志賀高原と調和するホテルであり続けるために「シャレー志賀」【地域インタビュー#2】
日本最大級のスノーリゾートとして有名な「志賀高原」は長野県北部、下高井郡山ノ内町に位置します。
志賀高原のその豊かな自然は、上信越高原国立公園、また、ユネスコエコパークとしても認定されており、国内外から多くの観光客が訪れます。
そんな志賀高原の開発・発展に携わってきたのが、志賀高原内一の瀬エリアに建つホテル「シャレー志賀」を経営している佐藤家です。
現社長の佐藤秀信さん(以下、佐藤さん)は、ホテル業のみならず写真家としてもご活躍されており、さまざまな視点から表現することで、志賀高原の魅力をさらに引き出しています。
そんな志賀高原の歴史と、佐藤さんからみた志賀高原の魅力について、伺いました。

シャレー志賀・佐藤秀信さん プロフィール
長野県山ノ内町出身、志賀高原の大自然の中で育つ。家業であるホテル「シャレー志賀」の3代社長として、妻・秀代さんとともに経営に携わる。日本写真家協会正会員として写真家としての顔も持ち、昨年は個展「或る志賀」を東京・フジフイルムスクエアにて開催。ホテルオーナーと写真家としての強みを活かし、ホテル内に「志賀高原フォトグラファーズセンター」を開館し、写真を通じた人々の交流の場づくりにも力を注いでいる。
志賀高原の「歴史」と特色ある「地域性」
――日本最大級のスノーリゾート「志賀高原」ですが、佐藤家は代々、志賀高原の開発・発展に携わっていたそうですね。
そうですね。分かりやすく言いますと地主の一角といいますか。佐藤家は200年以上続く造り酒屋で、志賀高原の歴史と関わりがある家系です。
そもそもこの地域は「志賀高原」と名前が付く前まで、炭焼きや竹を切ってかごを作るための材料を採取する人たちが作業の期間中だけ住む山でした。
それが約100年前、地元企業の長野電鉄と地主組織(和合会)がスキー場開発をするために協力し、当時、和合会の理事長だった私の曽祖父や、電鉄社長らがこの地域一帯を「志賀高原」と命名したことが志賀高原の始まりです。
このころ国もスキー産業の振興に力を入れ始め、国策ホテルができ、次第にスキー産業は発展してきました。志賀高原もスキー大衆化の波に乗り、和合会の権利者によるホテル建設が始まり、昭和30〜40年一の瀬地区開発の際、祖父の代の昭和44年に「シャレー志賀」がオープンしました。
祖父が創業し、伯父から父へ受け継がれたシャレー志賀は、現在私が3代社長であり、佐藤家は志賀高原と共に過ごしてきました。

――「志賀高原」と呼ばれる起点から、現在は国内外問わずに賑わう観光地にまで発展。壮大なストーリーを感じます。
外から見ると、歴史に携わっている名家という風に捉えられるかもしれませんが、私は分家の息子として生まれ育ちましたので、佐藤家ではあるものの、俯瞰して見れるような立場でもあり、難しさと新たな視点が同居しているような感覚でした。そのため、”そういう環境にいる”という一歩引いたような形が昔から良い意味でも悪い意味でもありました。
そもそも志賀高原エリアには6〜7個の苗字しかなく、地域全体が親戚みたいでもあり、一昔前の封建的な文化が今でも残っている地域でもあります。
山の上で、住民が100人も住んでおらず、最低限のライフラインの確保という行政サービスもされていない過疎の地でありながら、年間100万人以上の人が訪れる産業があり、観光協会、旅館組合といった組織が成り立ち、上下水道の確保等の自治がきちんとしている、こんな特色ある地域は結構珍しいと思います。
――地方はどんどん廃れてしまうイメージですが、スキー産業などの観光資源があり、賑わっている……。この地域ならではの特色なんですね。
志賀高原は、自分たちで地域を守って土地を管理しています。地域レベルで志賀高原を良くしていくための組織があり、さらに上に、上信越高原国立公園として国レベルで環境省が管理をしています。さらには志賀高原ユネスコエコパークとして文科省も関わっているので、ある意味がんじがらめで難しい土地なんです。
この土地をより良い方向へ進めていくために、さまざまな方向から手を差し伸べてくれますが、地元の人からすると今までの伝統を重んじる気持ちが強くありますし、急に手が入ると多くの人が困惑してしまいます。そのため、いきたい方向になかなかいけない、そういったジレンマが混ざり合っているのが現実ですね。

――地域の人の思いと、発展するための思いが混ざり合っているんですね。
そうですね。おそらく、他のスキー産業が発達している地域も同じような感じで、古い文化が代々繋がってるところが多いですね。
こうした雪山暮らしの実態は外からは見えず、知られていない部分なので、雪山に住む人達は少し古いといいますか、難しい人も多いと思います。その背景には、地域性もあるんですよ。
幼少期から変化した志賀高原への「愛着」
――自然あふれる志賀高原ですが、幼少期はどのように過ごされていましたか?
小さい頃は志賀高原という自然が嫌いでしたね……。とにかくここ以外の場所に行きたくて、長野市の街中や遊園地などに連れて行ってほしい気持ちでいっぱいでした。
ですが、休日になると親は「あの川に行こう。」「あの山に登ろう。」と言ってきて、お弁当を持って志賀高原の焼額山や岩菅山に登っていましたね。

photo by 佐藤秀信
――子どもだからこそ、近くにある自然の良さは感じられないですよね。
そうですね。ですが、なんだかんだ言って山頂まで登りきったあとは気持ちいいなと思っていましたね。来てよかったねとか言って。
また、今となってはこの山に登っておいて良かったと思うことがたくさんあり、今でも登ろうと思いますね。登っていたという経験が、自分を山好きにしてくれたところもあって、そうでなければ、今もただそこにある山でしかなかったと思います。何回も踏み入れているからこそ、自分の山という感覚になることがあります。
あそこで転んだとか、あそこで迷子になったとか、思い出があればあるほど愛着が湧いてくるので、結果として連れ出してくれた親には感謝をしています。
――何度も踏み入れて愛着が湧いた志賀高原の山々。訪れる人にも体験してほしいですね。
自分の山だと思えるぐらい大切にしている山なので、訪れた人たちも愛着を持ってくれるようになれば嬉しいですし、大切にしてもらいたいと思います。
そのために、今はさまざまな形で志賀高原の自然の良さをアピールしています。
ホテル館内には志賀高原の風景写真を飾っていますし、トレッキングツアーなども開催しています。入り口を広くもって、何かのきっかけで多くの人に好きになってもらいたいと思っています。

写真撮影プランがある
――ステキですね。志賀高原といえばウィンターシーズンがメインのイメージですが、写真撮影なら夏も面白そうですね。夏の魅力は何がありますか?
雨が降って水が流れて、虫や魚がわちゃわちゃとして、草や花や木が嬉しそうで。霧が出たり日差しが強かったりすると、木陰が気持ち良かったり。汗をかいて山に登ったら写真を撮っていると、人も動物なんだなと感じたり。
さらには、夕焼けが綺麗だったり、朝日が幻想的だったり。次々に咲く花が綺麗で木の葉っぱの色もどんどん変わって、あっという間に赤くなって落葉して、冬が来て、また春になる……。
……少し恥ずかしいですが、思いのままを話すと、そんな感じですかね。説明しきれないのですが、とにかく自然が賑やかなんです。
――「自然が賑やか」素敵な表現ですね。
虫や動物が動くだけではなくて、植物が賑やかなんです。葉っぱがワサワサしていて、いろんなものが動いています。自然の中なので静かですが、川も空気もみんな動いている様子は、見たり感じたりするだけで楽しいです。

photo by 佐藤秀信
――その言葉ひとつひとつから、志賀高原の夏の情景が浮かんできます。
思いのままに話しましたが、一言で言うと「美しさ。」ということになります。
ホテルの目の前にある一の瀬ダイヤモンドスキー場も、冬は雪で覆われていますが、その下には雪が溶けるのを待っている植物があります。春になればこの一帯は草原になるので、そこでただぼーっとしているのも気持ちがいいですよ。
そして、さらにあたたかくなるとピンク色の「ヤナギラン」という花がたくさん咲きます。
ぜひ冬以外のシーズンも訪れていただきたいですね。

photo by 佐藤秀信
「新しい風」が吹くシャレー志賀の経営
――そんな志賀高原においてホテル「シャレー志賀」を経営されている佐藤さんですが、ホテルの方針などはありますか?
お客様に喜んでもらうことを第一に考えています。
私は「〇〇じゃないといけない」という思い込みが強いので、お食事を美味しくしなきゃいけないとか、お部屋を綺麗にしなきゃいけないとか、資本が追いつく限りお客様に喜んでもらえるようにやってきました。
そこへ秀代さん(佐藤さんの妻 以下、秀代さん)がホテルの経営に入り、ホテルの雰囲気も変わっていきました。
――秀代さんが経営に入ったことで、どのような変化があったのですか?
秀代さんは向上心を持った人なので、新しい風をたくさん吹かせてくれました。
館内の内装デザインやホームページのコンセプトなども整えてもらって、ホテル全体が綺麗になっていきました。綺麗になったというのは清掃を頑張るということもありますが、雰囲気も洗練されて、現代的になっていったというニュアンスです。

――たしかに、このラウンジも落ち着きますよね。バーカウンターもあって、いつ見てもお客様がくつろいでいるイメージがあります。
リフォームをするときに、設計士さんと相談してこのラウンジのレイアウトを決めました。デザインも軽くなりすぎず、重くなりすぎないところを建築的な観点から調べました。
ホームページを作り直すにあたっても、先代がやってきた軌跡を奥深くまで知ることができました。断片的には知っていましたが、いざ洗い出してみると意外と知らなかった歴史もあったという発見もありました。
――このようなリフォームやホームページの改修などは志賀高原内のホテルでも当たり前になっているのですか?
いいえ。私たちもたまたまタイミングがあってできたところがあります。
理由のひとつは世代交代。世代交代をしていないホテルだと、秀代さんのように外から来た奥さんは経営に口出しなんてできるものではないので、やりたくてもできないという状況になっています。
もうひとつは資金面。リフォームにはもちろんですがお金が必要です。私たちは補助金申請が通りリフォームができましたが、その補助金をもらうためには、自己資金もある程度必要です。昨今、スキー産業も衰退の一途をたどっていますので、そのための自己資金が出せないホテルがあるのも現実です。
あとは、昔の習わしや文化に沿っているために、思いきれない面もあり、理由はそれぞれです。そのため、こういう風にリフォームをやっているのは数軒ですね。とくに、私たち世代の人が経営しているホテルだとあまり見ないですね。

――なるほど。やりたくてもやれない現状と、地域性も絡んでいるんですね。
そうですね。なので、うちが周辺ホテルへ少しずつアピールができれば良いなと思っています。
例えば、インバウンドを始めたとき。インバウンドの宿泊は1泊朝食付きが多いので、それなら夕食を食べられる場所としてレストランを置かないといけない。そこで、1階にレストランを始めました。
これは、「インバウンドをするなら、レストランの運営も頑張って、志賀高原全体を盛り上げよう。」という他のホテルへのアピールでもありました。
これだけを言うと、「うちを見て真似しなよ。」と傲慢な考えにみえますが、うまくいったり失敗する様を示すことによって、みんなが考えて努力をすることでたくさんのお客様が訪れる場所になったらいいなと思っています。
みんなが儲かって、みんなで幸せになって、そして元々の自然が素晴らしいので、こうして商売が成り立っています。自分のところだけが良くても意味はなく、この自然を使い捨てにしないようにみんなで守っていこうというのが前提にあります。しかし、疲れてきているホテルがあるのも見えているので、難しいところです。

――疲れてきているのは、世代交代がまだのホテルということですか?
それもありますし、資本がない中で建物は古くなる一方で、借金も減っていかない。そうなると、新しいことをする力もなくなってしまいます。
さらに先程お話した通り、ここの地域性があるので外国人に対してまだ寛容になれない部分もあります。しかし、出生率を見れば今後も日本人はどんどん減っていく一方で、そうなると修学旅行として来る学校も少なくなっていきます。
一概に「変えていくこと」自体が難しいことですので、二の足を踏んでいる人も多いです。そんな難しいことじゃないと思いつつも、50、60代になってから商売を方向転換するのも体力を使いますよね。
もちろん、周りのホテルもコンセプトや思いをずっと持っておられますから、完全に真似をしてくださいなんてことは思っていません。ただ、何かヒントになればいいなと思っています。そのために今、私たちのホテルは写真を撮って飾ったり、内装工事をしたりしてアピールをしているところですね。

視覚的にも志賀高原を楽しむことができる。
photo by 佐藤秀信
――志賀高原全体を盛り上げることを考えていても、さまざまな思いがありなかなかうまく進まない……。もどかしいですね。
そうですね。ですが、秀代さんのように、他のホテルも奥さんは外から来ている人が多いので、ここ10年ぐらいでそれぞれ新しい風が吹いていると思います。さらには、私たちよりももっと若い世代が帰ってきているホテルもあります。そういうホテルは、今どんどん風を吹かせ始めてます。
そして、秀代さんは、若い女将さんたちのカリスマ的存在になりつつあり、他のホテルの奥さんや若奥さんたちは秀代さんのことを好いていると思います。人一倍考えて、人一倍動くので、私は邪魔をしないようにしています。
「当たり前」のことを続ける難しさ
――秀代さんのご活躍ももちろんですが、佐藤さん自身もホテル経営にあたってさまざまなアプローチをされ、大変だったことがあるのではないでしょうか?
そうですね……。大変なことと言えば地域全体になりますが、水道管が破裂してしまい、朝から水が出ないということがありましたね。
――ホテル業をしていて水が出ないことは大問題ですね。すぐに業者さんを呼ばないと……。
と、思うじゃないですか。ですが違うんです。
まずはみんなで破裂した箇所を探しに行くんです。水の音がするところを探して、見つけたかと思えば、雪が2メートルも積もっている場所で、掘るしかないのでみんなで協力して掘って……。あのときは本当にどうなってしまうのかと思いました。
台風で崖が崩れてしまったり、汚水管が破裂してしまったり、地域全体で取り返しがつかないようなことは何回もありましたが、みんながみんな頑張って取り返しをつけていくような。規模は大小ありますが、毎日そんな感じです。
ホテル規模だとボイラーの蒸気の配管が割れてしまったり、雨漏りしたり、本当にそんなことの繰り返しなんですよ。

――どれも大変なエピソードだと感じますが、これが日常なんですね。
そうなんです。だから常にこんなもんでしょ?と思うことにしています。いつ何が起こってもすぐに対応して、なんとかしていかなきゃいけない状況なんです。いつも走り続けているみたいな感覚です。
その根底には、ホテル業という対人関係の職業だからこそ、お客様に快適に過ごしていただくためを思っての行動になります。ボイラーが壊れたらお湯が出なくなるので、すぐ直さないといけない。最後は業者さんに見てもらいますが、その対応をスムーズにするためにも、自分で故障箇所を早く発見して、素早く対応していただけるように動きます。
だから、社長としての仕事は営繕ですね。色々修理したり、電気を変えたり、小さいことがたくさん積み重なって大変なこともありますが、志賀高原の社長はみんなやっていますよ。
――毎日が慌ただしく過ぎていきそうですね。逆にそんな中で嬉しかったことはありますか?
こんな日々だからこそ、お客様から「良い旅行でした。」と言って帰ってもらえるのが何よりの幸せですね。最終的にそれがあれば良いと思っています。

――いつも根底には、お客さんが楽しんで帰っていくために。なんですね。
はい。そういう商売だと思っていますし、トラブルも日々起きます。
お客様対応についても、一人のお客様だけの要望を聞くのではなく、ホテル全体をみて安心・安全に過ごしてもらえるかどうかを考えて行動をしています。時には、最善策ではなかったかもしれないと反省することももちろんあります。
何より、こうして毎年新しいスタッフが来てくれて、シャレー志賀のために働いていただけることに非常に感謝しています。なので、自分の対応が最善でなかったときは、失敗したなと思いますし、スタッフのみなさんにも迷惑をかけているなと感じます。
――スタッフから見えないところで、ホテルを安全に運営するために細かな調整を重ねている、まさに代表取締役社長の役割なんですね。
ホテル全体を考えると、一人ひとりのお客様の要望全てを叶えることは難しいところです。とはいえ、最後はお客さんに喜んでもらうためにという気持ちが一番です。それがないとホテル業として成り立ちませんし、継続もできません。
喜んでもらうために日々頑張りますが、空回って失敗する時もあります。これが現実ですね。
志賀高原の魅力を「写真」で伝えること

――佐藤さんはホテル業だけではなく、写真家としてもご活躍されていますが、何かきっかけがあったのでしょうか?
ホテルの経営が苦しくなってきたころに、当時、ホテル内にあったスキースクールの社長さんから、「写真が好きなんだから写真の講座をやれば良い。写真家を紹介しよう。昔シャレー志賀にもよく来ていた人だからお前のことも知ってるよ。」と言われ、後の師匠である水谷氏を紹介してもらいました。
実は、私が小学生ぐらいのころ、そのスキースクールパンフレットの表紙の写真がものすごくかっこよくて衝撃を受け、こういう写真を撮りたいと思っていたのですが、その表紙の写真を撮っていたカメラマンこそが、水谷氏でした。
そのころは、スキー雑誌の写真といえば全部水谷氏の写真で、日本のスキー界を変えたぐらいの写真家だったんです。
――小学生の時のあこがれの存在である写真家が、巡り巡って写真のお師匠さまになっただなんて、すごい偶然ですね。
偶然が重なり、とても驚いたことを覚えています。
そこから、やるからには極めたいと思いましたし、それが新しい経営の形としても成り立つのであれば、きちんとプロのカメラマンになって、新たな顧客を発掘しようという流れになりました。
ある程度、写真家として有名になればお客様も来ていただけるでしょうし、写真講座を開けばお客様もつくだろうし、夏の間の集客にも良いなと思って写真家になりました。

プロアマ問わずカメラマンを始めとした多くの方が集い、くつろげる空間として展開
――ホテル経営の新たな打開策として、写真で表現するという道が開いたんですね。
正直なところ、趣味と実益ですね。プロになりたいし、良い写真をもっと撮りたいし、それがさらにホテルのためになるんだったら最高だなと思っていました。ただカメラの技術を極めるだけではなくて、被写体となる自然も知ろうと思い、自然観察インストラクターや自然保護指導員、森林セラピーガイドなどの資格も取得しました。
自然を写真で残すということは、「美しい自然を形として残すために撮っている」ように思われるかと思いますが、ただ風景写真は綺麗で、好きだと思うから撮っているという気持ちが大きいです。
……それが結果として自然を残すために撮っているのかもしれませんが、私は、私の写真を見て綺麗だと思っていただけたり、志賀高原に行ってみようと思っていただける人が一人でもいると嬉しいと思いますね。
さらには、実際に訪れてみたら、本当に綺麗だったと思ってもらえるかもしれない。そんな風に連鎖していけばと思います。
また、これも周りのホテルへのアピールでもあります。志賀高原の素晴らしさをお客様は知っていますが、地元の人からすると当たり前すぎる志賀高原の自然を写真という形で伝えていけたらという気持ちもあります。

当たり前に見える景色をレンズを通して作品へと変える
photo by 佐藤秀信
感性を表現する佐藤さんの「スタイル」
――ホテル業と写真家を兼業されている佐藤さんですが、実はこれをやってみたかったという職業や趣味はありますか?
サラリーマンもしてみたかったと思います。
サラリーマンは、その人の能力と成果が全てなので、ある意味1人で生きていると思っていて。ホテル業はいろんな人に助けられてホテルが成り立っているので、そういう意味で「ホテルの社長」という結果で褒められますが、私1人では経営できないですから。
なので、1人で全てを担う世界で生きてみたかったというのもありますが、多分無理だったと思います。サラリーマンも最後はチームだと思いますが、結果や実力が全ての世界というイメージがあり、そういう意味でサラリーマンは大変だろうなと思っています。
という話は前置きで、実はギタリストになりたかったんです。

――驚きました!サラリーマンではなく、音楽なんですね!
サラリーマンの話も本当ですが、じつは、大学時代に友達に誘われ学園祭で1回だけステージに立ったのですが、私の演奏はボロボロで。私のリードギターが止まって、恥をかいた覚えがあります。その瞬間に完全なものを提供しなければいけないバンドというものの恐怖を知りました。仲間にもすごく迷惑をかけて、それがトラウマで、もう二度とやらないと決心しました。
ですが、楽器は好きなので、音楽には興味があります。
――そんな一面もあるんですね。写真と一緒で、表現することがお好きなんですね。
そうですね。音楽以外にも実は、小中高は美術部で絵を描いていました。昔のホテルのロビーには日本画の屏風が飾ってありましたし、本家にもたくさんの絵があり、絵の中で育ってきたので自然と描いていましたね。
東山魁夷が大好きで、私の感性に刺さり、そのような絵を描いていました。今は絵から写真に変わりましたが、写真も似たような表現が反映されています。
どちらも感性を出すという行為は一緒で、出力が違うだけなんです。

photo by 佐藤秀信
――絵も描かれていたとは、まさに多彩ですね。佐藤さんの感性といえば、シャレー志賀の館内にはさまざまな写真が飾られていますね。
はい。「或る志賀」という個展をやったときのレイアウトをそのままに館内に飾っています。この個展ではプロデューサーをつけており、「これは佐藤さんが出ているね。」と選んでもらった写真なので良い写真が多いです。
自分では自分らしさが出ている写真を選ぶというのが難しく、まだ自分では選べないですね。それでも、この個展の写真は私らしい写真が多いとは思います。逆に、ラウンジにある写真は私が選びましたので、普通の風景写真だなと思いますし。

photo by 佐藤秀信
――自分で自分らしさが出ている写真を選ぶことは、難しいことなんですね。
そうですね。なので個展をしてプロデューサーに私らしい写真を選んでもらって、それを見て「あ。これが私らしさなのね。」と知ることで、自分でも系統が分かってきます。
その写真を撮った時の思いや仕上がりを見て、これはちょっとかっこつけている、これは人の目を気にして撮ったとか、「見せるために撮った写真」というのは、自分の中でようやく整理がついてきたところです。この感覚が掴めて、ようやくプロの道を一歩進めたなという感じです。
これからもっと自分を突き詰めていけたら、良いプロになれるのかなというのが今の段階です。
――プロとはまた別の意味になるかもしれませんが、シャレー志賀のホームページにおいて、「ここ(志賀高原)で写真を撮り続けることは意味があるのだと〜」とありますが、今どのような意味を生み出していると思いますか?
難しい質問ですね。
……意味は人が決めるものなので、私は一生懸命写真を撮るしかないと思っています。私のやっていることに対する価値とか意味は、今皆さんが反応してくれれば、それがようやく意味をなしてくれるので、自分がどうしていくとかはありません。
認めてもらえるように写真は撮り続けますし、良くしていくということです。結果として志賀高原への貢献につながり、意味を生み出してくれれば良いなと思います。

――人からの言葉であったり、目で見て意味を生み出せたなと感じた瞬間はありますか?
ひとつは、シャレー志賀をやっていることが活動して実績になっていくので、業界の中でも少しずつ認知度が上がっている感覚はあります。以前は水谷氏の弟子だと言っても誰にも相手されませんでしたが、今は「水谷の弟子なんだね。」って言われることがあります。
写真家の価値は、いかに個展をやっているかなんです。個展をしていることや雑誌に発表している人がプロの仲間入りの印となります。私は個展を2回やったことで、みなさんがそういう目で見てくれるようになりましたね。
――やはり実績なんですね。
そうですね。なので価値をつけるには続けていくしかないですね。
それが形になっていくので、人が認めてくれる内容のものを続けていかないといけない。誰も分かりやすく評価をしてくれない感じですね。だからこそ、撮り続けることの意味は説明できないんです。
志賀高原に「溶け込む」ような場所として
――今後、この場所(シャレー志賀、志賀高原)をどのような場所にしていきたいですか?
この流れでより質を高く、より落ち着いた、居心地のいい場所にしていきたいですね。自分が好きな場所なので、みなさんにとっても好きな場所としてあり続けたいと思います。
この場所は志賀高原の自然を感じられる本当に良いところです。居心地の良い場所をこれまでも考えて運営してきたので、この先も自然を邪魔しない、滞在を楽しめるような場所として頑張っていきたいです。
そして、志賀高原の癒しのパワーとの相乗効果で楽しめるようなホテルにしたいというのが一番の思いです。志賀高原の自然を楽しみに訪れている人たちの、その楽しみがホテルまで繋がっていくようなイメージです。

photo by 佐藤秀信
――「繋がる」というのはどのようにですか?
ホテルに流れる空気や空間と志賀高原が繋がっていたいということです。
疲れを取ったり、病んだ心が癒やされたり、そういったものを自然に求めてくる人がいると思います。そうした人たちが求める「自然の居心地の良さ」を感じた後に、ホテルに入ったら「なんか違うな。」となっては意味がないので、「居心地の良さ」の流れを途切れさせないホテルでありたいなと思います。
志賀高原の自然だけを楽しみに来て、ホテルは帰って休むだけの場所ではなくて、美味しい食事でさらに心が満たされて、居心地のいいベッドで休んでもらいたい。だから、料理も変えてきましたし、ベッドも徐々に変えているところです。
今は、暖房の細かい温度の調整ができないことがストレスになっているので、蒸気ではなくて温水ボイラーに交換することを検討中です。それには配管を全部やり直さなければいけません。
すぐにできるものから、すぐにできないものまで、そういった細かい改善点がまだまだたくさんありますので、まずは当たり前のことをやっていくことです。先は長いですが、少しずつ諦めないで頑張っていくしかないですね。
――当たり前のことをやっていく。ホテル経営のお話のときもおっしゃっていましたね。
そうですね。そうしたことが志賀高原とより繋がっていくホテルであり、自然に溶け込んでいくような感じですね。
また、ホテルだけが目立つのではなくて志賀高原を邪魔しないホテルとしてあり続けたいです。ホテルできらびやかなことをして目立っていくわけではなくて、より志賀高原と一体となって、それが周りのホテルとかにもどんどん広がって良くなっていきたいです。
そんな感じで当たり前を続けて頑張っていきます。
――これからの志賀高原の発展と、シャレー志賀の活動を楽しみにしてます。
はい。みなさんもぜひ、遊びに来てください。

青い空と緑の草原に彩りを添える花々が多くの人々を歓迎してくれる。
photo by 佐藤秀信
基本情報
【施設名】シャレー志賀
【住所】長野県下高井郡山ノ内町 志賀高原一の瀬
【電話】0269-34-2235
🔽ホームページ 志賀高原のホテル シャレー志賀【公式】
🔽ホームページ 志賀高原フォトグラファーズセンター
🔽Instagram くつろぎの高原ホテル シャレー志賀
🔽Facebook Chalet Shiga -Ichinose Shigakogen- シャレー志賀
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編集後記
本インタビューで最も印象に残ったことは、夏の魅力を語る佐藤さんです。何一つ偽りない志賀高原の自然の魅力を言葉にして表現していただきました。
インタビュー時は冬の雪が残る志賀高原でしたが、その言葉を聞いているだけで、志賀高原の夏のイメージが脳裏に浮かび、今ある、ありのままの自然を楽しむためにこの場所に訪れたいという気持ちに駆られました。
志賀高原と共に生きることは、決して簡単なことではないのでしょう。それでも、自分の一部であり、みんなの地域であるこの場所を大切にし、存続させていくその力強い気持ちが、インタビューを通して伝わってきました。
やり方にとらわれない、これからの志賀高原、シャレー志賀の発展を心よりお祈り申し上げます。
次回は、夏に訪れます!
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