見出し画像

ボルダリングジムの激甘グレードは悪なのか!?


はじめに

ボルダリングジムの課題には難易度を表す「グレード」がついているが、これは明確な基準が設けられているわけではなく、各ジムがそれぞれ独自の判断で決めている。

ジム単位どころか、セッターが誰か、その時のセッターの調子や気分などにも左右されるので完全に「ブレない」グレーディングというのは中々むずかしい。

それでも、多くのジムやセッターは「一般的な基準」からあまり逸脱しないようにグレーディングをしているはずだ。

しかし中には明確に意図して「甘すぎる」グレーディングにしたり、逆に「辛すぎる」グレーディングにしたりするジムもある。

特に最近は「都会のジムは甘い」と言われがちだ。

極端に甘いジムと極端に辛いジムでは、5~6グレードくらい離れている(辛いジムで3級がつけられるくらいの課題が、甘いジムでは三段つけられてたりするくらい)とも言われている。

もはやそれは同一のグレード体系を共有していると言えないのではないか?と思う。

正直言って、僕は基本的に「甘すぎるグレーディング」に良い感情を持っていない。

じゃあなぜ嫌なのか?

逆に「辛すぎるグレーディング」はどうなのか?

そういったことを少し考えてみたい。

岩での危機を誘発する説

甘いグレーディングへの批判でたびたび登場するのが「岩での危機を誘発する説」だ。

・甘いグレーディングのジムで高グレードを登れたから自分は岩でも高グレードに挑戦していいはずだ!と思ってしまう
・しかし実はそのジムでは初段と表記されている課題は実際の岩のグレードでは4級くらいだった
・自分の実力を勘違いして外岩の高難度課題に挑戦したそのクライマーが、上部でフォールしてしまい大怪我してしまう

というようなシナリオだ。

さらに、その事故が原因になってエリアの封鎖が起きるかもしれないとか、クライミング文化のイメージダウンにつながるとかまで話が展開して、自己責任に留まらずクライミング界全体に迷惑がかかるんだ!という結論に繋がる、と。

……うーん。

これはさすがに暴論というか、無理があると思う。

まず、甘いグレーディングのジムとはいえ、1級や初段くらいのグレードを登るまでにはさすがにある程度の期間ボルダリングを続ける必要があるはずだ。

そのジムの初段が「まともなグレーディング」の4級くらいに相当するのだとしたら、まあ普通の運動神経の成人男性で、登れるまでに短くても1~2か月くらいはかかるんじゃないかと思う。

それくらいの期間続けていれば、どこかで「そのジム」のグレーディングはいわゆる「外岩」のグレーディングと比べて甘いのだということが耳に入りそうなものだ。

実際、甘いグレーディングで有名なジムをホームとしているクライマーのほとんどは、そのジムが他と比べて甘いグレーディングであることを了解しているらしい。

それに、そもそもはじめての外岩にソロで行くということもかなり考えづらい。
大抵は経験者の引率のもと外岩デビューするはずだ。
その状況で初心者が無謀なトライをしたのなら、責任はジムのグレーディングではなく引率した経験者にある。

でも、もしかしたら1人で情報収集して道具を揃えて外岩デビューする人も居るかもしれない。

そしてそれだけの行動力と好奇心を持ちながら、何故か自分のホームジムのグレーディングが甘いという情報にだけはたどり着かなかったとしよう。

さらに、はじめてとりついた課題が「下部は5級から4級くらいの強度だが、上部のもう落ちてはいけない高さになって急に初段くらいの強度がでてくる」みたいな課題だった……

と、そこまで偶然に偶然が重なれば「甘いグレーディングのジムのせいで事故が起きた」と言える事態に繋がるかもしれない。

可能性はゼロじゃない。
ゼロではないが、正直言ってそんなわずかな可能性のことを言ってたらもうクライミング自体全面禁止しなきゃいけない

いくらクライミングが上手くたってホールドが欠けたら大怪我するかもしれないんだから外岩を登るべきではない!と言ってしまうのと確率的にはそんなに変わらない話だ。

ということでこの線で責めるのはちょっとイチャモンだと言わざるをえない。

グレードの「称号」としての価値が毀損される説

そもそも甘いグレーディングのジムが生まれる原因にグレードの「称号化」があると分析する識者()も多い。

グレードは本来課題の難易度や危険度を示すものであり、それ以上でもそれ以下でもない。
昨今の若いクライマーは何段の課題を登れたからと言って「〇段クライマー」と、グレードを称号のように扱い、自分の強さを他人にアピールしたり、マウントをとるための手段にしたりしているというのがケシカラン。だからいわゆる「お買い得課題」を登って手っ取り早くグレード更新をしようとしているんじゃないのかね?そもそもクライミングとは自然との語らいと内なる自身との戦いでありそこに他者からの評価や他者への評価という価値観を肥大させることは不健全であるうんぬんかんぬん……

みたいな説教をかましてくるクライミング原理主義者もおられる。

曰く、甘いグレーディングはそういった「称号」を手にして承認欲求を満たすことに飢えた軽薄なワカモノの心理につけこんで気持ちよくさせ、自ジムにのみ依存させて金をまきあげるための方法なのだ!
と。

だからそもそも誰もがグレードに「称号」としての価値を感じなければいいのだ、そうすれば甘いグレーディングをする意味が無くなるはずだ!

というのが原理主義者の主張になる。

……うーん。

これもちょっと難しい主張だ。

昨今のボルダリング界において、グレードに称号としての側面があることを認めないというのは無理がある。

むしろグレードが称号として機能するからこそ、プロクライマーは何段の課題を登ったとかVいくつの課題を登ったとかを「実績」とすることができ、価値を生むことができる。

「Burden of Dreams」完登が素晴らしい実績として広く認められているのは、あれが「カッコイイ岩だから」とか「登った姿が映像作品として美しいから」とかではなく(そういった要素もあるにはあるけどあくまでサブだ)、あの課題のグレードがV17だからだ。

誰が何と言おうと「グレードを登る」ということには意味と価値がある。

プロの実績としてだけじゃない。初心者にとってもグレードは重要だ。

ボルダリングをしていて「グレード更新をした瞬間」の喜びはかなり大きい

「またひとつ強くなったぞ!」という実感が数字で得られるというのは、グレードというシステムがもたらす大きな恩恵だ。

「おれは初段を登れたから、2級までしか登れてないアイツより強いぜ!」と、優越感を抱くのだって、それはスポーツをやるものとして健全な範囲のイキり方だとも思う。

アコガレの初段課題を登って「ついに初段クライマーになれました!」とSNSにシェアして仲間たちから賞賛の声を浴びて自尊心を満たすのだって悪くない。

ライバルと「一足先に初段クライマーになってやったぜ! お前も頑張れよ!w」と煽りあったりするのも、ほほえましい切磋琢磨だ。

そういう風に考えると、グレードが称号としての意味を持っていること自体は全然悪いことじゃない。
むしろ好ましいことも多い。

まあそれが行きすぎて、他者評価のための数字だけを追い求めるようになることは確かに問題だが、それはどちらかというとグレードというシステムの問題というよりは、個人それぞれの虚栄心や自己顕示欲の問題だ。そうなってしまう人は、グレードという数字があろうがなかろうが、なにかしらの要素に結び付けて「そう」なってしまう

さて、グレードが称号としての意味を持つことは悪いことではないという話が長くなってしまった。

甘いグレーディングの話に戻そう。

甘いグレーディングの悪い部分はむしろ、このグレードの称号としての価値を毀損することにあるのではないのかと思うのだ。

「初段登ったぜ!すげーだろ!」

というコミュニケーションが正しく機能するのは、グレーディングがある程度共通で安定しているとみんなが信じている場合だけだ。

ジムによって岩場によって課題によってあまりにもグレードの乖離があるなら「初段を登れた」はなんら強さの証明にならない。

激甘グレーディングのジムというものが一般的でなかったおよそ20年前くらいだったら、ジムだろうが岩だろうが「RPグレードは初段です!」と言えばそれだけで初対面のクライマーにも「お、こいつはそこそこ登れる奴だぞ」と一目置かれたはずだ。(どっちにしろ初段程度じゃすごくねーよザコ!と思った過激派のアナタはここを五段に置き換えて読んでください)

その共通理解が今は崩されている。

初対面のクライマーに「ボルダリングやってます!初段登ったことあります!」と言われてもまず「どこのジムの初段かなあ……」と思ってしまう。

岩場や古いジムでは完全に安定したグレーディングがなされていると言うつもりはない。
古今東西グレードに「ブレ」はつきものだ。
程度の問題だ。
あくまで標準的につけようと思って1グレード程度ブレてしまうというのと、「意図して」2グレードも3グレードも甘くつけるのでは、乖離の程度が違いすぎる。

正直に言おう。

ボルダラーたるおれは、他人との「強さ比べ」を楽しんでいる。

それを正しい形で楽しみたい。

遠く離れた面識のない人とでさえそれを共有して楽しみたいのだ。

SNSのプロフィールに「RPグレード〇段」って書いてあるのを見て、「こいつオレよりつえーのかなー?」なんて思ったりしたい。

だから強さの指標であるグレードは全国的に、いや、全世界的になるべく正確であってほしい。
グレードを正確につけ続けることなんて不可能だけど、だからこそブレを許容範囲におさめるようになるべく努力して欲しい。

僕はボルダリングをはじめて初段の課題を登れるまで1年くらいかかった。
その期間、自分なりにしっかり努力したとも思ってる。
登れた時はそりゃあ格別に嬉しかった。
三段を登れるまではそこからさらに2年かかった。
登れた瞬間は叫ぶほど気持ちよかった。
仲間に自慢しまくった。
いまのところ五段-というのが自分のRPグレードだけど、そのグレードを登った瞬間は、誇張抜きに「これを誇りにして生きていける」と思った。
大げさかもしれないけど、それくらいに積み重ねたものが自分の中にあって、だからこのグレードは自分にとって「きちんと中身のある称号」になったと感じている。

なので、SNSを眺めていて、

レンタルシューズでバタバタ登っている動画に
「ボルダリングをはじめて1か月!ついに初段が登れました!がんばったー!」
なんてキャプションが書いてあったりするのを見ると、

「ナ メ ん な!」

って思ってしまう。

いや登った君は悪くないよ。君には君なりの1か月の努力があったんだろうさ。
その努力は尊いよ。でもさ、初段ってグレードは本来その程度じゃあないんだよ。
ホントだったらその10倍くらいは時間使って努力してようやく達成するもんなんだよ。
お れ は そ う し た ん だ よ !!

って、どうしても思ってしまうわけだ。

もう一度言うが、そのクライマー本人は何も悪くない
初段というラベルが公式についているものを、1か月努力して登った。誇っていい。

でも、もったいないじゃないか!
とも思う。

本来「初段」っていうラベルをはじめて手にするために必要な努力は、もっともっと多いはずで、だからこそそれを獲得した時の喜びや達成感や自尊心のぶちアガりはデカイはずなんだよ。

もしかしたらその人はその後さらにボルダリングを続けて、外岩の初段を登るかもしれない。
でも、仮にも一度初段ってラベルを手にしてしまったことで、その時の感動はやっぱりちょっと毀損されてるんじゃないか?
なんて思ったりもしてしまうわけだ。
そこまで思うのは余計なお世話かもしれないけど。


甘いグレーディングに比べて辛いグレーディングへの批判は少ないということも、この「グレードの「称号」としての価値が毀損される説」を補強していると思う。

辛いジムグレーディングはグレードの「称号」としての価値をむしろ強化するからだ。

ジムのグレーディングなんて辛ければ辛いほどいいと思っている人さえけっこう居る。

そういうクライマーは大抵ストイックに「グレードを追う」ボルダリングをしている傾向にある。

さらに言うと、ジムグレードが辛ければ、岩場でのボルダリングは相対的に楽に感じるかもしれない。
ジムはあくまで岩の練習なんだという古式ゆかしい考え方に基づけば、ジムグレードは辛いほうがいいということになる。

ただ僕は個人的には辛すぎるグレーディングというのもそれはそれで害になるとも思っている。

あまりにも辛すぎると、今度は「ホームジムのグレーディングの辛さマウント」みたいなものも生じ得る。

そうなるとそれはそれでめんどくさい。

グレードは「進化を測るモノ」

というわけで、まず

「クライミングはあくまで自分との戦いだから」
「他人からどう思われようと関係ないから」
「グレードってあくまで課題の難易度を表すだけのものだから」

というスタンスをとった場合、もう甘いグレーディングを批判する筋はほとんどなくなってしまう。

実際に他人のことを本当に気にしてなくて自分の世界で完結してるクライマーもけっこういるだろう。
そういう人は甘いグレーディングのジムに対しても何も感じないはずだ。

クライミングは自分との戦いがすべてだよ!というようなスタンスをとっているようにアピールしつつ、甘いグレーディングのジムを批判しているような人は、恐らく心の中に何かしらの矛盾を抱えている。

ジムの激甘グレーディングは良くないことだ!と言いたいのであれば、まず自分はグレードを「称号」として大切にしているということを受け入れなきゃいけないんじゃないかと思う。

外岩で「お買い得課題」を追い求めるボルダラーを批判したい人もそうだ。
本当に自分がグレードなんて関係ないと思ってるなら、別にお買い得課題ハンターたちに何も感じないはずだ。

彼らを批判したいのは、自分がグレードというものを大切に思っているからだ。
自分と同じような価値観でグレードを捉えて欲しいと思ってるからだ。

しかしやはり、日本のクライミング界において
「僕はグレードを称号だと思ってます!その数字の大小でアイツはオレよりつえーとかよえーとかを測ることを楽しんでます!」
とハッキリ主張することは、そうとうダサイことだとみなされてしまう。

ダサイ奴のダサイ感情を守るためにグレード感を統一して下さい!
というのはなんとも正当性が低いように見えてしまう。

だから「岩での危機を誘発する説」のような、立派そうな主張をせざるをえなくなってしまう。

だから「ジムごとに基準が色々あったほうが個性的で良いじゃないですか!そういう多様性があったほうが素敵じゃないですか?」
などという欺瞞に満ちた言説の入り込む余地を残してしまう。

ジムごとの個性というのは課題の質や設備面でいくらでも表現できる。
グレードという「指標」の部分を大きくブレさせることで個性を表現する必要なんて本来どこにもない

「個性的で可愛い定規をデザインして」と言われたとしても、目盛りの幅を変えることだけはしちゃいけないはずだ。それ以外のデザインで個性を出すべきだ。

以前別の記事でも引用したダニエル・ウッズの言葉をふたたび引用しよう。

『トップクライマーが言ってる「グレードは重要ではない」という発言は嘘だよ。僕たちを「上手くなりたい」と駆り立ててるモノは、進化していることを確認することで、進化を測るモノが無ければ、一生懸命努力しても無駄になる。』

ダニエル・ウッズ

そう、グレードは進化している実感を測るために必要なモノだ。でもその指標自体があまりにも大きくブレていたとしたら、僕らは一生懸命努力する意味を失いかねない。

なので、いちクライマーとしての僕の個人的な意見としては「甘すぎるグレーディングなんてクソくらえ!」だ。

……しかし、もうひとりの僕がここで「まあまあまあ」となだめてくる。

ボルダリングジム経営者としての僕だ。

ジム経営者としては、グレーディングを甘くすることのメリットも理解できる。

「甘いグレーディングにしたほうがジムが儲かる」とかそういう単純な私利私欲の話ではない。
本当にグレードを甘くするだけでそのジムが流行るのならとっくに全ジムそうしてる。

やはり甘いグレーディングは、なんといっても「楽しい」。

それが標準より甘い体系であると理解したうえでも、やはり数字が変化するという瞬間は嬉しいのだ。

グレード更新の際の喜びはボルダリングの醍醐味だというのは先述した通りだが、標準的な段級グレードは1グレードの幅が広すぎるため、それを味わう機会が少なすぎる

本当に外岩に合わせた厳格なグレーディングの場合、初心者はまず初日では6級か、良くても5級が登れれば御の字だろう。

その後グレード更新の機会が訪れるのは1か月後とか、ひょっとしたら1年後とかになるかもしれない。多少は上手くなっていたとしてもだ。
それこそ「進化を測るモノ」になかなか出会えないということになる。

そう、先ほど「進化を測るモノ」が正しく機能しなくなるから甘いグレーディングは駄目なんだという主張をクライマーの僕はしていたが、それは僕がある程度成長したクライマーだから言えることなのであって、初心者の目線に立てば「適正なグレーディング」のほうがよっぽど「進化を測るモノ」として機能していないということになる。

ここに甘いグレーディングの正当性と、「標準的」なグレーディングの不当性がある。

なので恐らく、クライマーのややこしい感情を抜きに考えれば、ボルダリングジムは甘いグレーディングに向かって行くのが合理的だ。そのほうが最大多数の最大幸福を実現しやすい。

……いやちょっと待て!

あやうく丸め込まれるところだったぜ。

確かに標準的なグレーディングは1グレードの幅が広い、だからもっと細かくグレードアップしていける体系のほうが望ましいというのはその通りかもしれない。

しかし、そうやって細かく組み直したグレード体系はもはや段級グレードとは別のものとして扱うべきなのではないか?

意図して既存の段級グレードの尺度からズラした体系を「作った」のであれば、そこに段級を当てはめるのではなく、新しい独自のラベルでやるべきではないだろうか?

おわりに

自問自答の末に結論がまとまってきた。

まず「甘いグレーディングのジムが気に食わねえ!」という感情は、グレードで自分と他人の強さを測りたいクライマーの厄介な自尊心や競争心からくるものだ。

しかし、初心者目線からすれば甘いグレーディング(というよりも、1グレードの幅が狭い区切りのグレード体系)のほうが望ましい。

初心者にグレード更新の喜びをたくさん味わってもらうことで早期離脱を防ぎ、クライマーとして定着する機会が多くなることは業界全体のプラスに繋がると思われる。

ただそれを既存の「段級グレード」のラベルのままやる正当性はあるのか?という疑問は残る。

ここから先はちょっと邪推も含む。

初心者にも成長を実感しやすいグレード体系にする、というところまでは、かなりの部分善意や独自の正当な哲学からくるものである可能性が高い。

ただそこに段級グレードを当てはめるという部分に関しては、あわよくば顧客を自店に依存させたいという経営上のちょっとした下心もあるのではないか。

恐らく、ある程度はその効果も出ているはずだ。

その下心の部分にクライマーとしての僕は悪態をつきたくはなるが、それくらいはこの資本主義社会における経営戦略としてはそこまであくどいものとは言えず、むしろ可愛いくらいのものだ。経営者としての僕としては「うまくやっていてすごいなあ」と感心するだけだ。

結局のところ、ジムの激甘グレーディングなんてものは、当然罪に問えるようなものでもなければ、悪だと言い切ることもできない。

「感情として気に食わねえ!」以上のことを言う権利はほとんど誰にもないのだ。
(段級グレードの考案者や、全体のグレード体系の構築に関わったレジェンドたちであればそれ以上のことを言う権利があるだろうけど)

いいなと思ったら応援しよう!