少女

目を瞑っていても、カーテンの隙間から射す夏の光が瞳に伝わり、私は眠りから覚める。また長くて退屈な一日が始まるのだ。まぶたはじんわりと熱く、全身が鉛のように重い。目覚まし時計のアラームは、無意識のうちにとっくに止めていた。頭では身仕度を整えて家を出る準備をしないといけないとわかっているのに、起き上がることさえ出来なくて、また寝がえりを打つ。仕方なくぼんやりと目を開けてみると、その見慣れた光景にまたがっかりする。一度読んだきりそのまま置きっ放しにしてある雑誌とか、昨晩使ってしまい忘れた化粧水とか、様々なものが机や床の上に散乱していて、だらしがない。母から、使ったものは元に戻しなさいと口を酸っぱくして言われているけど、直らないのが私の悪い癖だ。床に手を伸ばし、枕元に置いてあったはずのぬいぐるみを拾い上げると、やっとからだを起こした。ぼんやりとした頭のままカーテンを開けると、今日も快晴で、空は雲ひとつなく青々としている。もうすっかり夏だけれど、嬉しくもなんともない。小学生の時の自分なら絶好のプール日和だと喜んでいたはずなのに。暑い陽射しの中で揺れる水面に浮かぶ蝿の死骸とか、ペンキが剝げて灰色の壁がむき出しになっているプールの側面とか、高校2年生の今浮かんでくるのはきらめいた気持ちより、そんなものばかりだ。

今日もまた、週始めなのにも関わらず、学校へ行くのに予定時刻よりも家を出るのが遅くなってしまった。走っては息をついてを繰り返しながら、10分かけて駅に到着。腕時計を見るとあと1分で電車が来る時刻で、間に合うかどうかギリギリなところだ。改札の入り口で定期をタッチし損ねて、警告音が鳴ると同時に赤いランプが光り、足止めを食らった。思わずちっと舌打ちをする。ああ、ちゃんとした女の子っていうのはこんなことをしないんだろうななんて、状況と全く関係ないことを考える。息を切らしながら階段を駆け下りてやっとホームへ辿り着いたものの、既に電車は出発してしまっていた。

そもそも、7時22分発の電車が、21分にはもう扉が閉まってしまうのって、納得がいかない。駅のホームにある自販機の前に立ち、そんなことを思いながら仏頂面でボタンを押した。がごん、と音を鳴らして落ちて来たアイスティーのペットボトルを取り出して、ベンチに腰掛ける。次に来る電車は7時28分だから、ホームルームに遅刻してしまうかもしれない。どうしてあと5分早く家を出られないんだろうって自分に対して苛立ちが止まらない。はあ、とため息をついてペットボトルのキャップを捻ってから、はっとする。少し離れたところで女の人が一人と、サラリーマンらしき男の人が携帯電話を弄りながら、私と同じように電車が来るのを待っていた。でっかいため息をついて、如何にも不機嫌だというのを表に出すのは良くない。自分がなんだか恥ずかしい。電車がやっとホームに滑り込んで来た。停車して扉が開くと、ぱらぱらと人が出て来る。それを待ってから電車に乗り込むと、一気に空気が変わったように感じた。外も酷く暑かったけれど、電車の中の暑さはそれよりもっと気持ち悪い。からっとしたのじゃなくて、もわんと重苦しい空気が広がっている。中途半端に人が多くて、今日も座れそうにない。やっぱりなあ、と思いながら、仕方なく吊革に掴まる。電車に乗ると何故か、何もしたくなくなってしまう。友達にメールの返事をしたり、本を読んだり、英語の小テストの勉強をしたり、やらなければいけないことは色々あるのに、ぼうっと車窓からの景色を眺めているうちに降車する駅に着いているのだ。

途中、鉄橋を渡るのだが、その下には河原が広がっている。それは昔住んでいた家の近くの光景と似ているから、たまにその時のことを思い出す。私はまだ一人で出歩くことができないほど小さくて、よく両親に連れられてその河原へ行った記憶がある。その付近は桜並木で、春は薄ピンクのやわらかい桜の花びらが舞っていた。近くに大きな公園もあって、よく遊びに行った。その後、すぐ隣のファストフード店でハンバーガーとポテトとジュースを買って帰るのがお決まりだった。普段は、ファストフードなんてからだによくないと言って食べさせてもらえなかったから、こういうときだけ特別だった。そこの店のフライドポテトは細過ぎず太過ぎず、丁度良くて美味しい。薄くて短いカリカリの部分も、しなびてしまったやつも、全部美味しい。だから今でも好きだ。でも今ではあの時みたいに、家族揃って出かけることも少なくなってしまった。お母さんもお父さんも変わらずに優しいけれど、昔より幾分白髪や、疲れた表情を見せることが増えたように感じて、胸が締め付けられる。目の前の座席に親子が座っていて、母親が子供に微笑みかけているのを見たときも、同じ気持ちになる。突然寂しくなって、目の前がぼやけ出したりするから、自分でもびっくりする。朝の電車は時々センチメンタルになる。

駅につくと、車内から人が流れ出て一斉に同じ階段を下る。人混みは歩きづらくて嫌いだ。前を歩く太ったおじさんの歩くのが遅くて、またイライラする。家を出るのが遅くなった自分がいけないのに、こっちは遅刻して急いでいるんだから邪魔しないでくれと思ってしまう。多分今の私は仏頂面で、人の目にはいつも以上に不細工に映っているに違いない。昔はこんな些細なことでムカムカしなかったのに、今じゃ通りすがりの人にぶつかられたとか、電車内で足を踏まれたとか、そんなことでもいちいち悪態をついて相手を責めたくなる。どうしてこんな風になってしまったんだろう、自分が憎らしい。朝の電車はどっと疲れて、厭世的になる。

学校へは、予想通り十分遅刻してしまった。そっと後ろの扉を開けて中に入ると、皆がこちらを振り向く。その瞬間、小っ恥ずかしくて肩身が狭くなる思いがする。おはよう、と隣の席の子に小声で挨拶をして静かに席に着く。ホームルームが終わると、周りが再来週の期末試験の話をし始めるから、耳が痛くなる。私は皆が当日に慌てて済ますような宿題も大真面目にこなすし、授業中もお喋りしないでノートをちゃんととっている。なのに、期末試験の点数がいつもあんまり良くない。授業を受けて課題をこなしただけでは、先生の言うことを理解出来やしない。勉強なんて、大嫌い。何のためにこんな頑張るのだろうって小学生みたいなことを考えて、駄々をこねたくなる。そのくせ、優等生ぶって生きている。豪快に笑ったり、人前でふざけたりもしない。怒られないように、慎重に生きる。スカート丈を膝より短くするとか、少し色のついたリップを塗るとか、ちょっと背伸びすることが私には出来ない。だから皆、私のことを真面目だと思う。でも本当は、周りが思うような優等生じゃないって、わかって欲しい。笑顔の裏で酷いことを思っていたり、本当はちょっと大胆に、可愛く生きられる女の子が羨ましかったりするのを、友達も、クラスメイトも、先生も知らない。

授業中、学校の先生を見ているとたまに、先生にも自分の人生があって、ただの男の人とか、女の人になる瞬間があるんだなあと、思ったりする。成人しても煙草は吸うなよと言いながら、体育館の裏で安物のライターを使ってホープに火を点けたり、きっと夜になれば、お店でお酒を飲みながら、女友達と仕事の愚痴とか、男の人にときめいた時の話とかしている。私たちがまだ許されていないことをたくさん知っていて、なんだか憧れる。勝手に想像して、早く大人になりたいと思う。でもそれと同時に、社会人は責任が付いて回るから大変なんだと、だれかが言っていたのを思い出す。それに、大人になってしまったら、休日だけ出されるスーパーの試食コーナーに心が浮き立ったりとか、蓋の裏についたヨーグルトをスポーンを使って丁寧に食べたりとか、固形入浴剤のしゅわしゅわと溶けていくのが面白くて何個も入れてしまったりとか、そんななことももうしなくなってしまいそうで、少し寂しい。こんなくだらないこと、あれこれ考えてしまうし、まだしばらくは子供のままでいようと、勝手に決意する。

美術の時間、自画像を描きましょうと先生が言った。皆、持参した鏡に自分の顔を映しながら画用紙に鉛筆を走らせる。鏡に映る自分をじっと見つめていると、目に光がないし、口元は歪んでいて、なんて浅ましい顔をしているのだろう。筋が通っていない不恰好な鼻も、丸い顎の輪郭も、気に食わなくて大嫌い。人間の中身は顔に出るっていうけど、本当にその通りだ。私は綺麗でもないし、愛嬌もなくて、微笑を浮かべたっていつもどこか苦しそう。別に、顔が完璧に整っていなくてもいい。ただ、女に生まれたからには、きらきらと可愛らしくて、愛おしい人になりたい。今日みたいによく晴れた日の、透き通るような青空がよく似合うくらい、素敵な人。周りの目を気にして真面目ぶらなくたって、自然といい子でいるような、17歳。もしそんな風になれたら、誰もが皆憧れるような、白馬に乗った王子様が私をさらって行ってくれないかしら。そんな人、きっとどこにもいないと、わかっている。今はただ、現実の自分と、生活と、向き合うしかない。ただ、背筋をしゃんと伸ばして、健気に生きようと努力するのが一番良いことなのだ。そう覚悟を決めて懸命に手を動かしながら、心のどこかで、自分を幸せにしてくれる誰かと出会う未来を密かに願っている。

学校が終わって、隣のクラスのマミと昇降口で待ち合わせ。普段は一人で帰るけど、マミは今日珍しく吹奏楽部の練習がないらしいから、一緒に帰ろうということになった。2人同じ下りの電車に30分揺られて、地元の駅で降りる。7月の午後5時は、空は薄く桃色がかっているけど、まだ明るい。ゆっくりと歩く私たちの影が、熱を帯びたアスファルトの地面に映って、ゆらゆらと揺れている。こんな田舎道を流れる夏の夕方の空気は、静かで蒸し暑い。じわじわと身体が火照っていって、私たちはそのうちかき氷やアイスみたいに溶けてしまいそう。くたびれたワイシャツの襟元が暑苦しくて、思わず喉元に手をやる。それに、足を撫でるスカートの感触が余計に不快に感じられて、制服なんて今すぐ脱ぎ捨てて、家で過ごすみたいに楽ちんな格好になりたくて仕方がない。

私たちの顔は汗ばんで、頰もすっかり紅潮しているだろう。もうすっかり夏だね、と呟くマミは、いつも背中までまっすぐに下ろしてある長い髪を、今日は一つにまとめて高い位置で結わいている。マミは小学生来の友達で、一番と言っていいほど仲が良い。少なくとも私は、そう思っている。今の高校を受験したのも、半分は彼女が進学を希望していたからだ。頭がよくない私は、成績が良いマミに追いつこうと、必死で勉強した。人生で最も頑張ったんじゃないかっていうくらいに。それでも私は自分に期待していなかったから、結局はばらばらの学校へ行くことになってしまうかもしれないと、たまに考えたりもした。でも今ではこうして、小学生や中学生の時みたいに同じ道を歩けることが、こんなにも嬉しい。

もうすぐ夏休みだよ、その前に期末試験があるけど、などと言いながら、相変わらず遅い足取りのまま並んで歩く。不意に彼女の横顔を盗み見る。私はマミの、切れ長だけど優しさを感じる瞳が好き。なんでこんなに澄んでいて綺麗なんでしょう。それに、マミは時々大人みたいな表情を見せる。同じ17歳なのに、やっぱり私とは少し違うみたい。ほんの少し羨ましくて、憧れてしまう。

お腹が空いたから、2人して近くのたい焼き屋に立ち寄った。学校帰り、毎日この店の前を通るたび、生地が焼ける匂いや、砂糖や、中に詰まったあんの甘い香りがするのだ。食べるのは初めてだから、わくわくする。夕飯の前にそんなものを食べて、とお母さんに怒られそうだけれど、こうしてたまに食う道草が、楽しくてたまらない。

たい焼きを食べて、しばらくお喋りをして、それぞれの家へ帰ることにする。明日からまた部活の練習があるマミに、頑張ってと声を掛けた。ありがと、と笑って歩いていくマミを見送る。小さくなっていく彼女の背中を見ていたら、突然マミがいなくなって、このまま一生会えなくなるような不安に襲われた。私は少し泣きたくなって、それを堪えながら、たい焼きが入っていた紙袋を握り潰した。夕焼けの中に佇んでいるだけで、なぜだか、さっきまでの楽しい時間や、口の中に広がってあっという間に消えてしまった甘さを思い出してしまいそうで、嫌だった。ふと、小学生の頃の記憶がよみがえった。夏休みの平日は学校が無いから、普段は私よりも遅く家を出るお父さんをよく見送った。家の2階のベランダから、お父さんがスーツ姿で歩いて行くのを見て、とてつもなく悲しい気分になってしまった。何故かお父さんが別人になって、違う世界へ行ってしまうような気がしたのだ。「行ってらっしゃい」と大きな声で何度もお父さんを振り向かせては、姿が見えなくなるまでずっとそこにいたのを、今でも鮮明に記憶している。その時のことと重なるようで、もっと切なくなって、マミの姿が曲がり角に消えてしまう前に、急いで自分の家の方向へと足を向けた。夏のせいかしら、きっとそうだ、そのせいで、寂しい気持ちばっかり浮かんできたに違いない。

家に帰ると、扉を開けた瞬間からいい匂いが広がる。お母さんが台所に立っていて、夕飯はもうそろそろ出来るからねと、いつものように言うので、うん、とだけ返事をして、リビングへ向かう。家の椅子にどかりと腰掛けると、さっきまでのもの悲しい気分はすーっと消えてしまった。こんなに単純に、自分の心が変わってしまうことに驚いた。ああ、なんて美味しそうな匂い。今夜はきっとカレーだ。よく、おじさんたちが「おふくろの味」なんていうけど、私にはまだ何だかよくわからない。でも、それとおんなじように「おふくろの匂い」というものがあるとしたら、きっと学校から帰った時の、この安心するお料理の匂いだろうと思う。

カレーとサラダを食卓に並べて、お母さんと向かい合って食べる。お父さんは今日も仕事で帰るのが遅くなるからいない。黙々と夕飯を食べ進めるけれど、さっきたい焼きを食べてしまったせいか、半分のところでお腹が満足した。でも、お母さんに申し訳なくて、口に食事を運ぶ手を止めない。居心地が悪いわけじゃないけれど、この空間を退屈に感じてテレビをつけた。画面からは大きな笑い声や歓声が聞こえてきて賑やかになったが、それもそのうち鬱陶しく感じるだけだった。

「今日は学校で何かあった?」と母から尋ねられたが、考えても大した出来事が浮かんでこない。いつも通り授業を受け、クラスメイトと会話を交わして一日過ごしただけで、報告するほど面白い、特別なことは何も起きなかった。だから「何もない」と答えるほかない。多分そういうことじゃなくて、何気ないことでいいから話して欲しいのだろうとわかっているけど、やっぱり私は「何もない」と言うしかなかった。こんな自分を恥ずかしいと思った。友達やクラスメイトといる時は、自分をちゃんと作って、周りからどう見えるかを考えて話せるのに、家に帰ると、どうしてもわがままになってしまう。せめてもっと答えやすい話をしてくれればいいのに、と少しお母さんを責めたい。本当に親不孝な子どもだと、自分に自分で呆れてしまう。話す気力がないとか、こんな風になってしまったのは、いつからだろうと悲しくなる。お母さんが作った料理だってちゃんと残さずに食べて、美味しいと思うし、感謝だってしているけど、うまく言葉に出来ないのは、どうしてなのか。

その場から早く立ち去りたくなって、自分の部屋に入った。なんとなく本を読もうと思いついて、一冊本棚から引っ張り出す。ベッドの上に寝転がりながら、それを読む。私たちは物語を読んでいる間だけ、特別にその世界の住人になれたりするのだ。いつか自分も、何か面白い話が書けたらいい。私は小説家になりたいわけでもないし、普段から文章なんて好んで書いたりしないのに、ふとそう思う。ただ、物書きは、自分にしか考えることのできない世界を創り出せることが羨ましい。美しくないものを美しく描いたり、取り留めのないことを大袈裟に見せることだって出来る。気取った文章を書いても、誰もがそれっぽく、様になってしまうのだ。でも最近は、そんな取り澄ましたものをつまらなくとても歯がゆく感じて、わけも分からず腹が立つ。結局数ページでさっさと本を閉じてしまうことだってある。現実的で、淡々とした話を読みたくなったりもするのだ。ますます自分はひねくれた、いやらしい女になってきたと思う。

こんな夜は、風呂に入ってケロリと寝てしまうのが一番だ。熱帯夜の風呂ほど、さっぱりと気持ちの良いものはない。子供の頃は風呂なんか大嫌いで、狭くて暑苦しい湯船をすぐに出ては、母から叱られたほどなのに、今ではまるで正反対だ。少しは成長したのだろうと、我ながら感心する。今日も肩まで湯船に浸かったせいで、暑い、暑い。風呂場の扉を開けた瞬間に、涼しい風がうんと私を包み込んで、この瞬間だけでも、悲しくて侘しい気持ちを忘れられる。着替えてしまうと、窓を開けて久しぶりにベランダに出てみた。夏は、私の視覚にも嗅覚にも、色んなところに働きかけてくる。微かに星が瞬く藍色の空に、腕をいっぱいに広げる。夏の夜の空気は案外悪くない。こうしていると、昔、ここよりもっと田舎にあるおばあちゃんの家で育てられていた、クチナシの香りを思い出す。可愛らしさも、大人っぽさも兼ね合わせた真っ白い花。虫取り網を持って外を駆け回るのも、扇風機の前でスイカを食べながらだらだらと過ごすのも飽きたら、縁側に出て、外に咲くその芳しい花を、ぼうっと眺めていたあの情景が目に浮かんでくる。美しい花の匂いは初夏の風情が出て本当に良いものだ。またどこかで、あの香りに出会いたいと思う。
「髪も乾かさないで、風邪引くよ」いつの間にかお母さんが後ろに立っているものだから、少しびっくりして、振り返る。琥珀色の温かい目で、こっちを見ていた。私の好きな目。私が一番に愛している人だと、深く思う。愛なんて、私よりずうっと遠くにあるもののように感じてしまうけど、お母さんを思うたび、それは違うと思い直す。

お母さんが結婚した人は、煙草も吸わないし、お酒だって特別な時にしか飲まない。それより、美味しいものを食べた方がいいって、家族のためにケーキとか色々なものを買ってきてくれる、本当に優しい人だ。だからお母さんは、きっと愛を沢山知っている。数年前、おばあちゃんが死んでしまった時、私は、忙しそうに葬儀を手配していたお母さんが、家ではこっそり涙を流していたのを見た。おばあちゃんがいなくなってしまったことよりも、そのお母さんの姿を思って、私は泣いてしまった。その姿は、まるで子どもで、幼い少女のようにさえ見えた。そのことを今でもたまに思い出すのだ。その度に、このままお母さんに優しくせずに過ごしてしまったら、きっと、将来後悔する気がしてならないと思う。さっきの夕飯のことも、今までの悪い行い全部、全部、謝りたくなる。

午後11時には自分の部屋に戻って、電気を消して寝床につく。目を瞑ると、今日のことが、丁寧に一つ一つ、思い出される。そればかりでなく、これからのことも、考える。お母さん、あの小さな庭に咲いていたクチナシのことも、河川敷の桜並木のことも、覚えているかしら。明日になったら聞いてみようと思う。私の意識はだんだんと、深い、深い、静かな海へ沈んでいく。朝日が水面を照らして、仄かな光が差し込んでくるまで、このまま、おやすみなさい。

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