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「『運命』はドアを叩いたのか?(2月20日)」

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それは、いきなりのフリから始まった。

最近、卑近な事柄に引っ張られ気味で、ここ《note》への出没頻度が確実に下がりつつある私。

そんな落ち着かない中でも、毎日のピアノの基礎練習は欠かせない。
道具を使うお仕事で思いつく大工さん、包丁人とも呼ばれて、その切れ味を保つために日々、包丁を研ぐ料理人さん。そして、ピアノを奏でる私も、そこに共通するのは、技術というものは体に刷り込ませるものということ。だから、日々、きちんと磨き整えておかないと錆びたり"鈍(なまくら)"になる。

そうしたわけだから、note界隈をお散歩すると、お知り合いのクリエイターさんの投稿で未読が知らぬ間に積み上がり、焦って読み出している。

と、その中に『ベートーヴェンが秘書に、自作のピアノソナタ『テンペスト』の解釈を尋ねられた際、ベートーヴェンは「シェイクスピアの『テンペスト』を読みなさい」と答えた、という逸話について、それが本当かとの問い掛けを見つけた。

宛先こそないが、『音楽家のお友達に「実際どうなの?」と聞いてみようと思います。』

それを綴っていたのは、noteクリエイターで、『大親友のHikarunさん』だった。

あら、まぁ〜。これ100%私宛だわ💦


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こうして、いきなり始まったコラボ。
マジで、ヤラセでも仕込みでもない。
リアルに凸コラボの申し込み。

びっくりドッキリだけど、私もプロだ。真正面からうけてやろうじゃないの!

と、言うことで頑張って、資料をかき集めて、note記事をこさえる事にした。

小ネタですが…トータル・リコールとベートーヴェン🎹
  /Hikarun

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ピアノ・ソナタ『テンペスト』とは

さて、Hikarunさんのおっしゃっている『テンペスト』は、ベートーヴェンのピアノソナタ第17番 ニ短調 (作品31-2)のこと。
ベートーヴェンの作品目録によると、作曲年は1801-1802頃とある。

ベートーヴェンのピアノ・ソナタ第17番ニ短調(作品31-2)『テンペスト』は「中期」と呼ばれる時期の代表作の一つで、従来のソナタ形式に縛られない新しい表現が取り入れられている。『テンペスト』の名の通り、劇的でドラマチックな感情の起伏や、幻想的な曲調である。

(ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 作品31-2『テンペスト』第一楽章 以下、楽譜は国際楽譜ライブラリープロジェクト(International Music Score Library Project、IMSLP)様より借用。)
(ベートーヴェン/ピアノ・ソナタ第17番 ニ短調 作品31-2『テンペスト』第三楽章)

当時のベートーヴェンは、「ハイリゲンシュタットの遺書(1802)」でも述べられている通り、健康の悪化、難聴の苦しみなどの直面した時期と合致し、彼ベートーヴェンの心情を考えれば、心の中はシェイクスピア作品の『テンペスト』の如くに乱れていたと察せられる。


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ベートーヴェンと3人の弟子

ベートーヴェン(1770-1827)には、後世にその名が伝わっている弟子として、①カール・ツェルニー(1791-1857)、②フェルディナンド・リース(1784-1838)、③アントン・シンドラー(1795-1864)がいる。

おそらく、他にもいたはずだが気難しくて癇癪持ちのベートーヴェンに馴染めず、早々に辞めていった数は相当だろう。今回はそれには言及しない。

さて、3人のプロフィールとベートーヴェンとの関わりを探るとしよう。

(カール・ツェルニー 以下、画像をWikipediaより借用。)

①カール・ツェルニー(1791-1857)
 彼は、1800年から3年間ベートーヴェンに師事し、1812年には師のピアノ協奏曲第5番(皇帝)のウィーン初演のソリストを務めた。演奏活動よりも音楽教育に情熱を注ぎ、数多くのエチュードを出版、門下にリストやレシェティツキをはじめ、優れたピアニストがいる。

今日でも彼の編纂した膨大な数の練習曲とピアノ教本は、ピアノ学習者にとって欠くべからざるものである。

(フェルディナンド・リース)

② フェルディナンド・リース(1784-1838)
 ボンの宮廷ヴァイオリニストを父親に持ち、この父親がベートーヴェンのヴァイオリンの先生だったという縁から、16歳でウィーンに赴き、4年間ベートーヴェンに師事。この間、パトロンの前での演奏なども多く任された。のちにロンドンでピアニスト、作曲家、教師として大きな名声を築いた。

また、リースは、ベートーヴェンの交響曲第3番『エロイカ』の初演(1804年6月9日、ロブコヴィッツ侯爵の宮殿で行われた私的演奏会)の現場に立ち会っていた。
彼はその時の逸話や、ベートーヴェンから直接聞いた話を回想録に残しており、当時の『エロイカ』に関する貴重な証言者としてベートーヴェン研究に貢献している。

この時のリースの回想録を下敷きとして、ベートーヴェン役をイアン・ハート(Ian Hart)が演じたBBC制作のテレビ映画『エロイカ(Eroica)』(2003年)がある。

(アントン・フェーリクス・シントラー)

③ アントン・フェーリクス・シントラー(1795-1864)は、モラヴィア出身のドイツの音楽家。始めは弟子として、その後に秘書としてベートーヴェンの身の回りの世話をして、その臨終を看取ったとされる。
また、著作には日本語にも訳され国内で出版された『ベートーヴェンの生涯』がある。

『ベートーヴェンの生涯』は、その初版が1840年。ベートーヴェンの秘書として最も身近で接した彼の著作は、『楽聖の苦悩を突き抜けて歓喜に至る創作の過程』を白日の元に表した貴重な資料として、発売間もなく大ヒットをみて、1845年に増補版である第2版、1860年に内容を全面的に刷新した第3版が書かれ、後のベートーヴェン解釈に多大な影響を及ぼした。


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ベートーヴェンが『テンペストを聴けと言った相手は誰?』

さて、大親友のHikarunさんがお尋ねの
『ベートーヴェンが「シェイクスピアの『テンペスト』を読め」と言ったとされる相手を特定しよう。

この『テンペスト』にまつわる問答は、先に上げたシントラー著作『ベートーヴェンの生涯』にみられる。

彼(シントラー)は、ベートーヴェンにピアノ・ソナタ第17番について問うた時、
ベートーヴェンから「シェークスピアの『テンペスト』を読め!」と言われたと記述しています。

つまり、誰に言ったかは「秘書のシントラー」であり、この事が今日の私たちが手にする出版物にあるベートーヴェンの中期を代表するピアノ・ソナタに『テンペスト』との名称を与えたのである。

Hikarunさんへの回答ができて、良かった。めでたし。としたいのだが、このお話はまだ続く。

(一件落着と見せかけて、じつはその根は思いの外に深いのでありました。)

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ベートーヴェンとシントラー

ところが、その後ベートーヴェン研究を進める音楽学者が、シントラーの著したベートーヴェンについての伝記やその他の出版物を精査したところ、内容の捏造や文章の改竄を疑う研究結果が表され始めた。

同じベートーヴェンの近くにいて彼と会話を交わした『リースの回想録』に比べ、内容に一次資料からの裏付けがない記述が目立ち、さらに考証が進み、シントラー自身の研究が進んだ。

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決定的だったのは、1977年の国際ベートーヴェン学会(没後150周年を記念して旧東ドイツやデトロイトなどで開催)は、ベートーヴェン研究における大きな転換点となった。
多くの研究論文が発表され、 その中で『シントラーが「会話帳」の内容を大量に改竄していること』が明らかにされた。

そこにはシントラーが、聴覚を完全に失ったベートーヴェンが約10年にわたって使用していた「会話帳」(当初は400冊あったという説もある)の半数以上を、彼は自らの伝記に折り合いをつけるために廃棄処分にしたり、都合よく改竄していたのである。

また、生前のベートーヴェンとの関係も誇張されており、10年以上の親密な付き合いがあると記されているが、実際に親密といえる時期はベートーヴェンが死去する5年前から始まったにすぎない。

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現代のベートーヴェン研究家🇬🇧バリー・クーパー(1947- )は著書『ベートーヴェン概論』において、『(シントラーの)不正確で虚偽の内容を記す性癖は甚だしく、他に史料が見つからなければ、彼の記したものは一切信頼できない。』とまで述べている。

また、🇺🇸音楽学者のメイナード・エリオット・ソロモン(Maynard Elliott Solomon 1930- 2020)は、自著において『シントラーの問題点が明らかになる以前では多くの学者は、シントラーの記述を根拠にベートーヴェンの解釈を行っていたことを指摘した上で、「(シントラーの伝記から)事実とフィクションを分別するのは容易ではないだろう』と述べている。

さらに、時代が下がり、ソロモンによる伝記の1998年版では、シントラーの著述のみを根拠とした解釈を排除することが、初版よりもさらに徹底されている。
シントラーがこのような捏造に手を染めた理由としては、自らが理想とするベートーヴェン像を作り上げるための演出という見方もあるが、シントラー本人の証言が無いため、真実は不明のままとなっている。

つまりベートーヴェンが『テンペストを聴けと言った相手は誰?』の答えは、かなりの確率で「誰にも、テンペストとは言っていない。」とするのが妥当である。

おお! なんて事でしょう!

(ベートーヴェンの伝記に記されている"苦悩を突き抜けて歓喜を至る『楽聖ベートーヴェン像』"がガラガラと音を立てて崩れる衝撃💦)

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シントラーは、何をしたかったのか?

ベートーヴェンのよく知られているイメージ"楽聖ベートーヴェン"の輝きには、彼の私生活を見えなくしている面がある。

人間ベートーヴェンの日常とは、後の世には天才と持て囃されていても"同時代では、その天才ゆえの破天荒な行いで周囲が迷惑を被る"その例に類するものである。

例えば、『リースの回想録』によれば、
『小銭を盗んだと雇った家政婦を疑い、暴言を浴びせ掛けたり、手料理でオムレツを作ろうとした生卵から、ベートーヴェンが言うところの『古く湿った麦藁の匂いがする。』傷んだ卵に腹を立てて、窓から通りへと投げ捨てた。
さらには"(防水のない)部屋で沐浴をして階下を水浸しにした挙句、それを注意した大家さんと揉めて、引っ越しをした。』
…などのベートーヴェンの粗野で常識に欠けた部分も隠すことなく公にしている。

ベートーヴェンとシントラーについての近年の研究で明らかにされたのは、チェルニーやリースなどが冷静にベートーヴェンを音楽の師として扱い、上記のように"ベートーヴェンの人間的な欠陥"にも、回想録や手紙の中で隠さずに語っているのに比べ、シントラーは『ベートーヴェンの真実』から目を背けている。
天才の麗しさを汚す記事には、まったく触れられていない。その一方で、ベートーヴェンの音楽を高めるべく、彼を神格化する記述に溢れているのである。


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また、シントラーとベートーヴェンとの関わり方も、他の2人とは異なる。
音楽家を目指してベートーヴェンの門を叩いた彼であったが、師匠のベートーヴェンからは『音楽家としては望みがない』と冷遇され、一度は破門同然に門下を追われながら、最晩年のベートーヴェンが体調を悪くした時期から師と和解し、病身の世話を甲斐甲斐しく行い、その臨終にも立ち会った。

残された楽譜や作曲メモ、そして難聴のために会話に使ったノートの整理も行ったのは、すでに名声のあったツェルニーでもリースでもなく、シントラーであったのだ。

国民皆保険制度や介護保険などの公助が整った日本ですら、持病を患った高齢者の介護は大変なのだ。無論、ベートーヴェンの生きた時代には、啓蒙思想こそ芽生えつつあったが、《社会保障》はない。

そんな時代を、高齢者となり病気がちなベートーヴェンの面倒を1人で全てを負ったのである。

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たしかに、学問的見地から見ればシントラーは、偽証を綴り、事実をそれに合わせようとベートーヴェンの会話帳など貴重な一次資料を廃棄ないし、書き換えたことは決して許されるものではない。

けれど、シントラーはベートーヴェンを心から尊敬し、その音楽に傾倒していたのであろう。軽い言い方で述べると『彼はベートーヴェン❤️ラヴ』なのである。
結果として、シントラーは《偉大なベートーヴェン像》を必死に守り広めることになった。

(ベートーヴェン/交響曲 第5番 ハ短調 作品67   冒頭の八分休符ひとつ置いた後に「ダダダ・ダーン」という有名な運命の動機)


(ベートーヴェン/交響曲 第6番 ヘ長調 作品68 第二楽章「小川のほとりの情景」との標題も、ベートーヴェンが言ったかどうか、あやしい…🤨)

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『運命』はドアを叩いたのか?

あなたもご存知の通り、『ベートーヴェンの交響曲 第5番 ハ短調 作品67』は『運命』の呼び名で広く知られている。

冒頭の八分休符ひとつ置いた後に「ダダダ・ダーン」という有名な運命の動機が特徴で、暗から明へ向かうドラマチックな構成と綿密な主題展開により、西洋音楽史上最も有名な交響曲の一つとして知られている。

こちらもシントラーが、この冒頭の4つの音について尋ねた際、ベートーヴェンが『このように運命は扉をたたく』と答えたと伝えられている。このエピソードから、交響曲第5番は『運命』という通称で呼ばれるようになった。
日本では、この名称が定着しているが、ベートーヴェン研究の成果を受けて欧米ではあまり普及していないのである。

この交響曲についてベートーヴェンの弟子であるチェルニーは、『このメロディーがキアオジ(黄青鵐、Yellowhammer)、ヨーロッパからシベリアに広く分布するスズメ目ホオジロ科の鳥)という鳥のさえずりからヒントを得たものだ。』と回想している。

さらに、『運命』としばしばカップリングされる交響曲第6番ヘ長調作品68『田園』も、シントラーの記述に見られ、その信憑性が問われている。日本では名の知れた交響楽団の公演のセットリストで、堂々と『運命』『田園』と載せられているのである。これは困った💦

『ベートーヴェン愛』が強過ぎたシントラーのおかげで、ベートーヴェンが『言った言わなかった』が混沌としてしまった。

ベートーヴェンの交響曲 第3番 変ホ長調 作品55『エロイカ』の表紙。尊敬するナポレオンが、自由と平等を捨て去り『皇帝』を称したことに怒り、"Bonaparte(ボナパルト)“の表題を削り取った跡が生々しい。)

でも、安心してください。
ベートーヴェンの交響曲 第3番 変ホ長調 作品55『エロイカ』は、初演に立ち会ったリースによる証言のほか、証人がたくさんいる。

という事で、

「テンペスト」は、誰もそうは言ってないし、ついでに『運命』も『田園』も巻き添えなのである。


「Hikarunさん、こんな『オチ』で良かったのかしら?」

今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)


🌟Special thanks:
   Hikarunさま

参考文献:

ルートヴィヒ・ヴァン・ベートーヴェンに関する伝記的覚書』(原題:Biographische Notizen über Ludwig van Beethoven)
 フェルディナント・リース&フランツ・ヴェーゲラー/

アントン・シントラー著『ベートーヴェンの生涯』(柿沼太郎訳、角川文庫、1954年/1969年改版)

バリー・クーパー著
『ベートーヴェン大事典』(原著: The Beethoven Compendium)
『Beethoven』 (Master Musicians Series)


メイナード・エリオット・ソロモン著
『ベートーヴェン』 (Beethoven, 1977年/第2版1998年)


かげはら史帆 著
『ベートーヴェン捏造 ベートーヴェン捏造 名プロデューサーは嘘をつく』



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