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オーシャン・ドッグス🌊勇敢な犬たちの船🛳️ 第1話:進路は東へ

【世界初・犬の海洋ファンタジー】
吠えるのは、一度だけ。
合図は小さな「コン」。
航路は世界。
世界一周客船で“東へ”出航した柴犬アンは、母ユズキから「吠えるのは一度だけ」の掟を託される。
最初の夜、船底の小さな「コン」を合図に海が盛り上がり、黒い背をもつ海竜が襲来。
母は、吠えで娘を波上へ押し上げ、海は無音にその刹那、天からの光と人魚ルーシーが現れる。
七つの海の“長”に会いに行く航海の最初の港は徳之島。
涙と塩の匂いを抱えて、アンは舵を取る。
児童文学、ついに海に出る。
小さな「コン」で始まる、ありえないほど大きな旅。
さあ、出航。次の港まで止まれない。

甲板の風は塩と果物の匂い。

昼のプールからはレモネード、ビュッフェの厨房からは甘いパンの湯気。

柴犬のアンは鼻先を高く上げて、波のきらきらを一口ずつ味わった。

世界一周の船、クイーン・エリザベスは、港を離れて静かに東へ向かっている。

「アン、次はどこが楽しみ?」

飼い主のモモちゃんが世界地図に金色の星シールを貼る。

「甘い煙がする町。雨とハーブの匂いの港。あと、パイナップル」

「ほら、やっぱり南の島だ」

モモちゃんママのリョウコママが笑って、アンの耳のうしろを二度撫でた。

撫でる強さと匂いで、アンはママのご機嫌がわかる。

午後は家族でデッキめぐり。

真鍮の手すりは陽に温かく、階段の上では楽隊がワルツを奏でている。

モモちゃんはチョコソフトを片手にダンスのまねをして、モモちゃんパパのヨシタカパパは双眼鏡で水平線をなぞった。

「見張り犬アン、異常なし!」

と敬礼してくるから、アンも胸を張る。

客室に戻ると、ベッドの上に当日の新聞が置いてあった。

寄港地の案内と、夜のドレスコードと、船長からの短い挨拶。

リョウコママが読み上げる。

「明日は船上からきれいな服で写真を撮ろうって」

ヨシタカパパが調子を合わせる。

「よろしい。今夜の船長はアン。帆じゃなくてエアコンに気をつけて、進路は東。ヨーソロー」

アンはその言い回しが好きだ。

言葉の形が風向きみたいに感じられて、胸の奥がすっと広くなる。


夕方、甲板の端でアンのお母さん柴犬のユズキが鼻先を重ねてきた。

「アン、もしもの時は三歩進んで止まる。それから風を見る」

「吠えるのは一度だけ、だよね?」

「そう。海に道を聞くとき」

「……うん」

ユズキは静かに笑って、首元の毛を整えた。

アンは目を細める。

柴犬の子どもたちは小さなころから

「強く、泣かないように」

と言われるのだと、どこかで聞いた。

だけど、そんな約束をアンはしていない。

泣き虫で速い犬がいたっていい。

走る日は走る。

泣く日は泣く。

それでも家族のそばで、舵は自分で握る。


夜、メインダイニングの照明は低く、グラスが星みたいに光った。

モモちゃんはキッズメニューの旗をアンの首輪にさして「今日の航海旗」と言って笑う。

テラスへ出ると、船の心臓の鼓動が床を伝ってどん、と響いた。

遠くでバイオリン。

潮の匂いは少しだけ冷たくなる。

「アン」

ヨシタカパパが空を指す。

「あれが北斗七星。あの柄の先を伸ばすと北極星。船は星を目印に走るんだ」

「アンは匂いで走るよ」

「それがアンの羅針盤だな」

リョウコママが肩を寄せる。

「ねえアン、強がらなくていいよ。旅は“負けないため”じゃなく、楽しむためにあるんだから」

アンは小さく頷いた。

胸の中の鼓動が、進むリズムと同じ速さになっていく。


消灯前、モモちゃんがベッドに飛び込み、毛布の隙間からアンを呼ぶ。

「アン、明日もいっしょに甲板走ろう?星の道をね」

「うん。風がいい匂いだったら、もっと走る」

ユズキがドアのところで振り返る。

「おやすみ。いい夢を、船長さん」

「おやすみ、ママ」

アンは尻尾で床をとん、と叩いた。

その時だった。

床の下で、コン。

硬いものがどこかに触れたような、短い、けれど重たい音。

アンは耳を立てる。

二度目のコンは、さっきより深い。

風の匂いが、ほんの少しだけ変わった。

アンは息を吸い込んで、胸のどこかに小さな旗を立てる。

「進路、東。ヨーソロー」

波音が、ひと呼吸だけ無音になった。


つづく