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ある日、窓から猫がやってきて

はじめに

 ある日、窓から野良猫がやってきた。初めて会った日から家族になるまで、私は長い間、その猫のことを考えるようになる。今年4月30日に保護した。これは私が茶白猫“カラン”を保護するまでのお話だ。


出会い

 あれは今から約一年半前の2024年1月のこと。私の家の庭に茶白猫がやってきた。手を伸ばせば簡単に触れられそうな距離に茶白猫はいた。
 あまりにも警戒心がないことや、まるまるとした体を見て、私はどこかでかわいがられているベテランの野良猫なのだと判断した。
 野良猫は14:00頃になると連日押しかけ、窓から家の中を観察するような仕草をした。家に入りたそうな気配を感じ、もしかしたら飼い猫だったのではと思い、気持ちが暗くなった。そうだとしたら飼い主は一体どこへ行ってしまったのか。こんな瞳がキラキラした子を手放してしまったのだろうか。
 訪問は数日続いたが、私が同じ時間帯に家にいなかったことにより、途絶えた。それからというもの家の周辺で茶白猫をよく見かけるようになった。私が声をかけると必ず「にゃあ!」と鳴いてくれた。甘える仕草がとてもかわいかった。
 茶トラの遺伝子は雄猫が生まれやすいが、茶白猫は雌猫だった。そして左耳が桜カットされていたことから、避妊手術が施されていることがわかった。


捕獲機の貸し出しを知る

 5月の大型連休の前後に茶白猫は姿を消す。ナワバリを変えた?--疑問が浮かぶものの誰も答えてくれる人はいない。
 私の家は窓が多く、様々な方角から茶白猫の出没を確認することができた。とくに2階からはよく見える。日に何度も何度もいろいろな窓から外を見るが、茶白猫が姿を見せることはなかった。

 私はいてもたってもいられなくて、管轄の愛護センターに電話をかけた。丁寧な職員さんにより、該当地区での茶白猫の捕獲はないことを教えてもらった。ここで捕獲機の貸し出しについても知ることになる。いったんは電話を切ったものの、電話をかけ直し、捕獲機の貸し出しの説明を受けた。捕獲機を正しく使うことができれば安全に野良猫を保護することができる。懇切丁寧な職員さんの説明によって、何も見えない道のりが少しだけ照らされた気がした。捕獲機の貸し出しを知って初めて、保護というものが見えてきた。
 とりあえず、今は茶白猫が帰ってくるのを待とう。


茶白猫は捨て猫?

 茶白猫がいなくなった時期に、私と同じように猫を探しているようすの年配の女性を見かけた(車の下など猫が好んでいるような場所に対して、屈む動作をしていた)。
 その方に声をかけて、話を聞いた。女性によれば茶白猫は、もともとは飼い主がいたようだった。所謂、捨て猫だった。
 捨て猫だから愛着がわくということではないが、どこからどう見ても性格のいいかわいい茶白猫を捨てたことが理解しがたかった。
 そもそも飼い猫なのに桜カットなのは、どういうことなのだろうか。保護猫を引き取って捨てたということになるのか。ますます疑問は深まるばかりだった。


野良猫を保護するということ

 愛護センターに連絡してから数日。2階の窓から爆走する茶白猫を見つけることができた。私は元気そうなようすに胸を撫で下ろした。茶白猫に「どこいってたんだよ〜」と聞いても、「にゃあ〜」と鳴くばかり。本当のことは何もわからなかったが、以前よりも痩せたことは事実だった。

 この時期から茶白猫を保護することを考えはじめた。だが、野良猫を保護するハードルの高さは並大抵ではない。職員さんから捕獲機の使い方を教えてもらったものの、どこか現実的ではなかった。そもそも私は餌やりをしていない。餌やりもしていない人間がそんなことができるのか。一度は捕獲機の貸し出しの受付をしてもらったものの、やめてしまった。
 茶白猫は近所のナワバリに現れたり、姿を消したりするようになった。あっという間に季節は夏になろうとしていた。


野良猫の夏

 野良猫にとって夏は過酷だ。久しぶりに茶白猫の姿を見て、愕然とした。おそらく茶白猫にとって野良猫としての初めての夏だったはずだ。冬に見た頃とは面影がないほど、ガリガリに痩せてしまっていた。私は胸が痛くなり、ご飯をあげることを決意した。
 ご飯をあげることは、責任を持つということだ。餌やりをしたのならば、保護以外の道はない。今までの保護に関する心配なんてどうでもよくなった。目の前にいる猫も大事にできないで何が猫好きなんだろう--私は自分に対しそう思い、周辺にある命くらいは守ろうと思った。

 それからというもの仕事終わりにご飯をあげる生活を続けた。2024年の夏はあまりにも暑く、人間の私たちにさえ厳しいものだった。野良猫の生活がつらいことは、簡単に想像することができた。一刻も早く、保護したい。はやる気持ちを抑え、脳内での捕獲シュミレーションを繰り返した。
 この時期から私は彼女のことを茶白猫ではなく、自分が名付けた名前で呼んでいた。


捕獲チャレンジ

 7月の末、ついに捕獲にとりかかった。茶白猫とコミュニケーションをとるなかで、持ち上げることができるようになったからだ。
 ペットキャリーを用意して、さっとキャリーに入れる。たったこれだけのことだった。
 茶白猫はキャリーを見て緊張したものの、持ち上げさせてはくれた。だが、キャリーに入れようとした瞬間、激しく抵抗した。ちっとも簡単ではなかった。茶白猫が暴れた際に腕を引っ掻かれ、腕からは血が流れていた。

 次の日も茶白猫はいつもと同じように現れた。あんなことがあった後だというのに、警戒心もそれほどない。これはチャンスだと思った。昨日とは違う作戦を実行するチャンスだ。それは持ち上げて、玄関に入れるというもの。持ち上げようとした瞬間、激しく抵抗。少しも移動できるような状態ではなかった。またしても引っ掻き傷をこしらえて終了。

 捕獲作戦は何一つうまくいかなかった。それでもまだ私の情熱は消えていなかった。いつもお世話になっている動物病院に電話したところ、捕獲機の貸し出しをしているという。その足で捕獲機を借りに行き、敷地内に設置することにした。

 これが仇となる。
 茶白猫は避妊施術済みの雌猫だ。捕獲機にはかなりのトラウマがあったらしい。捕獲機を置いてすぐからようすが変わり、家の敷地内に寄り付かなくなってしまった。ついに見限られてしまったのだ。


仲間の登場

 私の信頼関係が地に落ちた頃、Hさんが餌やりをはじめた。茶白猫の餌場を探っていたところ、Hさんと出会い、情報交換としてお話をすることができた。Hさんは私と同様、茶白猫を気に入っていた。70代後半でありながら溌剌としていて、数年前までは野良猫の保護活動をしていたらしい。とても頼りになる存在だと思った。
「半年くらいかかるかもしれないけど、待ってほしい」という声を聞いて、彼に任せてみようと思った。それからしばらくはHさんに一任することになる。もちろん茶白猫に会った時は、できることをしていた。


1月の共闘

 もうそろそろいいだろうとのことで、Hさんと協力して茶白猫を捕獲することが決まった。Hさんが茶白猫を持ち上げて、私が持っているネットに入れるという作戦だった。
 二人がかりならできる気がしていたが、あえなく撃沈。夏同様、茶白猫は激しい抵抗を見せた。Hさんは手を切り、流血していた。
 この一件以来、茶白猫のHさんに対する信頼はなくなってしまったようだった。なぜか私は以前に増して、甘えられる頻度が多くなっていてふしぎだった。
 次の作戦をいつにするか、いつにするか、と待っていたもののHさんから連絡はこなかった。私からどうするか尋ねたところ、「今は遠くで見守ろうと思います」と来てしまったから、私は一人で何かしらの策を打つしかなくなってしまった。


茶白猫の経緯

 情報でも探るかと思い、近所のお店で野良猫について聞いてみた。すると、そこのお店には茶白猫に瓜二つの茶白猫がいた。おそらく茶白猫の兄妹猫と推定される。そこの店主の方から茶白猫に繋がる情報を聞くことができた。下記に簡単にまとめる。

・茶白猫の飼い主は入院を理由に茶白猫を手放した(他の猫は譲渡している)
・近隣では野良猫・飼い猫トラブルになったことがあったため、外と中を行き来している飼い猫に関しても避妊手術をしていて、桜カットをしている

 まさに茶白猫の特徴と一致する。飼い主がわかったところで、何か良いことがあるわけではないが、何も知らないよりよっぽど良いと思う。


一人で何ができるか

 茶白猫を想う仲間ができたとよろこんでいたが、結局一人になってしまった。一人でできることを考えなければいけない。
 茶白猫との仲は順調だった。私が見えるといつも大きな声で「にゃーーーん!!」とやって来た。
 
 以前よりも仲良くなっている現在、抱えて玄関に入れる作戦は前よりも良い結果になりそうな気もする。でもそれでまた信用を失ったらどうする。それよりももっと確実な方法をとらなければいけない。保護団体の方に連絡して、捕獲機の小技を教えてもらった。
 そもそもの問題として、ここ数カ月ナワバリを荒らしているキジトラの雄猫をどうにかしなければいけない。その問題を解決してから、茶白猫を庭に来れるようにする必要がある。そこから捕獲機を設置する。
 季節はすでに4月を迎えていた。段取りよく進めて夏を迎える前に保護をしたい。私のこの願いは、思いがけず叶うことになる。


運命の日

 4月30日。春にしては少しだけ汗ばむ陽気だった。この日は2月に亡くなった愛犬のトリミングサロンの担当の女性にお別れの挨拶をしに行く予定があった。ぽかぽかしていて、それでいて風の気持ちいい日だった。14時頃に帰宅してお昼を食べ、のんびりしていた。
 夕方頃に、茶白猫の高めの「にゃん」という声が聞こえた。庭に通じる敷地から聞こえるのは珍しく、おどろいた。外の様子を見ると、高校生らしき学生が茶白猫を触りたかったらしく、手を伸ばしたようだった。それから逃げる形でうちの敷地に入ったらしい。私はこれは千載一遇のチャンスだと思った。手にちゅ〜るを持ち、茶白猫を庭まで誘い出した。
 ついに茶白猫が庭にやってきた。胸のドキドキという音がお囃子のようだった。ちゅ〜るだけでは心許ない。ウェットフードを出し、お肉のおやつも使って家の中に入ってくるよう準備を整えた。
警戒する茶白猫をよそに、平静を装って「ねぇ?家の中で入って食べたほうが良くない?」と声をかけ続けた。
 一度部屋に入って、後退。どうにかもう一度、部屋に入ってもらい、慎重にかつ手早く窓を閉めた。茶白猫はわずかな隙間に入って逃げようとしたが、それは体が逃げ出せるようなスペースではなかった。
 茶白猫はパニック状態になっていたが、私はよろこびに打ち震えていた。やっと保護という苦闘の日々から解放されたのだ。茶白猫も野良猫という苦しみの多い日々から卒業し、晴れて家猫になることができた。出会ってから約1年半、保護を考えてから10カ月の日々が経とうとしていた。

 その日に夏につけた名前を正式に命名した。“いつか抱いてあげたい”という願いを込めて、フランス語の“抱擁”という意味のあるカランという名前をつけた。これからたくさんハグのある生活にしていきたい。



最後に 野良猫の保護を通して伝えたいこと

 私は幾度となく、保護にチャレンジをしては失敗してきた。実際、聞くのとやるのでは大きく違うと身をもって体感した。文字では簡単に説明していることもいざ自分でやるとなると、はてしなく難しいことだったりする。茶白猫=カランがそうであったけれど、捕獲機にトラウマがあったり、苦手な子はそもそも捕獲機では捕まえることができない。周囲と協力して餌場を絞ったり、特定すると良いとは言うものの、知らない人がわからないタイミングで適当に餌をあげているとそれもうまくいかない。
 私が保護に失敗するなかで怖かったことは、いつか道端に倒れてる彼女を発見してしまったらどうしようということ。猫が車などに轢かれて死ぬことをロードキルというが、これは殺処分の24倍、年間223,366頭(推計)というデータがある。このデータから示されるように多くの野良猫は轢死している。(https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000036.000050590.html

 私が怖かったのは、カランがいつかどこかで死んでいるという状態に出会うこと/出会わないことだ。亡くなっている状態で会うことはもちろんつらいが、それ以上に人知れず死んでいくことを想像するのはあまりにつらかった。
 だが、野良猫の死を考えると、ほとんどの野良猫の死を私たちは知らないことに気づく。ふだん生活で目にする野良猫の最後を知る人はほとんどいないだろう。
 誰も気にしない野良猫のなかにカランはいた。たまたま偶然が重なって私と生活を共にすることになったが、特別なことだ。きっとこれからカランは野良猫の面影がなくなって、どんどん家猫らしくなるだろう。そうだとしても私はカランが野良猫だったことを忘れたくないし、消したい過去だとは思わない。絶対に消したくない大切な思い出だ。彼女のことをきっかけに、多くの人が野良猫について少しでも考えるようになってほしいと考える。現にTwitterで彼女のツイートは多くの人から見てもらっている。
 家の中からいつもカランの鳴き声に耳を澄まして聞いていた。野良猫がどんな場所を好むのか、どういう場所にいるのかを考えた。それは野良猫のカランとの距離を縮めるために生まれた行動だった。私はカランを通して、野良猫を勉強した。
 私たちの生活に野良猫は遠い生き物かもしれない。きっとわからないことだらけだろう。私もそうだった。それでも近寄りたい、仲良くなりたいと思う気持ちはきっと通じるはずだから、もし自分の周辺に野良猫が助けを求めて来たのなら、そっとその手を握ってあげてほしい。そうやって一人ひとりの余力で野良猫の生活は変わっていくのだと思う。そしてその変化は野良猫にとって、かけがえのない幸せな生活につながるはずだ。
 この先も野良猫に対する気持ちを忘れずに私は生きていく。そうやって生きていきたい。


  


Twitterでの保護のようすはこちらの記事に詳細がまとめてありますので、よろしければお読みください。


現在のカラン



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