「私の文章修行のお話。(7月28日)」
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ここ《note》には、あなたや私を含め、さまざまなお話を綴って投稿されるクリエイターさんがいらっしゃいます。
書くという行為で、小説を世に送り出したり、あるいはあなたが日常の中で感じたことをエッセイや詩として発表されている。
かくいう私は、今でこそ、生業としてピアノを奏でていますが、そこには「心にある想いを音に乗せて表現したい」という強い気持ちがあります。
そのことは、今、あなたに読んでいただいている"このお話"を綴りたいと思った動機と根っこは同じで、
「音楽と文章とは、私にとってかけがえのない大切な表現手段なのです。」
音楽もそうですが、文章もかつて、先生の下で修行をしました。
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私の師匠のお言葉によると、芸事の初歩とは、誰かの真似をするところから学びが始まるのだそうです。
ものまねをすることで、相手の物事の考え方や、隠された手法を盗み(学び)取る。
今どきは、駅前ビルのカルチャースクールにも、大人からのピアノと並んで、文章教室が講座として並んでいますね。
けれど、そこでの学びは、相手にこちらの言わんとしたことがきちんと伝わるようにするための、接続詞や「て・に・を・は」、句読点の打ち方といった、
いわば文章のお作法を学ぶ場所であって、書けるようになるのは、お手紙やビジネス文書、新聞の読者投稿欄までが、せいぜいです。

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あなたは、神坂一(かんざか・はじめ)というライトノベル作家をご存知でしょうか。
作品名で言うと、平成の初め頃に「スレイヤーズ」がテレビアニメ化され、映画へとファンを増やして、ライトノベルでの一時代を築かれた作家さんです。
その彼が編み出した文章技法こそが、「一人称での小説」でした。
主人公の視線だけで綴られた作品は、今やライトノベルを綴るための大切な語法として定着していますが、その元祖が、その人、神坂一さんなのです。
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一人称の目線、つまり主人公から見た物語の風景だからこそ、読者は主人公に"感情移入"がしやすくなります。
また、それまでの小説には必須だった、司会進行を担う「語り部」を必要としません。
物語の流れを動かす部分がすべて主人公に託されるので、筋運びは基本、主人公の心理描写だけで語られていきます。
語り部がいない分、文字としての情報量は少なくなり、物語は主人公たちのセリフの羅列でスピーディーに進行します。
長い台詞は、もとより古風な時代の文豪のものですし、「今時はセンテンスも短いため、するすると読めてしまう。」
その口当たりの軽さを称して、『ライトノベル』と名付けられたのですね。

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その神坂一さんの作品を読み込んで、大体の物語の回し方や、短いセンテンスゆえの言葉のチョイスを一生懸命にラーニングして、いざ、私なりに綴り始めました。
けれど、これが彼のように、どうしても「軽さ」が出ないのです。
お話のテンポも良くなくて、全体の流れがどこか滞りがちになってしまい、随分と苦戦しました。
短い文章の集まりで、白い文面(余白)が多く、一見するとスルスルと読み進みやすい。
けれど、そこには読者を飽きさせずに読ませるための、さまざまな緻密な工夫が施されているのだと、自分で真似をしてみて初めて気が付きました。
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どんなものでも共通しますが、
「見た目が"かんたん"に感じられるものほど、実は一番難しい。」
ただの"似て非なるもの"になってしまうのだと、深く痛感した修行の日々でした。
もしあなたが、今、一人称の目線で言葉を書いておられるなら、ぜひ一度、『神坂一』さんの作品に目を通してみてはいかがでしょうか。
きっと、文字の隙間にある、たくさんの「気付き」に出会えるはずです。
今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)
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