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「年の瀬、晦日。わが家の風景。(12月30日)」

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今日は12月30日。いよいよ年も押し迫り、明日には大晦日(おおみそか)を迎える。
この熟語に『大』という修飾語の使われ方から連想するのは、かつて家庭に団欒があった頃、大晦日の"通過儀礼"のように観覧する『紅白歌合戦』のラストを締めくくる『大トリ』。その一つ前の出番を『トリ』というように、『大』が付かない原形『晦日(みそか)』の今日。大晦日の一つ前の日は『晦日(みそか)』と呼ばれる。

『晦日(みそか)』を辞書で引くと、
晦日(みそか)とは、暦の月の最終日を指しており、元々は、晦日の読み方「みそか」とは「三十日(みそか)」と書き、月の30番目の日という意味で、そこから転じて月の最後の日を指すようになった、とある。

一年12ヵ月の暦、その毎月の末日の『晦日』。その12ヵ月の『大トリ』の月、師走12月にある晦日だから『大』が付いて『大晦日(おおみそか)と呼ぶのは、たしかに意味の通りが良い。

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さて、大晦日を明日に控えた晦日の今日をあなたは、どのようにお過ごしですか。

私は、一年365日、年中無休のピアノの練習に加えて、母の指導の下、迎春準備に勤しむ。
『ピアノの基礎練習』という、まるで日常と変わらない生活サイクル。
いわゆる『ハレとケ』の『ケ(日常)』を進める私の、すぐ横で『ハレ(非日常)』が並走するのは、何か面白い。

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晦日の今日。お正月のめでたい席に欠かせないおせち料理の仕込みが、今朝からスタートした。

おばあちゃまが一切を差配しておられた頃は、めでたいお色の『紅白かまぼこ』や、子孫繁栄を願う『数の子』などは、市場で調達するものの、
『紅白なます』に始まり『伊達巻き』『鴨ロース』に、やたら手間と時間のかかる『黒豆』に『お煮しめ』も、一から手作りだった。

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当時、幼い私は、今と変わらず好奇心の塊で、晦日に整える『紅白かまぼこ』『数の子』などのお買い物に同伴したいとせがんだ。

一旦は、晦日の市場へのお買い物は、混雑して危ないからと止められたものの、半ば強引について行った私は、幼いながらも、年末の慌ただしい人混みに、お買い物に勤しむ人々のお正月を心待ちにする「年の瀬」を感じた。

思い出に浸る間もなく、早く作業を進めよ。と、母からの催促を受けて、昆布のお出汁を大鍋で引く。

全てのお料理に、何らかの関わりがある昆布だしは和食において必須であるし、今や日本以外の国々、かの🇫🇷美食の国フランスや🇮🇹料理天国のイタリアでも、味覚の要素『甘味(かんみ)、塩味(えんみ)、酸味(さんみ)、苦味(にがみ)』に、『“UMAMI”昆布だしのうま味(うまみ)』が加わる。

その大事なお出汁を、ここ数年で母から任されるようになった。
祖母から母を経て、私へと続くわが家の伝統を、晦日の今日に感じるのである。

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それにしても、作業の多さには『非日常』を見る。
おせち料理も他の和食同様、基本は少量多品種なので、そこに掛かる手間と積み上がるお鍋の量は半端ない。
かつて、おばあちゃまの頃から、今日この日のお台所は、まさに戦場の忙しさになっていた。
そのお台所小隊を率いるのはおばあちゃま。
平成・令和には、母が仕切る。

母に代替わりして、家庭での手作りはお煮しめを中心とした煮物や、比較的手間のかからない紅白なますぐらいで、黒豆や田作り、甘みの栗きんとんは、小袋入りの市販品をお重に詰めるに簡略化された。
それでも、煮物に使う昆布だしは、北海道の羅臼昆布の一枚板から、しっかりと引く。

この時期のわが家は、昆布の放つ良い香りに満たされる。それを持って私は、いよいよ年の瀬が来たことを実感するのである。

今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)

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