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愛すべき日々を

太宰治の『正義と微笑』を読んで、どうしてもっと前から書かなかったのかと深く後悔した。綺麗に盛り付けられたカフェでの朝食を、パシャリと写真に写すように、私はもっともっと日々を書くべきだった。たとえ、それがどんな日々であっても。

なにかの渦中にいるとき、どうしても書けなくなる。誰にも見せない日記でさえ、なにを書いていいのか(なにを書いてもいいのだけれど)ちっとも分からない。「悩んだら言語化してみる」というのはいい手法だなと思う。「言語化ができればその問題の8割(もしくは9割)が解決している」というのも、本当にそうなのだと思う。書きだすことができれば、それがどんなに支離滅裂だろうと、少しずつ手を加えて整理していけば、いつかは綺麗に整ってくれる。裏を返せば、書けないということが何より混乱の証になる。

ランナーズハイならぬ、ライターズハイ。これはライティングを教わったときに聞いた言葉。予期せぬハプニングも、アンラッキーもライティングのネタにして消化してしまう、書く人の高揚。私はあまり走らないので、ランナーズハイを体験したことはないけれど、ライターズハイと聞いたとき、すこんと腑に落ちるような感覚があった。悲しいも苦しいも表現できない混乱の中にいるとき、その混乱は完全に得体の知れないものだけれど、文章に表すことができたとき、混乱は自分の手中に収まる。未知のものから、コントロール可能なものへ。その瞬間はハイにもなるだろう。

いつまでも混乱しているわけではないことを知っている。けれど、いつまでも平穏でいられるわけでないことも知っている。時間をかけて、労力をかけて、自分なりの決着がついたとき、混乱の日々は愛すべき日々に変わる。混乱の中で書けないことにもがきながらも、やっぱり手を止めずに書いていたい。いつか愛すべき日々にするために。

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乃々果 探求費にします。ありがとうございます!