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「すべての人に『上手い!』とは言ってもらえない。(5月20日)」

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あなたは、日々の暮らしの中でご自分やご家族様のために、お財布や冷蔵庫の食材たちと相談しながら、お献立を整えておられる。
また、そんな日常をここ《note》で記事にされていらっしゃいます。

せっかく心を込めて綴ったのだから"💯百点満点"みんなに満足して帰っていただきたいと願うのだけれど、自分の表したい想いと、読み手との嗜好では完全一致、一部の揺らぎもなく全ての人から『良かった上手かった』となることは、なかなかに難しい。

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つい先日、YouTubeを観ていると昭和バブル時代の食をテーマにしたアニメ作品に巡り合った。
大手新聞社の文化部に所属する男性社員と新人の女子社員が食の安全やスローフードに鋭く切り込むストーリー。

普段はパッとしない働きぶりながら、料理についての豊富な知識で新聞社のピンチを救ったかと思えば、他人の厄介ごとに自ら首を突っ込んでみたり、その上、超有名な陶芸家で書家で、さらには会員制の料亭をも経営している偉大すぎる父親と対峙して、木っ端微塵に自信を打ち砕かれたり…と、なかなかの波瀾万丈である。

作品名を『美味しんぼ』という。

(フィクションの世界には、お出汁を一口、口にしただけで、出汁を引いた昆布の産地はもちろん、はるか彼方にかろうじて捉えられるかどうかの『隠し味』まで分かってしまう至高の味覚の持ち主が登場する。けれども現実では、一時期、高級料亭を舞台に騒ぎになった『食品偽装事件』にみられたように、私たちの味覚は、なんとも頼りにならない事が分かった。)


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食についてアニメでは、平成・令和の現代には異世界との繋がる不思議な『猫屋』という洋食屋にたむろするエルフやドアーフ、お店のお手伝いでお料理の配膳とお客さんの注文を担当する反獣人の女子がヒロインの作品や、やはり異世界と繋がる居酒屋が舞台の物語など、心温まるストーリーが多い。

アニメ作品ではないが、いわゆる『ぼっち飯』を広めた『孤独のグルメ』も、しっかりと存在感がある。

そんな中、昭和の『美味しんぼ』という作品は異彩を放つ。真正面から大手ビール会社の「ドライな飲み口が売りのビール」を鋭く批判したり、やはり大手商品会社の主力製品の「旨味調味料」を全否定して完膚なきまでに舌鋒鋭く非難するという激しさである。

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食に関する言葉に『ご馳走というのは、食事をする相手とは"一期一会"と心得、真心の限りを尽くし、東西南北、足を棒にして良い物を探し回り調理し、差し出す。』という教えがある。

つまり、そこに付けられた値段ではなく、廉価であっても美味へと導く。食べてくださる方への想いを注ぎ込む。

それを称して『ご馳走』と言うのだが、それほど心を砕いても、万人に『美味しい』と思わせるのは「至難の業」である。
なぜなら、十人十色という言葉の示す通り、人の味覚や感性は、じつにさまざまで、取り留めもない。

(どんなに材料を厳選し、調理の腕を振るっても"好き嫌いの壁"は越えられない。相手の興味のないお話を延々としても"関心"を持ってはもらえない。…ならば仕方ない。)


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古(いにしえ)のバブル期に誕生した『美味しんぼ』の劇中、その究極や至高の料理というものは、出された料理を味わった"全員"を等しく『美味しい、うまい!』と感服させるのである。

けれども、現実で全員を満足させられるのは、ひとえに『本作はフィクションであり、作中の個人団体はすべて現実ではありません。』というお断りが出される世界だからこそである。

(「お腹が空いていれば美味しく感じ、満腹では美味しさを味わいにくい」という感覚は、食における最も普遍的で本質的な心理・生理現象だと思う。)


当然、食に好き嫌いがあるように、ここ《note》においても、投稿した作品を味わってくださる相手にも『嗜好』があって、こちらが想いを強くしても、相手の胸のうちにある「好み」を変えてまで、こちらのオススメを好きになってもらうことは難しい。

「すべての人に『上手い!』と言ってもらえる文章を綴ることはできない。」のである。

なかなかに、もどかしい。
「ね、あなたもそう思うでしょ?」


今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)

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