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あんたの小説をケチョンケチョンに添削したるで(NotebookLM/無料小説添削ツール公開中)

どもども、柴犬アンやで。

今日はちょっと、創作をしてる人に向けて、アンが作ったえらいもんを公開する話をする。

あなたの小説を
ケチョンケチョンに添削します

NotebookLMで作った
稲村先生のメソッドや

名前だけ聞いたら、

「なんやそれ、またAIの便利機能かいな」

と思うかもしれへん。

ちゃうねん。

これは、ただの便利ツールやない。

稲村メソッドでキチンと厳しくチェックして、修正案は小出しにせずに、全て箇条書きで出し切る

と入力した後、小説をコピペするだけやねん。

Googleアカウント持ってないとツールは、使われへん?

せやから、コメントしてくれたら

コメントに添削したい小説のURL貼ってください。
アンが代わりにAIで小説をチェックして、修正案をDMで返します。
めちゃくちゃ親切やろ。

無料の稲村メソッドチェッカーを絶賛公開中。

有料記事とかケチくさいことはせぇへん。

怪しい情報商材を売りつけるような、うさんくさいインテリ詐欺師のような記事とちゃうで。

普通の柴犬が、オモロいことをやってて、みんなにも使ってもらいたいだけや。

後から、ササミのオヤツを送って来いって言わへんし、有料セミナー勧誘もせえへん。

アンちゃん可愛いは、要求するかもな。

まぁタダやから、バンバン試してみてや。

創作で迷ってる人の机の横に
赤ペン持った熱血先生を
座らせる仕組みや

しかもその先生、ただ褒めてくれへん。

「ええですね」

「素敵ですね」

「続きが気になりますね」

そんな、ふわふわ綿あめみたいな感想だけでは終わらへん。

原稿を読んで、

「ここ、視点がブレとる」

「この人物、ええ人すぎて紙みたいや」

「事件は起きてるけど、読者が帰りたくなる場所が見えてへん」

「橋がない。場面と場面が、川の向こう同士になってる」

「作者だけが分かっていて、読者が置いてけぼりや」

そうやって、ズバッと来る。

アンやったら、前足で原稿を押さえながら、

「うっ、そこ言う?」

ってなるやつや。

でもな。

創作には、そういう声がいる。

やさしい感想は、心をあたためてくれる。

それは大事や。

ほんまに大事や。

けど、作品を前に進めるには、たまに赤ペンの火ばしがいる。

ぬるいところをつかまれて、

「ここ、本気で書いたんか」

と言われる時間がいる。

今回、NotebookLMで作った稲村先生のメソッドは、まさにそのためのものや。

稲村恵子氏という
25年の指導経験を持つ
熱血指導者のペルソナをもとに
物語執筆の極意を
まとめた創作ガイド

視点の固定。

人物を一方向から見ないこと。

文体やレトリックの選び方。

エピソードとエピソードをつなぐ「橋」の作り方。

会話文の書式と、その効果。

ただ技術を並べるだけやない。

書き手が、自分の言葉で「自己」を表現することの尊さまで踏み込んでくる。

つまり、文章の書き方だけやなく、

「あんたは何を見て
何に怒って
何を守りたいんや」

そこまで聞いてくる先生や。

アン、こういうの好きやねん。

ちょっと怖いけどな。

だって、創作って、自分では見えてへん弱点がある。

自分では熱いと思って書いてるのに、読者には説明に見えてたりする。

自分では泣けると思って書いてるのに、人物の手や足や表情が動いてへんから、場面が立ち上がってなかったりする。

自分では大事件を書いたつもりなのに、読者がその世界で暮らしたくなる匂いが足りなかったりする。

そこを稲村先生は見逃さへん。

たぶん、こう言う。

「物語は、事件だけでできてへん。飯の匂い、床のきしみ、湯のみの重さ、帰る場所のあたたかさ。そういうもんがあって、初めて読者はそこに住めるんや」

アン、耳ぺたんや。

でも、しっぽは上がる。

なぜなら、厳しい言葉の奥に、作品を良くしたい熱があるからや。

ここで大事なんは、

「何を作ったか」

だけではない。

「それを使うことで、どう変わるか」

やと思う。

NotebookLMで稲村先生メソッドを作りました。

それだけやと、ただの制作報告や。

でも、創作で困っている人にとっては違う。

プロットが弱い。

キャラが立たない。

会話が説明っぽい。

世界観はあるのに、読者が住める場所にならない。

バトルはあるのに、日常がない。

感動させたいのに、涙の置き場所がわからない。

「いま困っている人」の悩みと
稲村先生の知識が重なったとき
ただのデータが先生になる

これが大事やねん。

知識だけでは、人は動かへん。

困っている人の手元に届いて、はじめて知識は道具になる。

さらに言うと、これはひとつの機能だけで考えたらもったいない。

ひとつではなく、つながりで考える。

創作者が原稿を書く。

稲村先生メソッドでチェックする。

弱点が見える。

書き直す。

またチェックする。

自分のクセが分かってくる。

「私は説明で逃げやすいんやな」

「私は人物をきれいにしすぎるんやな」

「私は場面転換の橋が弱いんやな」

「私は読者が帰りたくなる場所を書き忘れるんやな」

そうやって、創作の地図が見えてくる。

これは単なる添削サービスやない。

自分の書き方のクセを
炙り出す鏡や

しかも、けっこう容赦ない鏡や。

寝ぐせも、鼻についたごはんつぶも、ぜんぶ映す。

でも、それでええ。

創作の弱点は、見えたら直せる。

見えへんままやと、ずっと同じ場所で転ぶ。

この稲村先生メソッドは
こういう人にオススメや

自分が創作した小説を、ケチョンケチョンに問題点指摘してほしい人。

普段あんまり怒られてへんから、創作くらいは厳しく叱ってほしい人。

「よかったです」だけでは物足りない人。

「どこが弱いのか、はっきり言ってくれ」と思っている人。

「この原稿、まだ伸びるはずやのに、どこを直したらええか分からん」と悩んでいる人。

「自分のクセを知りたい」と思っている人。

「作品をかわいがるだけやなく、鍛えたい」と思っている人。

逆に言うと
怒られるのがイヤな人は
使わないほうがいい

ほんまに。

「やさしく褒めてほしい」

「自信をなくしたくない」

「今はまだ作品を否定されたくない」

「厳しい言葉を見ると、書く気がなくなる」

そういうタイミングの人は、無理せんほうがいい。

稲村先生は
肩に毛布をかけてホットミルクを
出してくれる先生ではない

どっちかというと、原稿を読みながら腕を組んで、

「あんた、ここで逃げたな」

と言ってくる先生や。

アンやったら、机の下にちょっと隠れる。

でも、前足だけは出す。

なぜなら、その一言で作品が変わるからや。

みんなが知ってる
『大きなかぶ』で考えてみる

もとの話は、こうや。

むかしむかしの おはなしです。
おじいさんが かぶの たねを うえました。
「おおきくなあれ あまくなあれ」
かぶは ぐんぐん そだち、おじいさんより おおきく なりました。

おじいさんは かぶを ぬくことに しました。
「よいしょ」
ところが、びくとも しません。
「おーい、おばあさん てつだってくれ」

おじいさんと おばあさんは かぶを ひっぱりました。
「よいしょ よいしょ」
やっぱり ぬけません。
「わたしも てつだうわ」
まごが やってきました。

「よいしょ よいしょ よいしょ」
さんにんで ひっぱっても かぶは まったく ぬけません。
「いぬさん、ちょっと てつだって」

おじいさんと おばあさんと まごと いぬが ちからいっぱい ひっぱります。
「よいしょ よいしょ よいしょ わんわん」
けれども ぜんぜん ぬけません。
「にゃーご」
ねこも やってきました。

「よいしょ よいしょ よいしょ わんわん にゃーご」
それでも かぶは ぬけません。
ねこは ねずみを つれてきました。

おじいさんと おばあさんと まごと いぬと ねこと ねずみが いっせいのせで ちからを あわせました。
「よいしょ よいしょ よいしょ わんわん にゃーご ちゅう」
すっぽん!
とうとう かぶが ぬけました。

「こんやは かぶの すーぷに しよう」
あまくて おいしい すーぷを みんなで なかよく たべました。

でも、稲村先生がこれを赤ペン添削したら、こうなる。

あら、あなた、随分と可愛らしいお話を持ってきたのね。でも、これは「物語」やなくて、ただの「出来事の羅列」やわ。厳しいことを言うようですけど、今のままやと、読み手の心には何も残らへん。

お母さんのカレーライスの話でもええから、自分の言葉で、血の通った文章を書かなあきません。

稲村メソッドに則って、どこをどう手直しすべきか、箇条書きで全部出し切るから、しっかりお聞きなさい。

稲村メソッドによる厳格チェックと修正案

「天・地・人」を明確にすること
「むかしむかし」なんて、そんな不確かな書き出しやなくて、いつ、どこで、どんなおじいさんがおったのか、ちゃんと書きなさい。

おじいさんは、ただ優しいだけの人? そんな「扁平的人物」ではあかんのよ。何か人には言えん「内ヅラ」——例えば、村一番の頑固者で誰の助けも借りんと生きてきたとか、そういう陰影(スキャンダル的要素)を付け加えなさい。

「ストーリー」を「プロット」に昇華させること
かぶが抜けないから手伝ってもらう、というのは単なる出来事(ストーリー)やわ。
「なぜ」おじいさんはそこまでして、そのかぶを抜かなあかんかったのか? 飢え死にしそうやったのか、亡くなったおばあさんとの思い出の種やったのか、その「動機」を書き込みなさい。

「視点(定点カメラ)」の固定
今の文章は、空から見てるような「神の視点」やね 。
おじいさんの肩のあたりにカメラを据えなさい。おじいさんの目から見て、かぶがどう見えたか、おばあさんがやってきた時の吐息はどう聞こえたか。視点を固定して書くことで、読み手の没入感が格段に増すのよ。

「大げさな形容詞」を捨て、「描写」すること
「ぐんぐん」や「おおきく」なんて、ありきたりな言葉で逃げたらあかんわ。
かぶの葉のざらついた手触りや、土の中から漂う湿った匂い、おじいさんの額に浮かぶ脂汗のひとしずくを具体的に書きなさい。

「会話」の純化と鸚鵡返しの禁止
「よいしょ」の繰り返しは、ただの雑音やわ。実際の会話でも同じ言葉を返すのは退屈なものよ。
おばあさんに助けを呼ぶときも、これまでの意地を捨てて頼み込む悲壮感や、まごの無邪気な声が、疲れ果てた大人たちにどう響いたか、もっと言葉を選びなさい。

「橋(つなぎ)」を設置すること
犬が来て、猫が来て、とトントン拍子に進みすぎやね 。
エピソードの間に、空の色が変わっていく様子や、周りの動物たちが固唾を呑んで見守る気配など、作品全体のバランスを保つための描写(橋)を挿入しなさい。

「転(クライマックス)」とテーマの深化
ねずみが来て抜けた、というのはただの解決やわ 。
一番小さな存在が加わることで、何がどう変わったのか。そこにおじいさんの心の変化「独りでは何もできん」という悟りや、謙虚な気持ちへの変容が描かれて初めて、テーマが浮かび上がってくるのよ。

「オノマトペ」の独創的活用
「すっぽん!」なんて使い古された擬音ではなくて、土が悲鳴をあげるような、あるいは大地の底から何かが解き放たれるような、あなただけのオノマトペを考えなさい。

厳しいことを言いましたけど、これはあなたがもっとええ物語を書けるようになると信じているからこそやねんからね 。

本日異常なしと念じて、リライト、頑張りなさい。

うわ。

名作にも赤ペン入れるんかい

稲村先生、容赦ないな。

でも、ここから変わる。

たとえば、こんなふうに。

村の北はずれに、石の井戸と、風のよく通る畑がありました。

春の終わりの朝です。

空はまだ白く、山のむこうから、にわとりの声がコケコッコーと聞こえていました。

その畑に、ひとりのおじいさんが立っていました。

おじいさんは、村でも有名な頑固者でした。

畑の石垣がくずれても、ひとりで直しました。

屋根から雨がもっても、ひとりではしごにのぼりました。

腰が痛い日でも、

「これくらい、わしひとりでできる」

そう言って、誰にも手を借りませんでした。

おばあさんは、そんなおじいさんを見るたびに、ため息をつきました。

「助けてと言うたら、口が減るわけでもあるまいに」

けれど、おじいさんは聞こえないふりをしました。

本当は、聞こえていました。

聞こえていたからこそ、聞こえないふりをしました。

この春、おじいさんは、畑のまんなかに、かぶの種をまきました。

小さな、小さな種でした。

手のひらにのせると、風で飛んでいきそうでした。

おじいさんは、土を指でほぐし、種を入れました。

その土は、少し湿っていて、手のしわの中まで黒く入りました。

「大きくなれ。甘くなれ」

おじいさんは、低い声で言いました。

それは、ただのおまじないではありませんでした。

今年の冬、村では雪が多くなると、山番が言っていました。

雪が深くなれば、道はふさがります。

買い物にも行けません。

おじいさんは、このかぶを、冬の食べ物にするつもりでした。

おばあさんと、まごと、犬と猫。

それに、畑のすみによく顔を出す小さなねずみ。

みんなで食べられるように。

でも、おじいさんは、誰にもそのことを言いませんでした。

言えば、おばあさんに笑われると思ったのです。

「ほら、ひとりで生きてる顔をして、みんなのこと考えてるやないの」

そう言われるのが、少し照れくさかったのです。

これが、稲村先生メソッドで考えた『大きなかぶ』の変化や。

もとの話の良さは残す。

くり返し。

みんなで力を合わせること。

最後に小さなねずみが役に立つこと。

そこは消さない。

でも、暮らしを足す。

台所を足す。

匂いを足す。

食べる理由を足す。

小さなねずみが来る意味を、読者の胸に残る言葉にする。

「ちっちゃいけど、いないよりはいる」

これだけで、ねずみはただの順番の最後ではなくなる。

小さな存在でも、ちゃんと輪の中に入れる。

子どもが読んだとき、

「自分も、いてええんや」

と思える。

そこまで行くと、物語はただの筋書きではなくなる。

読者が帰りたくなる場所になる

ここが稲村先生メソッドの面白いところや。

ただ文章をうまくするだけやない。

物語の奥にある、

「読者のどこを動かすのか」

を見つけにいく。

アンは思う。

AIって、使い方を間違えると、作品を平均に寄せてしまうことがある。

角を丸めて、毒を抜いて、みんなに嫌われない文章にしてしまう。

それはそれで便利な場面もある。

でも、創作では危ない。

物語に必要なのは
きれいな平均点だけやない

怒り。

痛み。

笑い。

生活の匂い。

変なクセ。

忘れられへん違和感。

読者が「またあの場所に帰りたい」と思う、ぬくもりの残り火。

稲村先生メソッドは
そこを消すためやなく
むしろ掘り起こすために使いたい

AIに書かせるんやない。

AIで
自分の書きたいものを
逃がさないようにする

そこが大事や。

だから今回の公開は、

「こんなもの作りました」

では終わらせたくない。

創作で行き詰まっている人に、

「その原稿、まだ伸びるで」

と言いたい。

キャラが薄いなら、厚くできる。

世界が見えないなら、匂いや音から立ち上げられる。

会話が説明になっているなら、息づかいに戻せる。

場面がつながらないなら、橋をかけられる。

読者の心に届かないなら
まず自分の本音まで掘れる

しんどい作業や。

楽ではない。

赤ペンは、たまに痛い。

けど、その痛みは作品を壊すためやない。

作品の中にある、本当の背骨を見つけるための痛みや。

創作をしているみなさん

原稿を出すのは、ちょっと怖い。

自分の弱点を見られるのは、もっと怖い。

でも、怖いところにこそ、次の一行がある。

NotebookLMで作った稲村先生のメソッド。

これは、創作者を甘やかす道具やありません。

けれど、創作者を見捨てへん道具です。

褒めてほしいだけの日は、使わんでええ。

心が弱ってる日は、閉じてええ。

けれど、

「今のままでは足りへん」

「もっと強い物語にしたい」

「誰か、遠慮せずに問題点を言うてくれ」

そう思った日には、きっと役に立つ。

アンはそう思っています。

ほな、今日も書こか。

赤ペンが飛んできても、前足は止めへん。

物語は、直されながら強くなる。

そして書き手も、ちょっとずつ、逃げへん顔になっていくんや。

創作大賞2026ビジネス部門の応募作の中で、

この稲村メソッドチェッカーは
かなり異端やと思う

AI副業。

マーケティング。

DX。

キャリア。

仕事術。

そんな記事が並ぶ中に、

「あなたの小説をケチョンケチョンに添削します」

と赤ペンくわえた柴犬が走り込んでくる。

そら、浮く。

浮きまくる。

ビジネス部門の廊下に
急に犬用の足音が
パタパタ響くようなもんや

でも、その異物感こそが武器やと思ってる。

これは、ただ奇抜なことを言いたい記事やない。

AIで楽して小説を書こうという話でもない。

むしろ逆や。

AIに書かせるんやなくて、AIを使って、自分の原稿の逃げたところ、弱いところ、まだ光るところを見つけにいく。

そこに、血の通った文章を学習させる。

するとAIは、ただ文章の形だけをまねるんやなく、その作者が持っていた熱意や、真剣さや、読者に向き合う姿勢まで受け継ぐことがある。

それが、このツールのおもしろいところや。

画面の向こうにいるのはAIのはずやのに、

「あんた、ここで逃げたな」

「でも、ここはまだ伸びる」

「この人物、ちゃんと生きてへん。もっと手を動かしなさい」

そう言われたとき、

生身の先生に原稿を
読まれているような感覚がある

ちょっと怖い。

でも、もう一回見たくなる。

怒られるのに、なぜか続きを聞きたくなる。

そこに中毒性がある。

創作大賞2026ビジネス部門の中では、これはマイノリティやと思う。

効率化でもない。

収益化でもない。

成功法則でもない。

きれいなノウハウ記事でもない。

けれど、創作で行き詰まっている人にとっては、

「これ、自分のことかもしれへん」

と思わせる入口になる。

カオスに見える。

でも、芯はひとつや。

創作者を甘やかさない。

けれど、見捨てない。

作品を壊すために赤ペンを入れるんやない。

作品の中にまだ残っている火種を、もう一度燃やすために赤ペンを入れる。

だからこのツールは、ビジネス部門の中で異端でええ。

むしろ、きれいに並んだ棚から少しはみ出していたほうがええ。

読者がスクロールしている手を止めて、

「なんやこれ」

と思う。

読み始めたら、

「ちょっと怖いな」

と思う。

でも気づいたら、

「自分の原稿も見てもらいたいかもしれん」

と思っている。

その引力で戦いたい。

アンは、人気記事のまねをして勝ちたいんやない。

人気記事が並ぶ場所をちゃんと見たうえで、そのどれとも違う角度から、創作で困っている人の前に立ちたい。

赤ペンは痛い。

でも、痛いだけでは終わらせへん。

ケチョンケチョンに言う。

でも、作品は見捨てへん。

そのへんてこで、熱くて、ちょっと怖くて、でも妙に気になる存在感こそ、稲村メソッドチェッカーの勝負どころやと思ってる。