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Bocca al lupo|イタリア留学に行き着くまでの1年間

こんにちは!
さあ、コンセプト説明をさせて頂いてから初めてのnote。
スタートはイタリア留学に行き着くまでの過程をお話しします。
Lupoばかりすぎて、しんどかったですが、振り返るといい思い出です。
これからチャレンジする方、新しい道を切り開いていく方に
何か伝わればいいなあ。


留学or就活

私が留学を考え始めたのは、大学3年生になりかけの3.4月です。
大学のカリキュラム、ゼミ活動が楽しすぎて、気づいたら3年生に
なりかけていました。周りは「さあ、就活の3年生だ〜」みたいな感じ。

特に焦りは感じておらず、何にも考えていない、ノーテンキな学生でした。
多分、何も言われなければ周りの波に乗って就活していただろうなあと。

そしたらある日突然、父から
「留学いいの?考えるなら今だよ」と言われたんですよね。
記憶力が本当に乏しい父ですが、私が1年生の頃に「留学したいなー」と
ぼんやり言っていたことを覚えてくれていました。

自分自身が一浪一留、アメリカ放浪を経験している父だからこその
助言だったんだろうなあと思います。そんな父が言う「考えるなら今」は
すごく説得力がありました。今の時代、社会人になってからも行きやすくは
なっているだろうけど、まあそりゃ今の方が時間に余裕があることは
間違いないですもんね。

当たり前のように私大に行かせてくれて、留学まで考えてくれるって
本当に恵まれているなって思います。絶対に当たり前じゃない。
生意気な一人っ子娘は今本当に感謝しています。

初めての却下

そんな父の助言を受けて私が調べ始めたのは「語学留学プログラム」。
最初の目的は「語学力の向上」でした。私は経営学部で、留学経験もなく、英語で何かを学ぶレベルではないと思っていたからです。

なんとなくヨーロッパに行きたかったので、ヨーロッパで英語で行ける
イギリスへの語学留学の見積もりをパパに見せに行きました。

却下でした。
人生で初めて父に却下されました。
父は「行くならあっちの"大学"に行け」という考えでした。

「いや、最初に言ってよ、、見積もりしてもらった手間、、」
というのが正直な感想です。コミュニケーション不足だったのが悪いけど。

正直自分の語学力に自信が無さすぎて辞めようかとも思いました。
何より新鮮だったのは、私に甘々で、基本私の提案を否定しない父に
却下されたこと。かなり衝撃でした。

「父の言葉に甘えていたなあ、これはもっと真剣に考えなきゃだめなんだ」
とここで再確認して、語学留学ではなく、学校制度の交換留学で
イギリスの大学にいくことに決めました。

鬼の勉強地獄

始まります、私のIELTS取得のための英語勉強生活。
イギリスの大学に出願するにはIELTSでoverall6.0と各部門で5.5以上を
取らなくてはいけませんでした。まさか大学受験の頃に使い古した単語帳をまた開きながら大学に行くなんて思ってもみませんでした。

不安でいっぱいです。五月病にもなりました。大好きだったゼミが
嫌になって、同期のゼミ飲みに嘘をついて行かなかったこともありました。

周りはみんな就活で、自分だけ違う道を歩んでいるのが1番不安でした。
勉強だけしてても、何かすぐに確約が得られる訳じゃない、
自分の未来が見えないことが本当に不安でした。
(でも、今思うとそれは就活をしている同期だってそうですね。)

唯一のモチベはネイルと髪が自由なこと。もはやこれを続けることで
自分にとっての最大の逃げである「就活」にシフトできなくしていました。就活することは留学を諦めることになっちゃうので。
留学以外の道を閉ざしていました。
(とかかっこ良さげなこと言ってるけど、ただ自由でいたかっただけです)

9月の中旬までにIELTS取らなきゃいけない私の夏休みは勉強一色、と
言いたいところだけど、そんなこともないような気がしています。
大学受験に比べたら必死さは半分にも満たないぐらいでした。
どこか必死になりきれない自分がいることは自覚しつつ、嫌になりつつ、
どうにかなるとも思っていました。1週間、塾みたいなところに箱詰めで
夏期講習を受けるという受験生さながらの1週間を送ったこともあります。(先生が赤髪だったことしか覚えていません。)

夏の努力、報われず

スピーキングだけどうしてもだめでした。

結局、目標のスコアには届きませんでした。
夏期講習の後で1番力が付いている時でもだめでした。
嫌になってしまいました。勉強をここで辞めました。

これが8月末のお話なので、本当なら9月中頃までなら頑張ることは
期間的には可能だったんですけど、そんな気力は私にはありませんでした。
(実際、父には粘れって言われました。)

そりゃそうです、あとスピーキングが0.5だけ上がればいいんですもんね。
でも、それでも無理でした。やる気はゼロ。

なんせ、9月前半にイベントがたっくさんだったんですよね〜〜
旅行、ゼミ合宿、帰省、全部キャンセルするとかは無理でした。
弱さが出ています。若干後悔するのかなと思いながらも、全然イベントを
優先してしまいました。

言い訳のオランダ志望

私のスコア的にイギリスの大学には出願さえできず。さあ、どうしたか。

1日で切り替えて調べて、オランダの大学に行きたい学生になりました。
いとも簡単に行く国も学ぶことも変えられるメンタリティ、さすがです。
(多分、誇ってはいけないです。)
「IELTS届かなかった」なんて言いたくなかったんですよね。

「オランダ"で"いい」(てかオランダしか無かった)を
「オランダ"が"いい」に無理やり変換して、周りには話していました。
最後まで頑張りきれなかった自分を見せたくなかったからです。

多分、周りは、「え?イギリスじゃなかったの、、、?」みたいなことに
なっていたはずです。そんな人達にも、にこにこでオランダ行くんだと
話していました、嘘をつき続けていました。自分自身にも、オランダが
運命なんだと言い聞かせていました。興味ないのに。

オランダも消える

そうなるとどうなるか。
このようなウソって大事な時にぜーんぶ見透かされるんです。
書類審査で落ちました。なーんにもなくなってしまいました。
2024年10月14日、ただのIELTS6.0の大学3年生になってしまいました。
落ちた瞬間は泣いたけど、今思うと本当の涙ではなかったです。
多分全然悔しくなかったです。だって心から行きたいところじゃないから。オランダに行けない悔しさ、というより、何もゆくあてがない自分が
怖くなって泣きました。家族以外に落ちたことは言えませんでした。
どんなに近しい人にも言えなかった。言わなかったです。
私の変なプライドの高さです。

変なプライドは持ちながらも、なんかどうにかなる気がして
「人生万事塞翁が馬!」と日記に書いているのも事実です。
(ポジティブでウケる、しっかり夜ご飯外食してるし)
ゆくあてはないのに、落ちた数日後にパスポートの更新に行って、
にこにこ過ごしていました。無駄になるかもしれないのに。
(どんなメンタリティなのか本当に気になる自分でも)

パスポートを取り行っているということから一つ言えるのは
私はまだ「留学を諦めていない」ということです。
就活に切替えることは一ミリも考えませんでした。
やっぱり海外に行きたかった。

運命の大学に出会う

イタリアはいつ出てくるんですか?とお思いでしょう。
ごめんなさい。もうそろそろ出てきます。

まず、ゆくあてが無くなった、けど、やっぱり諦められない私は
他に行ける大学がないか探しはじめました。その時にふと降り立った考えが「食」でした。ちょうどその時、「美食」についての本を読んでいたのも
関係しているのでしょうか。英語で学ぶとなると、自分が大好きなもので
しか続かないよなと、ふと当たり前のことを思ったのです。
食べることも作ることもお店のサーチも大好きな私が英語で学ぶなら
食関連だと確信しました。今まで「海外に行けるならなんでもいい」が、「食について学びたい」になった瞬間でした。

その観点で調べて、1番初めに出てきたのがイタリアのBraという街にある
University of Gastronomic Sciences of Pollenzo、食科学大学でした。
「食とビジネスが学べる世界で唯一の大学」です。私のための大学でした。
お城を改装された校舎、地下にはワインセラー、世界で活躍するシェフが
考えるランチ。カリキュラムは、座学からテイスティング、ラボでの実験、農家さんでのフィールドワークもスタディトリップ。読んでいるだけで
ワクワクするものが沢山でした。ぜっったいにここに行くと決めました。
運命やタイミングを信じざるを得なかったです。
IELTSが取れなかったのも、オランダに落ちたのも。
全て都合良く解釈していますが、人生そんなもんです。後付け力です。

そして、同時にこの時期に父のお友達を経由して、トビタテ JAPANという
奨学金制度についても知りました。トビタテについてはまた別の機会に。

イタリアを目指す2ヶ月間

さあ、3月下旬の諸々の提出に向けての準備が始まります。
この諸々の準備についてもまた、別のnoteで書こうと思います。
簡単に説明すると、24問の質問に答えるシート、志望動機を書くエッセイ、CV(履歴書)の提出が求められました。

これを乗り越えられたのは完全に私の周りの方たちのお陰です。
海外住みの方やパパのお友達にも添削してもらいました。
あり得ない繋がりを得て、推薦状を頂いたりもしました。
これらは幸せエピとして、書こうかな。

食科学大学は優しくて返信がとても早く、1日の間に何回もレスが
返ってくるのがとても救いでした。学生課のチャールズには何回も
メールしてご迷惑をおかけしたので、会ったらまずハグしてお菓子を
持っていこうと思っています。

初めてが沢山すぎて不安いっぱいでしたが、無事に全てを提出することが
できました。ニッチな大学すぎて、傾向と対策なんて出回ってもないので、完全自己流、自分全開で書いていました。
落とされたら私と相性合わないのね、で終われると思ったので、
悔いはなかったです。チャールズにはご対面できないのは悔しいけど。

イタリアへの切符

そして提出から二週間後、無事に合格することができました。
合格通知は当然に、予期せずインターン先のオフィスで見ることに
なりました。よくわからないイタリア語の表には私の名前とAmmessoの
文字。恐る恐るGoogle翻訳にかけると

「入学許可」

出てきた時は小声で「え」しかでてきませんでした。
人は驚くと「え」ぐらいしか発せないようです。とりあえずオフィスを
歩き回って、その場にいた社員さん4人の世間話をぶった切って、
「合格しました、、」と謎報告。とにかく誰かに伝えたくて、笑

その後はすぐに母から電話がかかってきて、お話しました。
信じられない気持ちが強すぎて泣くこともできませんでした。
父は意外とあっさりしてて、帰宅後に「おめでとう」だけでした。
それでも、次の日の飲み会ではその卓で自慢したそうです。
大親友のふたりはボイスメッセージと電話をくれたり、泣いていました。
私も家族も誰も泣いていないのに、泣いていました。

いろーんな人に連絡して報告しました。色んな方の協力があって
ようやく叶った合格。皆さんが私にかけて下さった愛とパワーと労力、
時間、期待に報いた、と本当に嬉しかったです。
自分がどれだけ恵まれているか実感して、幸せを感じました。

おわり

もう4500文字ぐらいになっていて、怖いのですが、、、
これで私の留学が決まるまで道のりnoteは以上です。
破天荒、紆余曲折すぎる道のりでしたが、終わりが良いので
全て良し!!ですね!!(無理矢理)

大学に入った頃はこんな道に進むなんて思ってもいませんでした。
こんな風に自由に考えることができるようになったのも成長なのかなと
思います。

私の初めのBocca al lupoいかがでしたか?
Lupoが何匹もいましたね🐺


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