オーシャン・ドッグスⅡ🐶 第32話:この身に溶け、二つ目の頭となれ
カトマンズの夜が明けきるころ、ベンガル湾のずっと下。
光の届かない深海で、黒い長い影が、静かに沈んでいった。
ニーズヘグだった。
頭はアンたちの光で焼かれ、片側の鱗は剥がれ、骨がのぞいている。
それでも巨大な単眼だけは、まだ開いていた。
黒い月みたいに。
「……マダ、オワラン」
その目が、かすかに瞬く。
近くを泳いでいた深海魚の目が、同じ暗い色ににじんだ。
ひとつ、ふたつ、みっつ。
やがて10、20の魚たちが、ニーズヘグの胴を押しはじめる。
泡が、ゆっくりと斜めにのぼる。
彼らは、まっすぐ沈んでいたはずの巨体を、深い谷のほうへと運んでいった。
谷の底には、黒い穴が口を開けていた。
その奥から、低くひびく声が、海水ごしに押し寄せてくる。
「遅かったな、ニーズヘグ」
穴の中から現れた影は、ニーズヘグよりさらに大きかった。
海底の山ひとつぶん、ぬるりと動くような大きさ。
長い胴体は幾重にもとぐろを巻き、頭は深海の夜よりも濃い青。
目は冷たい銀色。
その周りを、3つの違う影が遠巻きに回っている。
大きな翼を持つ海竜、太い蛇のような海竜、棘だらけの海竜。
ニーズヘグ以外の「四天王」たちだった。
「海竜の王、リヴァイアサンさま……」
ニーズヘグの単眼が、わずかに細くなる。
「ノウ……リヴァイアサン」
「ヒトノフネハシズメタ。リュウセキモホラセタ。
ケレド、アノ イヌドモニ、アタマヲオラレタ。
コノスガタデハ、モウゼンセンニハタテン」
リヴァイアサンの気配が、少しだけ笑ったように揺れた。

「役に立たない兵は、ふつうは沈める。だが、おまえの目と怒りは、まだ使える」
ニーズヘグの単眼が、再びぬらりと光る。
「ウミヲトリカセレルナラ、ソレデヨイ。
ヒトノフネモ、リクノミヤコモ、イズレナミノシタヤ。ワレラハキョウリュウノイキノコリ。
ホンライナラ、トックニヒトヲコエ、チキュウノハシャニナットッタ」
リヴァイアサンの銀の目が細められる。
「海は海竜のもの。陸からせり出してくる鉄と火の塔は、侵略だ。おまえの考えは間違っていない。やり方が古いだけだ」
「ソノカンガエダケハ……オナジダナ」
ニーズヘグの声は、少しだけ熱を帯びた。
「ナラ、クレテヤル。
コノメモ、コノイカリモ、コノハイボクモ。
オマエノチニクニシテ、サキヘススメ」
リヴァイアサンが、静かに告げる。
「よかろう。この身に溶け、二つ目の頭となれ。
恐竜の記憶も、人への恨みも、すべてまとめて引き受けよう」
巨大な影が、ニーズヘグに近づく。
深海魚たちが一斉に散り、単眼と銀の目が真正面からぶつかった。
次の瞬間、黒い鱗と青い鱗が混じりあい、深海に渦が立つ。
骨が鳴り、肉がうねり、長い胴体がさらに太く、長くなる。
ひとつだった首が、ふたつに分かれて伸びた。
新しい海竜が、ゆっくりと身を持ち上げる。
右の頭にはニーズヘグの単眼。
左の頭にはリヴァイアサンの銀の目。
二つの喉が、同時に低くうなった。

「海を返してもらおう、人よ」
「恐竜の時代を、もう一度ここから始める」
深海の闇が、少しだけ震えた。
つづく
