【視点を変えよう①】心が疲れたら"見る角度"を変えてみる話
最近、天気はぐずりがちで仕事にも追われ、気づけば“視点”が完全に一方通行だった…いわゆる「6月病」というやつかもしれない、と悟った。"うわーきたか"と思ったが、そんな事で病む自分は嫌すぎたので、ちょっとした“視点のリハビリ”をしてみた。
2週間弱の短いリハビリだったが、想像以上に自分の視点が回復できたので、今回はそんな回復のトリガーとなった出来事の中から印象に残った3つを述べていく。
人から馬鹿にされた時
つい4日前のことだ。会社で新規業務に携わることになり、上司から業務レクチャーを受けていると、上司が「天野くんは、人から馬鹿にされた時、どう感じる?」と急に前触れもなく質問してきた。
「俺は"お前レベルの幼稚な思考・感情なんて俺の心に全く響かないわ"という感じです笑。自分でプライド高いの分かってるんです。直さなきゃいけないとは思うんですが、目上の人にまで思ってしまうのがもう末期です…」
と正直に話した。上司は大笑いした後、俺にこう言った。
「俺はね、"馬鹿にする時間を割いてまで俺の人間観察をしてくれてありがとう"って感謝を伝える」と。
正直、負けた気がした。"馬鹿にされても気にしない"という目的は同じなのに過程が違った。時間という誰しもが平等に与えられるものをいかに自分の為に使うのかという意識…上司の言葉を聞いたとき、自分の中に鎌鼬が急に表れて固い殻で覆われた俺を、良い意味で切り刻んでくれた気がした。
風変わりな写真の撮り方
インスタでは既出だが先日、45年前に製造されたフィルムカメラを買った。写真を撮るときはファインダー越しに対象物を見てピント等を合わせて撮影するのが"当たり前"だが、カメラ好きな友達から「カメラのファインダーにスマホを当てて撮ったら、自分が見ている世界が切り取られて新鮮かもよ?」という衝撃的な言葉を受けた。
試しに撮影したが…
おい、めちゃめちゃエモいじゃん!
まるで昔の映画館を貸切にしている様な気分!!
そんな撮影方法を思いついた友達に"熱盛"を送りたい!!!

枯れた花≠美しくない
2週間前、家の近くに素敵な花屋があり、なんとなくカスミソウを購入した。「ドライフラワーにするととても素敵ですよ」と同い年くらいの女性店員が俺に優しい口調でそう伝える。元々ドライフラワーは、人間の"見たい"という欲望のために枯らすという行為が、なんだか花にとって残酷に感じるようであまりしたくなく、そこからINTP特有の"思考の発展"が起こり、極論的に"花屋=花にとっては死刑場"とまで僅かながらに思ってしまっていた。
しかし、花屋に並べられた以上、どうせ枯れる運命なのだから、最初は思い切り水を吸わせて、花が一番きれいに咲いたタイミングでドライフラワーにして少しでも長く眺めてやろうと誓った。

これは途中経過の写真ではあるが、花に生命の灯が失われつつも、それと同時に儚き美しさが出てきたようにも感じる。花は生きているから美しいのであって、桜だって"散ったらそれで終わり"だと思っていた。
しかし、枯れても美しい花があるという事実を知った瞬間、"散り際まで美しい"という、まるで戦〇布〇や刀〇乱〇といったゲームに出てきそうな言葉に、思わず注釈を書き加えたくなっていた。
俺は何らかのストレスを感じた時、思考や視点が凝り固まるクセがあるようだ。だから、次また同じような状態が起こったら、その時は家の中に閉じこもるのではなく、なるべく外で見るもの触れるものという体験・刺激を増やしていこうと思う。
そのために、この記事のタイトルに"①"ってついているのだから
