコラボ展示「國廣の脇指」は、宮崎県総合博物館に所蔵されている脇差二振の展示。刀工の故郷での展示とのことで楽しみです!
※2025年2月~5月の展示になります。

https://www.toukenranbu.jp/event/2971/

ざっと宮崎に関わる神話や刀工について見て見たところで、さっそく宮崎市内に行ってみましょう!

宮崎駅周辺


宮崎駅に到着!
特産品の「日向夏ポスト」がかわいい。
俵万智さんの歌を記したプレートも設置されています。今は宮崎市在住なんですね。そうなんだ~。

日向夏ポスト
俵満智さんの歌が描かれたプレート

今日は宮崎駅周辺を回っていきたいと思います。

宮崎神宮


まずは初代天皇・神武天皇が祀られている宮崎神宮へ。
この旅の安全を祈願します。

本殿は伊勢神宮と同じタイプの「神明造」だそう。
屋根には千木・鰹木が設けられていますね。
ちなみに祀られている神様が男性か女性かで、千木の削り方や鰹木の本数が違っているそうです。
神武天皇がご祭神なので、千木の削りは垂直・鰹木は7本ありますね。

千木の削り方
先端の切り方で祀られている性別が分かれます。
男千木(おちぎ):先端が地面に対して垂直(外側)に削られている(外削ぎ)。
女千木(めちぎ):先端が地面に対して水平に削られている(内削ぎ)。

鰹木の数
千木の削り方と連動して、鰹木の数で見分けることもあります。
男神:奇数本の鰹木が置かれることが多い。
女神:偶数本の鰹木が置かれることが多い

宮崎神宮 拝殿

また社殿を設計したのは、米沢出身の建築家・伊東忠太。
橿原神宮や平安神宮、明治神宮のほか、故郷の米沢の上杉神社や稽照殿も設計しています。

平安神宮 東神苑
上杉神社 本殿
上杉神社 稽照殿

しかし広い敷地だな~神社というより、大きな森みたい。
北側には船塚古墳や宮崎県総合博物館もありますが、本当に森の中を歩いているみたいです。

船塚古墳

ちょうど国の天然記念物の宮崎神宮のオオシラフジも咲いていました。
ちょっと散りかけかな?見ごろの時には、あふれんばかりに藤の花が咲くのだそうです。いつかみてみたいなあ。

国指定天然記念物の宮崎神宮のオオシラフジ

宮崎県総合博物館


●民家園

すがすがしい森を抜けると、民家園があります。
宮崎県内各地の民家を移築復元しているのだそう。
4件ともそれぞれ面白い作り。多雨・台風地帯のため、シンプルな屋根の構造や竹のひさしなどが特長だそう。
東北の雪国から見ると、とても珍しい。


西米良村「旧黒木家」
椎葉村「旧清田家」
高原町「旧黒木家住宅」
五ヶ瀬町「旧藤田家住宅」

このほかにも、敷地内には石碑のレプリカなどが並んでいます。
飫肥藩と鹿児島藩の境界論争「牛の峠論山」の際の、境界線を表す石碑のレプリカもあるんですね…資源があるところの領地争いはなかなか難しい問題だったろうなあ~。
人々の住んでいた家やその土地の問題など、当時の庶民の人々の暮らしに関わる展示も面白いです。

牛の峠論山の概略(宮崎県総合博物館)

さらに森林浴しながら、宮崎県総合博物館の建物に到着!
ここまでのルートが本当に森。なんというか博物館の周りに緑があるというより、森の中に博物館が立っているような感じですね。

宮崎県総合博物館

館内は階ごとに宮崎の自然・歴史・民族文化のエリアに分かれており、宮崎のことを広く知ることができます。

1F:自然史展示室
2F:歴史展示室
3F:民俗展示室

●宮崎の地形

霧島連山の成り立ちや、日南海岸に見られる「鬼の洗濯板」や高千穂町に見られる柱状節理の作られ方などが、模型やジオラマシアターで詳しく説明されています。
なるほど、日南海岸やあの独特な地形はこうやってできるのか~。
このジオラマシアター、すごくわかりやすいなあ。

霧島火山群の噴出物分布
日南海岸の鬼の洗濯板
高千穂町の柱状節理(ちゅうじょうせつり)

●江戸時代の日向国

江戸時代の日向国にあった藩のパズルがありました。できるかな?

完成!こんな感じだったんですね…。
島津家の領地が結構大きいなあ。高鍋藩などは都井岬側にも飛び地のように領地が離れて存在してたんですね。

●高千穂神楽「御神屋(みこうや)」

高千穂神楽の「御神屋」の実物大模型も。
こういう舞台で上演されるんですね~。高千穂以外にも、宮崎県内全土にそれぞれ神楽が伝わっており、冬神楽と春神楽があるなど、地域によって特色があるようです。

神楽で使用される神楽面。能面や舞楽の面ともまた違った不思議な面です。
お隣の鹿児島・霧島神宮の「九面」と雰囲気的に似ていますね。

切り絵のような「エリモノ」。神楽の舞台の四方を囲うように飾られている和紙の飾りです。初めて見たなあ。
高千穂町では、このエリモノを作る体験ができるよう。それぞれどんな意味があるんだろう?気になります。


演目は高千穂の浅ヶ部神楽で33番まであるようです。
神楽は本来、夕方から朝まで一晩かけて演じられたりと、かなり長丁場のものになるそう。能や舞楽ともまた違って、もっと古代の神様への祈りという側面が強く感じられます。なるほどね。

●日向の偉人

郷土の偉人のコーナーには、政治・文学などの分野で大きな功績をあげた宮崎県出身者の展示がありました。

日露戦争の頃に活躍した外交官・小村寿太郎。
愛用の硯やたばこケースが展示されていました。
飫肥(今の日南市)の出身だったんですね。

小村寿太郎
明治時代に活躍した外交官・外務大臣。
日英同盟の締結ポーツマス条約の締結関税自主権の完全回復などを行い、明治政府の悲願であった不平等条約の改正にも成功。
近代日本の国際的地位を大きく押し上げた。

小村寿太郎の愛用の品


そして、その一角に堀川国広の脇差が二振展示されていました。
下の脇差には彫刻がされていますね。これは何の絵だろう?

達磨像のようですね…。
足利学校で作刀された「布袋国広」には眠り布袋の彫刻がありますが、こちらも丸っこくて福福とした感じが似ていますね。縁起がよさそう。

最後に堀川派の三振と一緒に写真撮ってきました。
刀工の故郷での展示、またあるといいねえ。

ニシタチストリート


夕方になってきたので、宮崎の町へ向かいます。
宮崎最大の繁華街・ニシタチ。夕日が落ちる少し前だったので、まだ賑わっていませんでしたが、夜になると提灯に明かりが灯って華やかな雰囲気になるそうです。
地鶏を使ったチキン南蛮や宮崎牛のお店など特産品を使った飲食店がたくさん。おいしそうだなあ。

ニシタチ
西橘通り(にしたちばなどおり)を中心に、隣接する中央通りや恵比寿通り、高松通り、西銀座通りなどを含めた宮崎市最大の飲食店街。

https://www.city.miyazaki.miyazaki.jp/culture/tourism/126893.html


バージニアビーチ広場

また宮崎は多くのスポーツチームのキャンプ合宿の場として選ばれていることもあり、たくさんのスポーツ選手が訪れているようです。
「ニシタチ」の中心には、アスリートの手形のモニュメントが。
本当に大きな手だなあ。

ホテルにも野球選手のサインや記念品が展示されていました。
本当にスポーツ選手を支えている地域なんですね。

プロ野球のキャンプ地にもなっている「ひなたサンマリンスタジアム宮崎」。
毎年たくさんの球団がキャンプに来るのはもちろん、ファンの方もたくさんキャンプの様子を見に宮崎にやってくるそうです。
気候のよさっていうのは、スポーツにとっても観光にとっても大きな強みですね~。


宮崎市役所前


さらに大淀川に向かって、宮崎市役所前の通りを進むと…
いや南国!!
ヤシの木がたくさん!

このヤシの木を植樹し南国・宮崎の風景を作ったのは、宮崎観光の父・岩切章太郎。市役所前にも銅像がありますね。
堀切峠をはじめ宮崎各地にフェニックスを植林し南国情緒あふれる景観をつくり、こどもの国やえびの高原などの開発も推進した方です。

岩切章太郎翁像

市役所前にはこのほかにも、刀のようなモニュメントがありましたが…
こちらは「道標」という作品のようです。これは刀剣に関係するのかな?何を表しているんだろう?

モニュメント「道標」

今回寄れませんでしたが、宮崎県庁の建物は国登録有形文化財に登録されている、伝統のある文化財です。
見学ツアーもあるそうなので、今度はそれに参加したいな~。

写真引用:https://www.kanko-miyazaki.jp/spot/1256

大淀河畔温泉(たまゆらの湯)


大淀川沿いの橘公園付近に到着。
ここには温泉が湧いており、たくさんのホテルや旅館が立ち並んでいます。
日帰り入浴も可能なので、最後はこちらでゆっくりしていきたいと思います。

温泉旅館やホテルが並ぶ大淀河畔温泉エリア
大淀川と大淀大橋
たまゆらの湯「足湯」

大淀川の左岸に沿って橘橋から下流に続く南国ムードあふれるリバーサイドパークであり、フェニックス並木や、しゃれたホテル群を背景に悠々と流れる大淀川を眺めながら心ひとときを味わえます。
特に公園内に建立されている、文豪、川端康成の「たまゆら」でも絶賛されているように、夕陽に映える大淀川を堪能する場面が最高のポイントです。

たまゆらの碑

https://www2.nhk.or.jp/archives/movies/?id=D0009010117_00000

河川敷から見る夕日がとってもきれいだな~。
川端康成が小説で絶賛したのもよくわかります。本当にのどかでのんびりした気分になれる光景。いいところだなあ~宮崎。

夕日と橘橋の光景

温泉でしっかりあったまって、明日も神話の里・宮崎を楽しみます!

↓↓宮崎2日目・日南海岸~都井岬までの旅はこちら


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