見知らぬ人のひとこと
いつもお立ち寄りくださり、ありがとうございます。
先週、少し遠くまで出かけた帰りに、知らない町の小さなパン屋に立ち寄った。
特に目的があったわけではなく、ただ、通りがかりに漂ってきた匂いに引き寄せられただけだった。
曇り空の下、知らない道を歩くのは、思っていたよりも心地よかった。
見慣れない景色のせいか、いつもより歩調がゆっくりになっていた気がする。
棚には、焼きたてらしいパンが、まだほんのり湯気を立てながら並んでいた。
その一つ一つを、端から順に、じっくりと眺めていった。
特に何かを比べていたわけではなく、ただ、それぞれの形や焼き色を眺めるのが楽しかった。
急ぐ理由もなかったので、いつもより時間をかけて選んでいたのだと思う。
会計のとき、店主らしき人が、ふと笑いながらこう言った。
「そうやってゆっくり選ぶ人、たまにいるんですよね。だいたい、いいものを見つけますよ」
褒め言葉というほどのものでもなかったはずなのに、その一言が、思いのほか胸に残った。
普段の私は、どちらかというと、物事を手早く済ませる方だと思っていたからだ。
その場では、ただ愛想笑いを返しただけだった。
でも店を出てからも、その言葉が、ずっと頭のどこかに引っかかっていた。
考えてみれば、選ぶという行為に対してだけは、昔から時間をかける方だったかもしれない。
急いでいるときでさえ、最後の一つを選ぶ瞬間だけは、なぜか手が止まる。
スーパーの棚の前でも、洋服を選ぶときでも、思い返せば同じようなことが起きている気がする。
そのことに、これまで一度も気づいていなかった。
普段は、選ぶという行為に、そこまで意味を見出していなかった。
ただの手段のようなものだと、なんとなく思っていたからだ。
知り合いに指摘されたのなら、これまでの付き合いの中で、いつか気づいていたかもしれない。
でも今回は、初めて会った、名前も知らない人からの一言だった。
その人は、私についての事情を何ひとつ知らない。
知っているのは、目の前でパンを選んでいた、その数分間のことだけだ。
それなのに、こちらが長年気づかずにいたことを、あっさりと言い当てられた気がした。
不思議なことに、詳しく知っている人からの言葉より、その一言の方が、すっと入ってきた。
深読みする余地がない分、余計な感情が混ざらずに、まっすぐ届いたのかもしれない。
詳しい事情を知らないからこそ、見えるものがあるのかもしれない。
親しい人の目は、これまでの記憶というフィルターを通して、こちらを見る。
でも見知らぬ人の目には、そのときの姿だけが、そのまま映る。
どちらが正しいというわけではないのだろう。
ただ、そこに映るものの種類が、少しだけ違うのだと思う。
短いやり取りだったのに、なぜかその店主の顔つきと話し方まで、はっきりと覚えている。
きっと、思いがけない言葉ほど、記憶に長く残るものなのだろう。
帰り道、買ったパンの袋を提げながら、これまでの旅先での出来事を思い返してみた。
道を尋ねた相手や、隣り合わせた席の人から、何気なく言われたことが、他にもいくつかあった気がする。
そのときは聞き流していたけれど、今なら少し違う受け取り方ができるかもしれない。
記憶をたどってみると、忘れていたはずの一言が、いくつも浮かび上がってきた。
どれも、その場では気にも留めなかったものばかりだった。
見知らぬ人との関わりは、たいてい一度きりで終わってしまう。
だからこそ、そこに映るものは、飾られていない、そのままの姿なのかもしれない。
次にどこかへ出かけたときも、すれ違う誰かの何気ない一言に、少しだけ注意を払ってみようと思う。
こちらから尋ねるつもりはないけれど、向こうからふと差し出されるものは、大切に受け取っておきたい。
最後まで読んでくださり、ありがとうございます。
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