負けると思う時が、負ける時よ──「集英社コバルト文庫50周年 ときめくことばのちから展」
「人間にとっていちばん大事なのは、とにかく生きてくことなのよ」
中学に入ってまもないころ、吹奏楽部の3年生が教えてくれたコバルト文庫 *1 のなかで、大好きなマリナ *2 がこんなことを言った。人を愛して人から愛されて、いつも健康でしぶとく長く生きて、いろいろ楽しむこと。それが幸せってことで、それがいちばん大事なことよ、と。
なんて力強い人間讃歌だろう。月日がたち、さまざまな出会いを経ても、この言葉は私の軸でありつづけ、折々によみがえった。揺らがぬものを信念というならば、私はマリナの信念に支えられて、この30年を生きてきたのだ。
そんなことを、連休中ずっと考えつづけていた。東京・西武渋谷店で開催中の「集英社コバルト文庫50周年 ときめくことばのちから展―少女小説家は死なない!―」で、あの頃の言葉たちを浴びたからである。
青春ヒットソングとしての「言葉」
「ときめくことばのちから展」は、コバルト文庫の50年を振り返りながら、日本のポップカルチャーのなかでも言及されるのことの少ない、少女小説を見つめ直す試みだ。
1976年5月28日に誕生したコバルト文庫は、2026年で創刊50周年を迎えます。半世紀にわたって、たくさんの少女たちの夢と青春を紡いできたコバルト文庫。いつの時代も、コバルトを読む彼女たちをワクワクさせてくれたのは、物語に登場する「ときめくことば」の数々でした。
解説にあるとおり、展覧会の主役は「言葉」である。


『さくらんぼ聖書』のイツキの名言も
コバルトブルーの空間に広がる、言葉、言葉、言葉。
膨大な名作群から厳選された名ゼリフが吹き出しのように━━あるいは手に取ったり、引き出したり、めくったりできるように、展示されている。


(上)氷室冴子『銀の海 金の大地』
(下)花衣沙久羅『リアランの竜騎士と少年王』
私が訪れたのは、4月28日の内覧会。大人になって出会い、「まんが家マリナ」への愛で意気投合したマンガ業界の親友たちと、セリフを見つけては歓声を上げつづけた。
ギャラリーの左奥には、赤いカーテンで仕切られた4つの小部屋がある。
「まんが家マリナ」「炎の蜃気楼」「マリア様がみてる」「伯爵と妖精」。1980年代~2010年代の代表作が掲げられた「ウィスパールーム」で、指向性スピーカーによって自分だけに囁くように、愛するキャラクターたちの名ゼリフを堪能することができるのだ。

オレンジ文庫の若手編集者O氏に促され、ウィスパールームの赤いボタンを押した私は、流れ出した「この手紙は一人で読んではいけない……」という囁きに動揺し、イントロクイズのように叫んでしまった。
「井上和彦さんで『巽の手紙』⁉」*3
「はい、1990年代のイメージアルバムの音源です!」
即答してくださったO氏が、大好きになった瞬間だった。
興奮は最高潮になり、3人で身を寄せ合い、シャルル・ドゥ・アルディ*4 のフランス語に絶叫するなどした。大騒ぎしていたら、大好編集長がやってきて「和矢の歌、聴きました?」と言う。*5
「え、もしやアレですか?『愛からはじまるサスペンス』所収の……」
「DISCO with KAZUYAではなく……」
「オレってガキかな⁉」
「そうです!オレガキ、ぜひ聴いてください!」
そうしてみんなで小部屋に戻り、ランダム再生(各8種)をコンプリートしたのがハイライトだった。2026年になって、公の場で友だちと『オレってガキかな⁉』を歌う(歌える)なんて、誰が想像したことだろう。
下敷きにキャラクターの名前を書写したこと。
吹奏楽部で、手紙の冒頭に「この手紙は一人で読んではいけない」と書くのが流行ったこと(「ネットなき時代のミーム」と爆笑された)。
シャルルの「ほら、プレゼントだ」を味わいたくて、シャンボール城の螺旋階段を巡礼したこと。
記憶が奔流のようによみがえり、女子中学生トークが止まらなくなった。
絵もないただの言葉なのに、どうしてこんなに熱くなるのか、と思った。私たちを一瞬で「あの頃」に戻してくれるヒットソングのように、コバルトの言葉はいまも、鮮やかなときめきをくれるのだ。
だって教室の片隅で、放課後の図書館で、むさぼるように小説を読んでいた少女にとって、「言葉」は音楽だった。
大好きな「言葉」を暗記し、歌のように口ずさみ、やがてそのリズムにのせて「自分だけの物語」を書きはじめた。
そういう、読み手/書き手のあり方を理解している展示だと思った。そこに愛がつまっているからこそ、いとしさで泣きたくなった。
コバルト文庫との30年
私が「まんが家マリナ」に出会ったのは1992年、12歳の春のことである。
第1作は1984年に刊行されているから、その時点ですでに、イラストや文体はレトロだった。しかし、キャラクターの魅力は時空を超える。取材に出かけては事件に遭遇し、和矢やシャルル、ヴァイオリニストの響谷薫とともに暴れまわるマリナの言動は痛快で、私の心を鷲掴みにした。
少女小説史のなかで、藤本ひとみは「美少年による逆ハーレムの元祖」とされているが、私はそこにわずかな違和感がある。それは偉大な発明だったし、自分自身もシャルルを愛していたが、それ以上に私を虜にしたのはマリナの強さだったからだ。
そして、シャルルたちをとりまく華麗なる世界観と教養、あるいは旅情。それらは、私の人格形成に大きな影響をおよぼした。
モザンビーク内戦からヴァネッサ・パラディまで、世界のニュースをマリナで知った。ダ・ヴィンチや古代ローマの愛憎劇に、教科書に描かれない歴史があることを知った。
コバルトは、ときめきだけでなく、世界の入り口だった。

1990年代前半、レーベルの潮流はファンタジー(あるいはBL)に向かっていた。桑原水菜「炎の蜃気楼」や若木未生「ハイスクール・オーラバスター」シリーズは友人の“担当”だったが、当然のように通読した。
少女小説とマンガの違いは、絵そのものが主体ではないからこそ、直撃世代の幅が比較的広い点だろう。
藤本ひとみを一気に読破した私が、赤川次郎『吸血鬼はお年ごろ』(1981-)、氷室冴子『なんて素敵にジャパネスク』(1984-91)、日向章一郎「放課後」「星座」シリーズ(1988-)などの古典を読みあさったように、一回り下の友人たちは、ミラージュを後追いしたそうだ。
背景の異なる人々と同じ物語で盛り上がるたび、世代を超える小説の力に感謝したくなる。

O氏の分析によると、私が雑誌『Cobalt』の読者だったのは、『銀の海 金の大地』が未完に終わる1995年までのことだ。短くも濃密な体験だったが、大人になってマンガ・アニメ研究に足を踏み入れてからは、意識的にコバルト文庫のトレンドを追いつづけた。2013年に刊行した『マンガと音楽の甘い関係』(太田出版)でマリナについて執筆できたときは、それだけで感無量だった。
その頃知り合った年下の友人たちは、今野緒雪『マリア様がみてる』(1998-2012)を心から愛していたし、谷瑞恵『妖精と伯爵』(2004-13)、青木祐子『ヴィクトリアン・ローズ・テーラー』(2005-13)は取材のために読みこんだ。
そこにかつての熱狂はなくとも、あの頃の自分に再会するような、疼くようないとおしさが、いつだってコバルト文庫にはあった。
コバルトを語り継ぐこと
会場にちりばめられた「言葉」は、SNSでのファン投票はもちろん、次世代を担う白百合女子大学の学生たちの視点などを取り入れて選ばれたという。
物語の自動販売機「くるりん♡ストーリーボックス」も楽しい。厳選された100作品の中から、ランダムで発行される「物語の冒頭」たち。偶然に導かれ、自分のもとに舞い降りる新たな物語だなんて、なんというときめきだろう。
内覧会では、作家トークショーの進行役である、俳優の齋藤明里さんにもお会いした。1995年生まれの彼女に好きな作品を伺うと、じつはコバルト文庫は通過してこなかったのですが、と前置きした後、こんなことを聞かせてくれた。
「昨年オレンジ文庫から復刊された『銀の海 金の大地』にはまって、ここからたくさん読んでみたいと思っているんです」
キラキラした瞳のなかに、12歳の自分を見つけて感極まってしまった。世代どころか時空を超えて、青春どころかいくつの人の心にも、コバルトの魂は生きていくのだ。

本を愛するすべての人に訪れてほしい
50周年のいま、コバルト文庫の往年の名作に再び光が当たっている。
この春、氷室冴子の復刊『少女小説家は死なない!』、青木祐子、若木未生らが書き下ろした『コバルト・プレイバック・アンソロジー part1』につづいて舞い込んだニュースは衝撃的だった。
1995年、『シャルルに捧げる夜想曲』を最後に未完となっていた藤本ひとみ「まんが家マリナ」シリーズが復刊、そして完結するというのだ。
人生にこんなことがあるなんて、思いもしなかった。年表の前で30年に思いを馳せ、私は息をついた。
「ひとみ先生に、人生のすべてを教わった。そして今また、信じることの尊さ、絶対にあきらめちゃいけないってことを教えられたのよ」
そこまで言うと、隣にいた友人と声が重なった。
「負けると思う時が、負ける時よ」
私たちは笑って頷いた。
大好きなマリナの言葉を胸に、これからも生きていく。
(2026/5/6記、5/7追記)
脚注:
コバルト文庫:
1960年代の『小説ジュニア』を前身に、中高生がヴィヴィットに楽しめるエンターテインメント小説を目指し創刊されたレーベル。「コバルト」は、青春を象徴する色としてのコバルトブルーから。2016年の雑誌『Cobalt』休刊以降は縮小していたが、近年、姉妹レーベル「オレンジ文庫」からの復刊が相次いでいる。マリナ:
コバルト文庫で圧倒的人気を誇り、累計700万部を売り上げた藤本ひとみ「まんが家マリナ」シリーズの主人公。売れない三流まんが家で、取材のたびに事件に巻きこまれる。明るく人懐こい(ずぶとい)性格のおかげで友人に恵まれ、なぜか美少年にモテまくる。CV林原めぐみ。
※引用は『愛いっぱいのミステリー』より井上和彦さんで『巽の手紙』:
マリナシリーズ第6作『愛よいま、風にかえれ』で少女たちを号泣させた手紙。マリナの親友・響谷薫の兄・巽が、ある事情で会えなくなった妹にあてて書いた。1990年代の少女向けイメージアルバム、及びドラマCDの帝王だった声優・井上和彦は、アニメ映画『愛と剣のキャメロット』アーサー・ペンドラゴンや、「新花織」シリーズの美馬貴史も担当している。シャルル・ドゥ・アルディ:
フランスの名門貴族アルディ家の直系で、IQ269の天才。クールできわめて繊細な性格で、人嫌い。決めゼリフは「たとえ太陽が西から昇っても、このオレに間違いはない」。CV菊池正美。和矢の歌:
マリナの中学時代の同級生であり思い人、和矢・フランソワ・ローランサン・黒須がイメージアルバムで披露した歌。意地っぱりな自分を歌った、1980年代らしいアイドル歌謡だが、シャルルの幼馴染で唯一の友である彼はとても大人で器が大きいと思う。CV辻谷耕史、歌唱は北原拓。
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読んでいただきありがとうございます。新しい「物語」のため、大切にします。