見出し画像

思考の解像度を1ピクセル上げるために、私は「無駄」を買いにいく。

マーケティングという世界に身を置いていると、どうしても「効率」や「ROI(投資対効果)」という物差しが、思考の最優先事項になってしまいます。

何かを買うとき、どこかへ行くとき。
「これは何の役に立つのか?」と、無意識のうちに人生を損得の数式に当てはめて計算してしまう。

そんな「効率中毒」の私が、ずっと大切にしているお金の使い方があります。

それは、「思考の解像度を上げるための浪費」です。


学生時代の私が、震える手で買った「3万円」の重み


私の手元には、一本の万年筆があります。

それを手に入れたのは、まだ何者でもなかった学生時代のこと。
当時の私にとって、「3万円」という金額はとてつもない大金でした。


何度も文房具店に足を運び、ショーケース越しに眺め、貯金残高と照らし合わせる。

一時の流行りではない、一生付き合える「本物」が欲しい。

そう決心して購入した日の、重厚感あるケースを開けるときの高揚感と、背筋が伸びるような緊張感は今でも指先が覚えています。

当時の私にとって、それは単なる筆記用具ではなく、自分の未来に対する「覚悟」の買い物でした。


..…いや、カッコよく言い過ぎました。
大人への憧れに背伸びしていただけ、と今では思います。


効率はPCに、思考は万年筆に。


社会人になり、日々の業務に追われる中で、私の周囲は「効率」に埋め尽くされました。
普段のメモやノート取りはシャーペンで済ませ、速報性が求められる記録はPCで打ち込む。
それは正しく、圧倒的に効率的です。


しかし、自分の内面と向き合い、新しい企画や言葉を紡ぎ出す「アイデア出し」の時間だけは別です。

私は今でも、あの学生時代に買った万年筆を手に取ります。


効率の物差しで見れば、インクを補充し、紙との摩擦を感じながらゆっくりと文字を書く行為は、無駄の極みかもしれません。

でも、私にとってこの万年筆を手に取ることは、「思考する自分へのご褒美」なのです。

「あの万年筆で書きたい」という純粋な欲求を、アイデアを絞り出す苦しい時間への報酬として充てる。
そうすることで、ただの作業だった「考えること」が、自分だけの特別な儀式へと変わっていきます。


効率を捨てて手に入れた、言葉の「指紋」


効率を突き詰めた先に待っているのは、驚くほど「平坦な言葉」しか持たない自分でした。
誰が書いても同じような、AIが瞬時に出力する「正解」のような文章。

そこに私という人間は存在しません。

私にとって、この万年筆という「あえての浪費」は、自分という人間の価値を高めるための立派な投資です。

万年筆で書くと、言葉がゆっくりと紙に染み込んでいくのを感じます。

キーボードを叩くスピードでは決して見えてこない、微細な感情の揺れや、論理の隙間にある「納得感」。

その一瞬の滞留こそが、言葉に血を通わせます。

「すごい」や「きれい」という安易な言葉で片付けず、なぜ私は今、心が動いたのか? を1ピクセルずつ丁寧に言語化する。

そうして紡がれた言葉には、筆圧やインクの濃淡のように、私という人間にしか出せない「指紋」が宿ります。

その唯一無二の時間を、私は今も、学生時代に決心して買った3万円の万年筆で買い続けているのです。


お金は、自分を「定義」するための彫刻刀


私にとって、お金を使うことは、自分を削り出していく作業に似ています。

効率や正解は、もうAIが1秒で出してくれる。
だからこそ、私はあえて「無駄」を買いにいきます。


学生時代に背伸びして買った一本の万年筆が、年月を経て、私の思考に励みを与えてくれる。

効率の悪い遠回りをし、無駄な浪費へ投資する。


そうして手に入れた「思考の解像度」こそが、これからの時代、誰にも奪われない私だけの資産になると信じています。


皆様は最近、自分を削り出していくために、どんなお金の使い方をしましたか?



いいなと思ったら応援しよう!

乃手 あおい / note中毒者 いつも応援ありがとうございます! 今後の分析・執筆費用として、有料noteや書籍に充当させていただきます。