見出し画像

グリーグ・ピアノチクルスvol.1

2025年2月22日長野市・竹風堂大門ホール
ピアノ:小林夏実
ソプラノ:小山百合香





はじめに

グリーグはノルウェーの国民的作曲家です。ピアノ協奏曲や「ペール・ギュント」の音楽は有名ですからきっとみなさんよくご存知でしょう。
今年はグリーグの作品をだいたい年代順で聴いていくんですが、前半3回は30歳代くらいまでの作品。3回目に有名なピアノ協奏曲を連弾版で聴いたら、40代以降の作品を聴いてもらって、最終回は特別編みたいになります。語りや歌も入れて「ペールギュント」を音楽物語という格好で上演します。最終回だけは芸術館のリサイタルホールになりますので、皆様お間違えのないようにお願いします。「ペールギュント」はみなさん有名な曲をぼんやり知ってるとゆー程度の方が多くて、実はストーリーはよく知らないという方も多いでしょう。でも、我々はイプセンの戯曲に忠実にやります。ペールギュントの人物像があまりに酷すぎるのでみなさんのイメージが崩れるかもしれません。でも我々はあえてちゃんとやります。ペール・ギュントは寅さんよりも激しくいいかげんな男です。大ボラふきで女好きで衝動的で…(*_*)
どうかお楽しみに。

さて、お話を始めましょう。

ノルウェー / ナショナリズム


ノルウェーは14世紀以来長らく独立を失っていた国です。
1905年にようやく独立を果たすまでは
「デンマーク=ノルウェー」だったり、
「スウェーデン=ノルウェー」だったり、
長らく他国との「連合国」でした。
「同君連合」で大幅な自治が認められていたとしても、
どうしたって被支配国であることに変わりありません。

ナポレオンの登場以後、ヨーロッパの国々ではナショナリズムが著しく高揚してきました。ナポレオンが人々の意識下に撒いた種がこの時期に一斉に芽吹きはじめたと言えるでしょう。
ヨーロッパではナショナリズム高揚の結果1848年革命、ウィーン体制崩壊、諸国民の春という具合に歴史が動いていくのは世界史の教科書などで皆さまもよくご存じの通りです。
ここら辺のお話は昨年の「若きベートーヴェンチクルス」でもお話したので、繰り返しません。
そんな動きの中から国民楽派の作曲家たちが生まれてくるわけです。民族主義的な音楽を書いた人たちです。チェコのスメタナ、ドヴォルザークなんか代表的ですね。マズルカやポロネーズを沢山書いたショパンもそうした流れの中の一人です。リストにもそーゆー傾向があります(彼はハンガリーにアイデンティティを求めました)。

ロシアではバラキレフ、ボロディン、ムソルグスキー、リムスキーコルサコフ。チャイコフスキーはやや西欧的ではあるものの民族主義的な傾向もかなり強い。ちょっと新しいところではハンガリーのバルトーク、コダーイなんかも、そう。
意外かもしれないがワーグナーもかなり国民楽派的だと言える。「ニーベルングの指環」などワーグナーの作品はドイツの民族的伝承をベースにしていてかなりナショナリズム的だ。だからこそナチスはワーグナーの作品をとことん利用したのだ。極端な民族主義的政党のナチスの理念とワーグナーは非常に近い部分があったのだ….

北欧ではなんと言ってもノルウェーのグリーグ、フィンランドのシベリウスの二人でしょう。
今年はそのノルウェーのグリーグがテーマです。
シベリウスは有名曲の多くがオーケストラになりますが、グリーグの作曲の中心はピアノ曲と歌曲でした。この創作の傾向はシューマンに近い感じと言えますね。だからグリーグを味わうのに、この会場はぴったりなんです。

その生い立ち


1834年、グリーグはノルウェーのベルゲンで生まれました。ノルウェーは昔から世界有数の漁獲高を誇る海洋国です。長野のスーパーの魚売り場でもノルウェー産のお魚をよく見るでしょう?
タラ、サバ、サーモン、ニシンとかね!
海洋国のノルウェーは昔から貿易も盛んでした。中でもベルゲンは昔からハンザ同盟の主要な有力都市でしたから、活気あるにぎやかな港町でした。波止場には大小様々な船が停泊し、海産物が陸揚げされ、輸入品も積み下ろしされていきます。荒っぽい船乗りや漁師、港湾労働者たち、外国の船で持ち込まれる異国の雰囲気で溢れていた….
中でもブリッゲン地区は世界遺産にも指定されている美しさ!
ベルゲンの魚市場は昔も今も超有名!
ノルウェーは人口規模でいえば世界人口の0.1%に過ぎない小国だが、漁業や天然ガス事業、北海油田開発などの海事産業の分野では世界でもトップクラスの大国だ。国際船舶の登録の船舶はノルウェーだけで世界の7%を占める。
フィヨルドの長い海岸線、寒流と暖流がぶつかる漁場は漁業には最適で、ヴァイキングの時代からその豊富な漁獲量は変わりません。

ベルゲン・魚市場1865


ベルゲンの街は狭い路地が網目状に入り組み、そこを魚や野菜を荷車に積んだ人たちが忙しく行き交います。こうした活気に満ちた生き生きとしたベルゲンの街を子供時代のグリーグは駆け回って育ったのです。グリーグは街の狭い路地全てを隅から隅まで熟知していました。
グリーグはベルゲンについて以下のように語っています。
「曲造りの素材はベルゲンにあります。自然の美しさ、人々の生活、町の活気がわたしにインスピレーションを与えてくれます。波止場のにおいをかぐと、胸がわくわくするのです。わたしの音楽は、港にあがったタラの匂いを思い出させます。」(グリーグ)」

ベルゲンの波止場(1865)

ベルゲンは賑やかな港湾都市でもありますが、雄大でダイナミックな大自然にも恵まれていました。フィヨルドなんか有名でしょ?フィヨルドは氷河で削られた谷が海に沈み、海水が入り込んだ深い入江です。ベルゲンはフィヨルドに囲まれた街なんです。気象条件がうまく整えばオーロラだって見られちゃう!
グリーグのバックグラウンドはこうした美しい壮大な自然と、活気に溢れた騒々しくて猥雑な港町だったんです。「とんでもなく雄大な自然に囲まれて育った街っ子」とゆーのがグリーグということになりましょう。
つまりベルゲンの街の特性そのままがグリーグの特性と言えるんです。

ノルウェーの森の清冽な空気と港の喧騒と生臭い臭気の中間にあるのがグリーグの音楽ってことか….。昔は冷蔵の技術も高くなかったから鮮度を保つことが難しかった、足の早いタラとかニシンはすぐに臭くなっちゃったことでしょう。昔の長野の魚屋さんみたいな臭いがしてたんじゃないかな
(-_-;)……たぶんね…


ソグネ・フィヨルド


グリーグ家は曽祖父アレクサンダー(Alexander Grieg1739-1803)が18世紀の中頃にスコットランドからベルゲンに移住して貿易で成功したところから始まります。彼はノルウェーのイギリス領事も務めました。ベルゲンの名士だったんですね。移住した頃はグレイグ(Greig)という姓でしたが、ノルウェー的なグリーグ(Grieg)に改名しました。
だからグリーグはスコットランド系ノルウェー人ということになります。

グリーグの父アレクサンダー(Akexander Grieg 1806-1875)も曽祖父と同様に商才があり、彼もまたイギリス領事も務めました。三代続けて貿易で成功した名家ですから、グリーグ家はとても裕福でした。メンデルスゾーンが育った環境にちょっと似てます(メンデルスゾーン家は銀行家)。
アレクサンダーは海産物の輸出業で大忙しでしたが、文学や音楽にも造詣の深い文化的な人物でもありました。

グリーグの父
アレクサンダー・グリーグ(1806-1875)

グリーグのお母さんのゲスィネもまた名家の出身でした。彼女はハンブルクの音楽院で教育を受けた非常に優秀なピアニストでピアノ教師でした(ベルゲンで一番レッスン料金が高い先生でした。彼女はリサイタルを開き、オーケストラ(現在のベルゲンフィル)の公演にもソリストとして登場しました。彼女は特にモーツァルト、ショパン、ウェーバーの音楽が好きでした。グリーグはまずお母さんからピアノを学びました。お母さんは子供の自由な想像力を縛らずに、必要十分な厳しさを持って息子を教えました。グリーグは文学好きでしたがこれも両親の文学好きを受け継いだんでしょう。
グリーグ家では定期的にハウスコンサートなどの文化的な催しが開催されていました。もちろんゲスィネが中心です。メンデルゾーンのおうちで開かれていた日曜コンサートみたいな感じでしょうか(メンデルスゾーン家の催しはファニー・メンデルスゾーンが取り仕切っていました)。

グリーグの母
ゲスィネ・ハーゲルップ・グリーグ(1814-1875)

グリーグは幼い頃から作曲と即興に強い興味を示し、自由にファンタジーを広げながら即興演奏するのが好きでした。でも、ゲスィネの厳しさを忘れない指導のおかげもあってグリーグはどんどん上達しました。

基礎と自由なファンタジーの両立。
または厳格さと楽しさの両立。

子供の音楽教育でこれは非常に難しいことです。母親が自分の子供にピアノを教えることの難しさはよく言われることですが、ゲスィネはとてもうまくやったとゆーことでしょうね。

9歳のグリーグ

1858年、ノルウェーの国際的ヴァイオリニストのオーレ・ブルがグリーグの家を訪れました。彼は「パガニーニの再来」と称され、たぶんハイフェッツやクライスラーと同等か、あるいはそれ以上のスーパースターでした。ノルウェーが生んだ初の国際的なスターでした。

オーレ・ブルと初めて会った時のことをグリーグは次のように回想している
「彼の右手が私の右手に触れた時、私の中に電気ショックのようなものが走ったのをはっきりと覚えている」
ものすごいオーラだったんですね。

オーレ・ブルが語るアメリカへの演奏旅行の話に家族みんなで聞き入った。それは子供心をわくわくさせる話だった。
オーレ・ブルはグリーグが作曲や即興をすることを知ると、グリーグは話の流れで彼の前で演奏を披露することになった。
ブルはグリーグが自作の曲をピアノで弾くのを熱心に聴くと、非常に真剣になり、両親にライプツィヒ音楽大学へグリーグを留学させるように熱心に勧めた。
そしてオーレ・ブルはグリーグの身体を揺さぶりながらこう言ったのだ。
「きみは芸術家になるために、ライプツィヒへ行くのだ!」

グリーグの両親は一瞬もためらうことなく息子の留学に賛成した。

余談:オーレ・ブル

オーレ・ブルはノルウェー民謡や民族楽器を愛した筋金入りの民族主義者だった。ハルゲンダルフィドルなんか大好きだった。彼は外国の演奏会のアンコールなどで積極的にノルウェー民謡を披露した。
ブルは、ノルウェー語を用いる演劇のための最初の劇場「ベルゲン・ノルウェー劇場」の創設に関わった。グリーグよりも早くノルウェーの民族音楽に向き合い、意識的に民族主義的に活動した偉大な先駆者だった。
彼は新旧両大陸を股にかけて波瀾万丈の生涯を送り、イプセンの戯曲『ペール・ギュント』の主人公のモデルにもなった。

ブルの作品では「セーテルの娘の日曜日」は特に有名だ。
それにしてもなんという感動的な音楽だろう!
ちょっとグリーグの音楽を思わせるところがありませんか?
民族の血でしょうね。

オーレ・ブル(1810-1880)

ライプツィヒ留学


オーレ・ブルに留学を勧められるとグリーグは1858年の秋にはライプツィヒへ旅立った。
ライプツィヒはヨーロッパでも有数の音楽都市だ。バッハやメンデルスゾーン以来の伝統あるこの街の音楽の質は極めて高かった。

メンデルスゾーンが描いたゲヴァントハウス(1836)

グリーグはゲヴァントハウス管弦楽団のゲネプロやコンサートに通いつめ(音大生はゲネプロを自由に聴くことができた)、オペラにも通った。ワーグナーの「タンホイザー」にのめり込み、クララ・シューマンが夫のロベルト・シューマンのピアノ協奏曲 イ短調を弾くのを聴くことができた(この協奏曲はグリーグ自身のピアノ協奏曲 イ短調の直接的なモデルとなった)。シューマンの音楽に夢中だった留学中のグリーグにとってこれはものすごい出来事だっただろう。グリーグは「忘れ得ぬ印象」を受けたと述べている。19世紀半ばのこの時期はシューマンの音楽はまだ過激で前衛的な「ゲンダイオンガク」でした。学生にはまず「伝統」や「規則」を叩き込みたい音大側にとってシューマンの音楽はやばすぎる「危険」なものでした(シューマンはほんの数年前に亡くなったばかりです)。その危険なものに夢中なグリーグは、「要注意」な学生でした。

1860年頃のクララ・シューマン


ゲヴァントハウスのホール(1894/95)

ライプツィヒの街の音楽環境は最高に刺激的でしたが、入学した音楽大学の方はあまり楽しくなかったようです。1834年にメンデルスゾーンが作ったこの大学(グリーグが生まれた年に作られた学校!)にはヨーロッパ各地から優秀な学生が集まり、「名門」として知られていました。実際いい先生も多かった(シューマンもここで教えてました)。それでもグリーグはこの学校に馴染めませんでした。「校風」が堅苦しく保守的で、退屈だったんです。
グリーグは次のように述べている。
「クレメンティのソナタは五度やオクターブなどの法則ばかりで、私には退屈だった。私の心にあるのは、ショパンやシューマンやワーグナーの作品だった、野心を抱く音楽院の一学生が大罪を犯さなければ、学び始められなかったと言う例だ…。」
そもそもグリーグは幼い頃からずっと「学校」に馴染めず、少年時代も学校が嫌でよくサボっていたようです。規則に縛られるのがダメな性質なんです。


慣れないライプツィヒ生活の中でグリーグはホームシックになってしまいました。それでも一応立ち直ることができたのですが、1859年には結核で倒れてしまいます。最初は風邪かと思ったようですが実は結核で、これはかなり深刻な病状だったようです。これが原因でグリーグの左肺の機能は著しく低下し、ほとんど機能しない状態になって回復しませんでした。これ以降グリーグは死ぬまでずっと慢性的な呼吸困難に悩まされながら生きていくことになります。呼吸器疾患にもかかりやすかった。常に具合が悪い人だったんですよね。
ライプツィヒの学校生活は基本的に退屈で、ホームシックやら結核やらでいろいろ大変でしたが、グリーグは我慢してなんとかがんばりました。

ライプツィヒ音楽院
[フェリックス・メンデルスゾーン・バルトルディ音楽演劇大学]


退屈だったかもしれないけど、それでもグリーグはいい先生の元で学ぶことができていました。ピアノのイグナツ・モシェレス、エルンスト・フェルディナント・ヴェンツェル、作曲のカール・ライネッケなどに学びました。ヴェンツェルとモシェレスのもとでグリーグはベートーヴェンのピアノソナタをたくさん勉強した。グリーグがモシェレスのレッスンで使ったモシェレス版のベートーヴェンのソナタ全集の楽譜はトロルハウゲンの作曲小屋のピアノ椅子の上に置かれている。
ライネッケのレッスンは保守的でグリーグはつまらなかったようだ。グリーグはこう言っている「ライネッケが教えてくれなかったものについては、私はモーツァルトとベートーヴェンから習得しようと試みた。私は自ら彼らの弦楽四重奏曲を熱心に学んだ」

余談:グリーグのフーガ

1861年、在学中に書かれた弦楽四重奏のためのフーガへ短調 EG117を聴いてみて欲しい。対位法の作曲の課題だったのだろう。習作期のフーガを急速なテンポで情熱的に書くのは珍しいのではないか。この感覚はモーツァルトのレクイエムのキリエなどを思わせる。

グリーグは同時期にピアノのための7つのフーガ EG184も書いている。これもおそらく学校の課題だったのだろう。退屈だのつまらないなどと言いながらやることはきちんとやってるじゃん(しかも高水準で!)
これらのフーガは「ちゃんと書けてる」という段階は遥かに越えていて、音楽として感動的なものになってる。
グリーグは弦楽四重奏曲の作曲にも挑戦した。

モシェレスとヴェンツェルのレッスンでグリーグは完全に目が覚めて、猛烈に音楽の勉強を始めた。

余談:イグナツ・モシェレス


モシェレスはチェコ出身のピアニスト。
彼は学生時代にベートーヴェンの「悲愴ソナタ」に凄まじい衝撃を受け(悲愴ソナタがあまりに前衛的すぎて、音楽教師たちが生徒に演奏を禁じていた時代のことだ)、以来彼はずっとベートーヴェンを尊敬してやまなかった。
モシェレスはピアニストとして大成功して、
センセーションを巻き起こした。人気ピアニストだったのだ
特に「アレクサンダー変奏曲」はヒット作になった。

モシェレスは1808年にウィーンに移り住むと、実際にベートーヴェンに会うことができた。モシェレスの才能に感嘆したベートーヴェンはオペラ「フィデリオ」の出版のとき、ピアノ譜の作成をモシェレスに任せた。ベートーヴェンとモシェレスは楽聖が死ぬまで親しく交流を続けた。モシェレスは、死の床にあって窮地に陥っていた衰弱したベートーヴェンのための資金援助を、ロンドンのフィルハーモニック協会に熱心にかけあった。
ベートーヴェンが最後に書いた手紙モシェレス宛だった。モシェレスは最後の最後までベートーヴェンに親身になって寄り添っていたのだ。彼はベートーヴェンの死後も数多くの楽譜の編曲や校訂を務め、その生涯にわたってベートーヴェンの音楽を紹介し続けた。
彼はまたファニーとフェリックスのメンデルゾーン姉弟のピアノの先生でもあった。この姉弟が生徒とゆーよりは既に優れた音楽家だということを見てとった彼はすぐに先生であり親友でもあるというような存在になって、生涯にわたってメンデルスゾーンを応援し続けた。モシェレス、ホントにいい人なんだよなあ(*´ω`*)何という偉大な男。
メンデルスゾーンとモシェレスはよく共演した。バッハの2台チェンバロのための協奏曲などを仲良く演奏したようだ。クララ・シューマンがそこに加わってバッハの3台のチェンバロの協奏曲を演奏することもあったようだ。
なんじゃそりゃ((;゚Д゚)夢みたいな組み合わせじゃん!

イグナツ・モシェレス(1794-1870)

余談:エルンスト・フリードリヒ・ヴェンツェル

エルンスト・フリードリヒ・ヴェンツェル(1808-1880)

エルンスト・フリードリヒ・ヴェンツェルはクララ・シューマンの父・フリードリヒ・ヴィークの元でピアノを学んだ。つまりシューマン夫妻の兄弟弟子にあたる。彼はシューマンが1834年に創刊した「新音楽時報」をシューマンと一緒に作っていた。シューマンの親友だったヴェンツェルは、シューマンへの情熱をグリーグに更に深く植刻み付けたのだ。

グリーグはこーゆーレジェンドみたいな先生たちのレッスンを受けていたのだ。すっげえ!

余談:カール・ライネッケ


グリーグはライネッケのレッスンについてあまりいいことを言ってないが、作曲家としてのライネッケはなかなかの人なのだ。メンデルスゾーンやシューマンの弟子ですごい多作家だが、フルート協奏曲やフルートソナタは今でもよく演奏される。協奏曲もソナタもロマン派のフルート作品としては屈指の名作と言っていいと思う。どちらも「業界の有名曲」とゆー範囲を越えて親しまれてる作品と言えるだろう。
フルート協奏曲Op.283
フルートソナタOp167「ウンディーネ」

管楽器のための室内楽も貴重なレパートリーだ。ホルンの入った作品は耳にする機会がけっこう多い。音楽祭とかで演奏されがち。
クラリネット、ホルンとピアノのための三重奏曲Op274

オーボエ、ホルンとピアノのための三重奏曲Op188

カール・ライネッケ(1824-1910)

グリーグはシューマンと同じで、若い頃からずとピアノの作品が中心だった。だんだん歌曲も書きはじめて、ピアノと歌曲が二本の柱になっていくのもシューマンと同様。

グリーグ 1862年

抒情小曲集第1集Op12

では早速グリーグのピアノの小品をご挨拶がわりにいくつか聴いてみましょうか。グリーグは抒情小曲集というタイトルの曲集を生涯にわたって発表し続けています(グリーグの大ヒット作で代表作です)。これはだいたい年代順に1集から10集まであります。66曲。グリーグの日記みたいな感じですね。今回のグリーグチクルスはこの抒情小曲集を柱にしてます。今日は1集と2集からいくつか聴いて頂いて、次回は3、4集からとゆー感じでいきます。
第1週は1864年から1867年に作曲した8曲を曲集にしたもの。全10集の抒情小曲集の中では最もシンプルで小規模な小曲集だが、けっこう人気がある。演奏が比較的容易なのも人気の一因だろう。
では第1集からアリエッタOp12-1、夜警の歌Op12-3、Op12-5民謡、Op12-6ノルウェーの旋律、祖国の歌Op12-8
の5曲です。第1集の冒頭に置かれたアリエッタのメロディは、最後の抒情小曲集第10集の最後に置かれた「余韻」で再び回帰します。このチクルスもそのようにします。今日、アリエッタで始めて、最終回に「余韻」を演奏してチクルスを閉じることにしてます。
夜警の歌」Op12-3はシェイクスピアの「マクベス」からインスピレーションを得て作曲されました。中間部は「夜の精」と書き込まれています。不穏な夜の精のざわめきの中に夜警のラッパが聞こえてくるような感じで設計されてます。こーゆー異様な感覚は魔物や精霊がうごめくペールギュントの世界に直結しています。
民謡」Op12-5は民族舞曲。ほぼショパンのマズルカです。グリーグはお母さんの弾くショパンを聴きながら育ちましたから、ショパンの音楽はほとんどお母さんそのものだったでしょう。
ノルウェーの旋律」Op12-6は抒情小曲集全66曲の中で最も早い時期の曲です。最初はこの曲だけが単独で出版されて、それから抒情小曲集の中に組み込まれたんです。これはノルウェーの民族舞曲Spring Dance(飛び跳ね踊り)そのものです。

祖国の歌」OP12-8は愛国歌みたいな感じの堂々たる作品で、ノルウェーを代表する文豪ビョルンソンが歌詞をつけた歌としても有名です。ビョルンソンはこの曲に感動して愛国的な輝かしい歌詞を書いたのです。のちにグリーグ自身がその歌詞で男声合唱用にアレンジしています(祖国讃歌EG151)。
その歌い出しは以下のようなもの。

「前へ!前へ!」先祖は鬨(とき)の声をあげた
「前へ!前へ!」我々ノルウェー人も こう叫ぶ
心熱く 信念を胸に
我々も前進し、忠誠を誓って戦う

熱いナショナリズムそのものだ。
では、アリエッタから祖国の歌まで5曲続けて聴いてみましょう。
お願いします。

ワルツ」Op12-2は軽やかなワルツ。1886年のクリスマスのために書かれた曲を転用したもの。全体に漂うノルウェーの雰囲気がいい感じだ。
妖精の踊り」Op12-4「妖精」。妖精はグリーグなら「トロル(ノルウェーの妖精)」と書きそうだが、「エルフ」と書いてる。これは地域性の強いちょっと小汚いイメージのトロールではなく、メンデルスゾーンが書くような小綺麗で繊細な妖精をイメージしてあえて「エルフ」と書いたのかもしれないとおれは思う(エルフも綺麗なのばかりじゃないけど、あくまでもイメージね)。
手帳のページ」Op12-7はドイツの作曲家がよく使った小品のタイトル「Albumblatt」を使ってる。グリーグはもしかするとシューマンのAlbumblätterOp124を意識したのかもしれない….
…..

ライプツィヒ音楽大学の卒業証書を手にしたグリーグ

4つの歌曲 Op2

グリーグは1862年、教師たちから最高の評価をもらってライプツィヒの音大を卒業しました。19歳のときです。これから聴いていただく4つの歌曲Op2は卒業試験で演奏されたもの。卒業試験では4つの小品Op1の1, 2, 4曲も演奏した。歌曲もピアノ小品もシューマンやメンデルスゾーンの影響が顕著だが素晴らしくよく書けていて、習作という域は越えている。

https://youtu.be/YHtzx1oWHok?si=pDWJdgUWoVOoFTFG


歌詞はドイツ語です。ドイツに留学していて、ドイツの学校の卒業試験なのですから、ドイツ語のテクストを選ぶのはごく普通のことだと言えます。Op2のテクストはシャミッソーとハイネが2つずつ選ばれてます。こうしたチョイスもまたシューマンが大好きだったグリーグらしいと言っていいかもしれません。
いうまでもなくシューマンの「女の愛と生涯」Op42、のテクストはシャミッソーですし、「詩人の恋」Op48と「リーダークライス」Op24のテクストはハイネです(ハイネによる歌曲は他にもあるが、とりあえず代表的な二曲をあげておこう)。

ちなみにシューマンの「5つの歌曲」Op40のテクストはシャミッソーだが、5曲のうち4曲がアンデルセンの原詩をシャミッソーがドイツ語に訳したものが選ばれている(シャミッソーはアンデルセンと交流があり、「影をなくした男」はアンデルセンに影響を与えたと言われている)。シューマンとメンデルスゾーンは、スウェーデンのソプラノ歌手ジェニー・リンドやデンマークの作曲家・ニルス・ゲーゼや有名なアンデルセンとも交流があって、実は北欧との関係も深かったりするのだ。
そうそう、メンデルスゾーンとアンデルセンはジェニー・リンドを巡ってちょっと恋のライバルっぽい感じになった時期もあったとかなかったとか….

グリーグにとってドイツ語は問題なかったでしょう。ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの言葉はゲルマン語系列なのでいろんなことがすごく似てますから、習得は早かったと思います。北欧の人はドイツ語はすぐに喋れるようになる。ぼくもドイツに留学したとき、一緒に入学した北欧の友人がどんどん喋れるようになるのを見てうらやましかった…。

おれは留学中、ノルウェー、デンマーク、スウェーデンの言葉は
「なんだか英語とドイツ語をミックスしたような感じだなあ」
と思ってた。

英語もゲルマン語系だから、英語圏の人も習得は早いだろう(英語はそもそも5世紀頃のドイツ語の方言だし。)だから英語の古語を研究する人はイギリスではなくてドイツに留学したりする。

でも、個人的には北欧の言葉の方がもっとドイツ語に似てるかなあと思う….

さて、グリーグは卒業するとすぐベルゲンに帰りました。でもベルゲンの音楽環境には何の刺激もなくもの足りません。ベルゲンでは音楽家として生活するのは無理だと思ったグリーグは、デンマークのコペンハーゲンに行くことにしました。コペンハーゲンは北欧の文化の中心で、ベルゲンよりずっと音楽のレベルは高かったんです。卒業の翌年の1863年にグリーグはコペンハーゲンに移りました。20歳でした。ここで大事な出会いがいくつもありました。デンマークの大作曲家ニルス・ゲーゼと知り合い、ノルウェーの情熱的な青年作曲家リカール・ノールロークとの知遇を得ることになったんです。特にノールロークとの出会いは決定的でした。彼に触発されてグリーグは民族音楽に深くのめり込んでいくようになるんです。….が!
今日はお時間ありませんのでここら辺のお話は次回詳しくお話しするとゆーことにして。話を先に進めます。

6つの歌曲 Op4

コペンハーゲンに行ったグリーグは母方の叔父のヘルマン・ハーゲルップを訪ねるようになります。

ヘルマン・ハゲルップ

叔父のヘルマンにはニーナ、トニー(アントーニエ)、イェルヴァ(ユーリエ)という3人の娘がいました。従姉妹たちですね。叔父さんのうちに行ってるうちに、グリーグは三姉妹の中のニーナに恋をしてしまう。ニーナは小柄でとてもかわいい子で、非常に優秀なソプラノ歌手でした。彼女は詩の才能もあり、ピアノも上手でした。グリーグは愛するニーナのためにどんどん曲を書いて捧げました。シューマンがクララに捧げる音楽をたくさん書いたように….
恋する作曲家はなぜかどんどん音楽が湧いてくるらしい。
恋ってすごいね((;゚Д゚)
実際ニーナは結婚してからもグリーグのインスピレーションの源であり続けた。グリーグのミューズだったのだ。

ニーナ・ハゲルップ


ニーナは優秀な歌手でしたから、ニーナに喜んで欲しいと思って心を込めて書いたでしょう。
ニーナと知り合ってから書いたのが作品4の6つの歌曲です。もちろんニーナに捧げられたニーナのための曲です。
恋の歌が入ってるわけじゃないですが、まあ、実質的にはラブレター💌みたいなものでしょう。
作品2に続いてこれもまたドイツ語のテクストです。1、2曲めがシャミッソー、3、5、6曲めがハイネのテクストなので、チョイスはOp2と似てます。やっぱりシューマン的。
4曲めにウーラントのテクストが入ってます。
ウーラントの詩もシューマンやメンデルスゾーンがよく取り上げてますが、ちょい地味な存在かもしれませんね。ウーラントで一番ポピュラーなのはブラームスの「日曜日」かもしれない。おれはウーラントのテクストのリートだと個人的にはファニー・メンデルスゾーンの「修道女」が大好きだが、
うーん、これはあまりポピュラーとは言えないか…。

では、ライプツィヒ音大の卒業の時の4つの歌曲Op2と
ニーナのために書いた6つの歌曲Op4を聴いてみましょう。
19、20歳の頃の作曲です。
シューマンの強い影響は明らかですが、
それでもやっぱり素晴らしい曲です。
ではお願いします。



休憩



抒情小曲集第2集Op38


後半はまず抒情小曲集第2集から5曲聴いてみましょう。第1集から16年後に出版された曲集です。ペールギュントやピアノ協奏曲の作曲に没頭してたので間が開いちゃったんですね。指揮者としての活動も忙しくて、グリーグは落ち着いて作曲する時間がなかなかとれませんでした
今日聴いていただくのは 民謡Op38-2、メロディーOp38-3、ハリングOp38-4、飛び跳ね踊りOp38-5、エレジーOp38-6です(エレジーはショパンの夜想曲そのまんまな曲です)。メロディとエレジー以外の曲はものすごくノルウェーの民族舞曲的です。特にハリングと飛び跳ね踊り(スプリングダンス)がそうです。飛び跳ね踊りはノルウェーの民族楽器ハルダンゲルフィドルそのものです。ノルウェーのフィドルですね。まあ楽器としては、ほとんどヴァイオリンです
ヴァイオリンと違って装飾がとても美しいのが特徴です。
グリーグはこの楽器に魅せられて、ものすごく強い影響を受けてます。ペールギュントのヴァイオリン独奏のナンバーはハルゲンダルフィドルそのもの!
抒情小曲集は第二集からノルウェーの民族色がはっきりしてきます。

ハルダンゲル フィドル

飛び跳ね踊りの冒頭の五度の和音は弦楽器の開放弦を模してます。
そうそう!弦楽器のチューニングの時の響きですよ!

では抒情小曲集第2集の曲を5曲続けて聴いてみましょう。


子守唄」Op38-1 子守唄らしく穏やかに始まるけれど快活な中間部は民族舞曲的だ(こんなの聴いたら赤ちゃんはノリノリになっちゃって目が覚めちゃうんじゃないかね)。高音の美しいアルペジオが印象的ではっとさせられる。
ワルツ」Op38-7 第2集の中では最も作曲時期が早くて1866年と言われる。第1集の時期の作品。哀愁に満ちたワルツだが、中間部のプレストが非常に独特。点描的筆致のスケルツォみたいな。
「カノン」Op38-8カノンと言っているがそれほど対位法的ではなくて、わりとフツーにロマンティックで美しい小品。これは対話とゆーかデュエットと言った方がいいと思うけど….中盤からはカノンでもなく対話でもなくコーラス的和声的な音楽に変わってしまう。聴いた人は皆「ん?カノン??」とゆー感じになると思う。これはタイトルにこだわりすぎない方がいいかも。

ニーナ

1864年にグリーグとニーナは婚約しました。でもニーナの両親は反対でした。まだ世に出ていない作曲家の卵みたいなどこの馬の骨ともわからない男に娘はやれない!とゆーことでした(シューマンとクララも父親の猛烈な反対に合いましたね)。ニーナの母親はグリーグのことを「彼はろくでなしで、何も持たず、誰も聴きたくない音楽を作っている!」とまで言ってました。まあ、親の心配は当然でしょう。
でもグリーグは婚約したのがうれしくて、アンデルセンのデンマーク語の愛の詩をテクストにして、ニーナへの愛を高らかに表現しました。

「心の歌」Op5

今までドイツ語の歌詞を選んでいたグリーグはここでついに北欧の言葉をテクストに選んだんですね!ちょうどこの時期グリーグはノルウェー語の歌曲も試み始めていました。盟友ノールロークの影響でノルウェーの民族音楽にのめり込んでいた頃です。ここら辺の話は次回にしましょう。

グリーグはデンマーク語は特に問題はなかったはずです。実家の言葉はデンマーク語でしたから普通に喋れるに決まってる。ノルウェーは長くデンマークの支配下にあったとゆー歴史もあるし、そのせいでデンマーク語を使ってる人も多かったし、ノルウェー語はデンマーク語と共通点も多い….ノルウェーの人がデンマーク語をしゃべれることはあまり特別感はありません。
そして「心の歌」Op5ですね。これは初期のグリーグで最も成功した作品になりました。こんなに素敵な贈り物をもらったニーナは幸せだったでしょうねえ✨
1曲目の「二つの茶色の瞳」 も有名ですが、やはり 3曲目の「君を愛す」 が飛び抜けて有名です。珠玉のラブソング。世界中で愛されてます。ここまでくるとクラシックとかポピュラーとか関係ないですね。これはもうグリーグ最大のヒット曲だと言っていいでしょう。もちろん「君を愛す」以外の3曲も超素晴らしいんですけど、やっぱり「君を愛す」はキャッチーなんですよね。これほどストレートな直球ど真ん中なラブソングも珍しいでしょう。尋常じゃないストレートさです。これはもう「臆面もない」と言っていいでしょう。全く照れることなくど直球でこーゆーことが書けるアンデルセンもグリーグもすごい!でも、この臆面もなさが人の心を打つんでしょうね。


ひとむかし前までは、「君を愛す」はだいたいドイツ語で歌われ、親しまれていました。"Ich liebe dich"です。昔はデンマーク語が今よりずっと遠い存在だったんですよね。情報も少なかったし….ノルウェー語なんてもっと遠かったはずです。ドイツ語は日本ではポピュラーな言語でしたから。

近年では原語のデンマーク語で歌われることも増えてきました。
"Jeg elsker dig" (ヤイ エルスカ ダイ)です
ich liebe dichだと「イ」の母音が支配的ですけど、デンマーク語だとJeg elsker digだと「ア」の母音がだいぶ増えますね。それだけでもすごく印象が違ってきます。
では「心の歌」です。
今日はドイツ語による歌唱ですが、アンコールで「君を愛す」をオリジナルのデンマーク語で歌ってもらうことになってますので、みなさまぜひこれから聴く「君を愛す」のドイツ語の響きの印象をちょっと心に留めておいて頂けるといいと思います。ではお願いします

「君を愛す」はあまりにもいい曲すぎて完全にジャンルを越えてる。
ビング・クロスビーも歌ってるが、
これが実に素晴らしい歌唱なのだ。ホントに素敵だ。

甘ったるいハリウッド調の伴奏もこれはこれでアリなのではないかと思っちゃう。この曲はこーゆーウルトラスイートな要素も内包しているのだとゆーこと。だからいいんだよね。だって恋ってそーゆーものだからさ💖

ピアノソナタホ短調 Op7

では最後にピアノソナタです。
グリーグは、たくさんのピアノ曲を残しましたが、そのほとんどが小品です。ピアノソナタはこれから今日聴いていただくソナタ1曲だけ。ちなみに協奏曲もあの有名な1曲だけ。ソナタも協奏曲もグリーグが20代だった若い時期の作曲になります。それからのグリーグは専らピアノ用の小品と歌曲を中心に書いていました(でも思い出したようにいきなりヴァイオリンソナタ3番(大傑作!)を書いたりもしますが….)

グリーグはコペンハーゲンに移ると、デンマークを代表する作曲家ニルス・ゲーゼに会いに行きました。グリーグはゲーゼについて勉強しようかなとも思ってました。グリーグは自分の曲の楽譜をゲーゼに見せました。ゲーゼは、もっとかっちりした形式の大規模な曲を書いた方がいい と言いました。つまり交響曲とか協奏曲、ソナタとかですね。でも、グリーグは自分は小品に向いていて、そんな大曲は自分には無理だよーとか思ってました。でも、ゲーゼの言葉は意外とグリーグの心に刺さったようです。ゲーゼは交響曲を8曲残した北欧を代表する偉大なシンフォニストだから、その言葉は猛烈な説得力があったのかもしれない。(ゲーゼの交響曲第1番交響曲第3番なんかめっちゃ凄い曲なのでぜひ聴いてみてほしい。参考動画の演奏がとても素晴らしい!)ゲーゼはメンデルスゾーンやシューマンと非常に親しく、ライプツィヒで長く活躍した音楽家だ。シューマン愛の強いグリーグにとってはゲーぜはまさに憧れのレジェンドだったことだろう。ゲーゼはメンデルスゾーンやシューマンの強い影響下にあったが、その単なる亜流ではなかった。その音楽は北欧的な個性が溢れて非常に独特だ。例えば「オシアンの余韻」Op1を聴いてみてほしい。確かにメンデルスゾーンの影響は強いが、その空気感はメンデルスゾーンとは全く違っていて、やはり「北欧的」と言いたくなる。時として荒々しく轟然と立ち上がる強奏部分はどうしたって北欧神話を思い起こさせる(オーディンとかトールとかね)。交響曲第1番のフィナーレの野生的な荒々しさなどもメンデルスゾーンやシューマンからは感じられない種類の感覚だと思う。
まあ、おれがどうのこうの言うよりも👇のユリ先生の素晴らしくわかりやすい解説を観て頂く方が早いだろう。ぜひ!


ニルス・ゲーぜ


ゲーゼの言葉に奮起したグリーグは頑張って交響曲を書きはじめました。二週間で第一楽章を完成させると(おお!意外と筆が速い!)グリーグは早速ゲーゼのところに行って見てもらいました。ゲーゼは他の楽章も書いて完成させるようにグリーグを励ましてくれました。グリーグは他の楽章も完成させましたが気に入らず、スコアに「決して演奏してはならない」と書き込んでこの交響曲を封印してしまった。もちろん、出版もしない。グリーグは自分に異常に厳しいとゆーか、過剰に自己評価を低くしてしまいがちなところがあるのだ。ゲーゼが何も言わなければグリーグはピアノ協奏曲を書くことはなかったかもしれない。ゲーゼはグリーグに「代表作」に向かうきっかけを与えたキーマンなのだ。

1981年に復活蘇演されるまで、この交響曲の楽譜は図書館に眠っていた。
グリーグ本人が「決して演奏してはならない」と楽譜に書き込んでいるのに、結局禁を破って演奏しちゃって今ではCDまで販売されている
グリーグは草葉の陰で怒っているかもしれないなあ….
まあ、研究のために必要ではあるのだけれど….

交響曲 ハ短調 EG119   

でも、これから聴いていただくピアノソナタもその流れの中から生まれたのだし、それがピアノ協奏曲へと繋がっていくのだから、グリーグの自己評価はどうあれこの時の交響曲へのチャレンジは決して無意味なことではなかったのだ。

グリーグ唯一のピアノ独奏用のソナタは交響曲の後の1865年の春に短期間で一気に書かれました。先ほどの「心の歌」と同時期。
4楽章形式の堂々たる作品になりました。

この時グリーグはヴァイオリンソナタ第1番も作っていた(スプリングソナタ的な素敵な曲だ)。グリーグは完成したヴァイオリンソナタ第1番とピアノソナタの二曲をゲーゼのところに持って行って見てもらった。ゲーゼは何かに感銘を受けると水を沢山飲むくせがある人だった。ゲーゼはこの2曲の楽譜を見ると興奮して水をデカンター4本分も飲んだというから、相当に心動かされたのだろう….
グリーグはピアノソナタをゲーゼに献呈した。

グリーグは自分の個性を伝統的なクラシックの音楽形式の枠組みにうまくフィットさせることができずにとても苦労した。グリーグがこよなく愛する民族音楽は論理的構成など皆無で、ただひたすらにシンプル。もちろん緻密な展開などないしそんな必要もない。だから、そもそもソナタ形式とは相容れないものなのだ。グリーグは伝統的な形式と民族音楽の自然な融合を目指して、ものすごく苦しんだ。でもそうやって苦しんで苦しんで苦しみぬいた結果、うまく成功するとそれはとんでもない傑作になるのだった。
そう、例えばピアノ協奏曲ヴァイオリンソナタ第3番弦楽四重奏曲などのように….。

なお、ピアノソナタはゲーゼのピアノソナタ ホ短調 Op28から強い影響を受けている(ゲーゼのソナタ!めっちゃ素晴らしい!)。
確かに冒頭のテーマとかゲーゼのソナタ↓によく似てる。

3楽章には先輩世代のデンマークの偉大な作曲家ハートマン(Johan Peter Emilius Hartmann)のソナチネ ニ短調Op.34からの影響も見られる。ハートマンとゲーゼはグリーグが居た頃のデンマークの音楽界の絶対的な二大巨頭だった。ゲーゼはハートマンの娘と結婚したので、ハートマンとゲーゼは義理の父子でもあった。ハートマンがハートマンがエーレンシュレーガーのテクストを元にして書いた「金の角」(1832)は北欧ロマン主義の幕開けとなった

ハートマン

グリーグのピアノソナタの第一楽章は、自由なソナタ形式。調性もどんどん揺れ動く。第二楽章は、自由な変奏形式の変奏曲 。第3楽章は、メヌエット風のゆったりした舞曲。第四楽章は序奏付きのソナタ形式。

ピアノソナタにはグリーグ自身の1903年の演奏のピアノロールの録音が残されている。全曲ではないが、これは非常に貴重な資料だ!
メヌエット と フィナーレ
古い録音で状態悪く、鑑賞にはなかなかつらいものがあるが、でもこれは非常に興味深い。

では、ピアノソナタです。

お願いします


カーテンコール


余談:フィヨルドの素晴らしさを味わう映画

マルグレート・オリン監督「SONG OF EARTH / ソングオブアース」(2023)は
フィヨルドの超絶的な美しさ・壮大さを味わうことのできる作品。制作総指揮は名匠ヴィム・ヴェンダース、プロデュースに北欧の名女優リヴ・ウルマン!最新の素晴らしい映像でフィヨルドを体感することのできる幸せ!

アメリカではDVDも発売されているようなので、日本も近々DVDや配信で観られるようになるだろう。でもこの壮大な美しさは映画館のでかいスクリーンで味わうべきものだと思うなあ….(国内の上映は一段落してしまっているが、大都市ではもしかしたらまだチャンスあるかもしれない)

これはグリーグを演奏する音楽家のみなさんは必見だろう。クラシック音楽好きの皆さんもぜひぜひ!ノルウェーがまさにロキオーディンといった北欧神話の古代の神々や、トロールたちの世界そのものだってことが理屈抜きで体感できる。「SONG OF EARTH / ソングオブアース」を観るとグリーグのピアノ協奏曲の冒頭の感覚なんかもちょっとわかる気もする🐭

この作品に映し出されるノルウェーの大自然は、太古の地球の姿がそのまま現出したような思いにさせられる。北欧神話の神々が山々の間からひょっこり姿を表し、洞窟の奥で唸る山の魔王、山の急斜面を賑やかにトロルたちが駆け降りてくるような、そんな気配すら感じられるような環境。そんな中でグリーグは生活し、作曲していたのだ。

北欧にはキリスト教以前の神話世界がある。主神であり死の神、戦争の神でもあるオーディン。雷神トール、いたずら好きの神ロキといった神々たちの
それは日本の名作RPGゲーム「ファイナルファンタジー」、やマーヴェルの映画「アヴェンジャーズ」のシリーズでもお馴染みのものになっている。

ファイナルファンタジーのオーディン
アヴェンジャーズのソー(Thorトール)


余談:アナと雪の女王


ベルゲンといえばディズニーのアニメ映画
ジェニファー・リー、 クリス・バック監督
「アナと雪の女王」(2013)
を真っ先に思い浮かべる方も多かろう。北欧情緒に溢れた作品(元ネタがアンデルセンなのだから当然だが…)。フィヨルドの港町アレンデールはベルゲンをモデルにしている(アレンデールは地理的にはベルゲンよりもっと北極寄りのラップランドに近いところをイメージしているように感じられるが…)。


  • 重要なナンバー「Vuelie」は非常に北欧的だが、サーミ人のヨイクを元にしている。このナンバーがあるからアナ雪はしっかり北欧になってるのだ。これを作曲したフローデ・フェルハイムも実際サーミ人だったりする。

  • クリストフはずばりサーミ人だし、冒頭サーミの男たちが氷を切り出すシーンもあったり、トナカイのスヴェンが大活躍したりとか(サーミはトナカイの放牧や氷売りなどで生計立ててる人が多いのだ)、この作品はものすごくサーミでラップランドなのだ。


  • そうそう!グリーグの音楽で有名なトロルもちゃんと出てくるのはうれしい。

  • トロルの大きさは様々だが、この作品のトロルは小人サイズ。優しくていい子たち。
    やっぱり鼻が特徴あるよなあ。石に変わるのもトロル的!

雪だるま☃️のオラフもトロル的存在だ。これをトロルと言っていいのかどうかようわからんが、実にいいキャラだ。
愛すべき雪だるま。
映画の最後の方でオラフとスヴェンが幸せそうに頬ずりするシーンは
おれはどうしてもうるっときてしまう(*´ω`*)

トーク動画の合言葉

演奏後の演奏者のトークをご覧いただけます

視聴には合言葉が必要です(この記事の末尾に書いてあります。300 円)


ここから先は

14字

¥ 300

Amazon Payで支払うと最大2%還元のチャンス! 9/30まで

この記事が気に入ったらチップで応援してみませんか?