「私がAIに頼らない理由。(5月28日)」
【引き寄せの法則】楽してAIに文章を書かせる人は伸びない。 あなたの個性という「カルピスの原液」を、AIに学ばせよう
/天豆 てんまめ
*
note界隈でも、AIを情報商材にしたり、AIを“手なずけるための”上手なプロンプト(指示書)のノウハウを謳うコンテンツが目につくようになりました。
そして、それらをご自分の作品へ取り込み活用するクリエイターも、雨後の筍のごとく増えています。
しかし私は、奏でる音楽も文章も、すべては自分の手から生み出しています。AIは使いません。それは、AIが引っ張ってくるものがすでに定まり、みんながよく知っている知恵をかき集めたものだからです。
AIがネットから引っ張り出してあなたに教える「新規」とは、すでにどこかで誰かが公表したものです。それは、自分が知らないだけで、すでに誰もが知っていることかもしれません。そんなホコリを被った情報を使っていては、自身の作品こそが陳腐化し、すぐに飽きられてしまう。
音楽も文芸もおよそ、その表現者の個性であり、オリジナリティです。私は「他にはない、新しい表現を作り出そうとする自分」を求めるからこそ、自分の手で紡ぐのです。
*
たしかにAIがプロンプトに沿って使い手に引き渡すのは、破綻のない、バランスの取れたものです。
短時間で多くのものを提供できる効率の良さもあります。
それに比べて、人の手は何と間違いが多く、不均一で治まりの良くないものを、意識的・無意識的におそらくだらしなく生み出してしまうことでしょう。
でも、人間の手から生み出される、それら「しっかりと混ざっておらず、ざらざらとした手触り」こそが、受け取る側である私たち人類の手の中に収めたときにしっくりと馴染み、自然なモノに映るのです。AIの提示する「鏡の表面」をした、何も手がかりを持たない完璧な平面は、むしろ不自然に感じてしまいます。
なぜなら、創作するのも人間ならば、受け取るのも同じ人間だから。
触ると吸い付いてくるような完璧な平面は、私たちの生活の中には存在しません。あったとしても、おそらく取り付く島がない。
そのような人工的なモノに、顔ですら左右で非対称(アシンメトリー、asymmetry)な私たち人間が、果たして心からの愛着と共感を感じられるものなのでしょうか。

*
山吹色とも黄金色とも表され、有史以来私たち人類を虜にしてきた『金(GOLD)』。
太陽にも例えられるその美しさと、滅多に産出されないという希少性も手伝って、古くから世界中でその価値を見出され、確固たる財産的価値を築いてきました。
もし、金がそこらじゅうに転がっている石ころのようなものであったなら、単に見た目が美しいというだけで、これほどの憧れを持たれることもなく、安定した資産として、高貴なものとして扱われはしなかったでしょう。

*
たしかに、AIは創作者に短時間で多くのものを提供できます。たとえ、今はAIそのものの珍しさで受け入れられたとしても、やがては工業製品のように似たものが並び、すぐに陳腐化してしまうのではないでしょうか。
すぐに似たものが追いついてきては陳腐化する。その追いかけてくる波に飲まれないよう、AIでさらに生産高を積み上げる。その結果、似たようなものがそこかしこに並ぶ。
「AIを使って効率よく、大量に生み出す」ということは、まさにそうした『希少性と価値の喪失』を意味しているのだと思います。
*
もしそれが手作りならば。
初めて目にしたときの興奮や、当初の熱が冷めてそこに放置されていたとしても、何かの感慨で再びその過去作(バックナンバー)を手に取ったとき、そこには人間の血の通ったものが見えるはずです。
不均一であるからこそ、そこに自然の美を見出し、新たな良さに気づいて再評価されることもあるのです。
すべてを手作りするのは、確かに効率には劣ります。だが、そこに唯一無二のオリジナルがあれば、他にはない味わいが見出せる。つまりは飽きられることなく、繰り返し愛されるのであると信じています。
これこそが、私が新規に投稿した作品の「当初の支持」だけに固着せず、バックナンバーとなった後を含めて創作を捉える所以であり、揺らがない投稿への意思なのです。
今日も、良い一日になりますように。
(🎹MIYABI)
🌟Special thanks:
天豆 てんまめ さま
いいなと思ったら応援しよう!
ご支援くださり、ありがとうございます。くださったチップは、楽譜やご本の購入代金に使わせていただきます。