不良柴アン 第4話:日本最大の暴走犬伝説
雨は、降っていなかった。ただ、やけに空が低い。
神原レンは、コンビニの袋を片手に、ドッグカフェ〈ルビィ〉の裏路地にいた。
すぐ近くにはセロー250。白く無骨なボディが、街灯の下で鈍く光っている。

「アン、今日こそ“人間のメシ”にしようぜ。なんでも好きなの言えよ」
振り返ると、リュックの中から赤毛の柴犬が顔を出した。
赤い蝶ネクタイが目立つ、小柄な“元”名探偵。
「……からあげ弁当、マヨ抜きでお願いしましてよ。油分が毛艶に悪影響ですの」
「うるせぇ。マヨのうまさも知らねぇで偉そうにすんな」
「不良に毛並みの美学を説かれるとは思いませんでしたわ」
言葉を交わすその目線は、冗談めいていたが――アンの表情には、かすかに影が落ちていた。
「……なあレン。あたしは、もう名探偵なんかじゃねぇ。けどよ……」
その声は、かすかに揺れていた。
「黙ってられねぇのは、変わらねぇんだよ」
レンは言葉を返さず、ただ弁当袋を掲げて歩き出す。
そこへ、爆音が響いた。
一台のバイクが、裏通りを制限速度を無視して走り抜ける。
車体は黒と紫。ナンバーは――8010。“咬む”。
その直後、鋭い悲鳴が響いた。
「ギャンッ!!」
アンがリュックから飛び出す。
レンも、袋を放り出して走った。

角を曲がった路地に、白い小型犬が倒れていた。
かすかに痙攣している。
「ふざけんな……!」
レンが叫ぶ。
アンはその犬に近づき、鼻先で確かめる。
「まだ生きてますわ。でも、時間が……!」
そのとき、背後から爆音と共に現れたバイクがもう一台。
「レンッ! 聞こえたよ、その音……来ちまった!」
園田マキだった。
レブル250のタンデムシートには、赤い蝶ネクタイのシーズー犬・バクがちょこんと座っている。
「うちのバクが、吠えたんだよ。そりゃ黙ってらんねぇだろ?」
「マキ、動物病院行くぞ! アン、リュック乗れ!」
アンが飛び乗る。
レンがセローを起こし、アクセルを踏み込んだ。
動物病院。手術は、奇跡的に成功した。
待合室でレンは拳を握りしめ、アンは黙って足元に座っていた。

「……怒ってるのか?」
「見ちまったんですの。あたしの目で。あたしの鼻で。だから……」
アンの声が低くなる。
「黙ってられませんのよ」
その瞬間、入口のドアが静かに開いた。
入ってきたのは白谷ルカ。
傍らにはラブラドールのゼロ。
「……動画、撮った。アップする」
「動画?」
「“吠える柴犬”。その言葉で、何人かは動く。あの子の命、無駄にしない」

ルカはスマホを取り出し、動画を投稿。
《#不良柴アン》
《#吠えた理由》
《#命の現場》
タグは短く、鋭く――。
数分後、画面の数字が跳ね上がっていった。
「ナンバー、8010。“バイト”……“咬む”ってことだ」
「ふざけた野郎だ。追いかけるぞ」
夜の高架下。
黒と紫のゼファーにまたがる暴走族の男が、煙草をくゆらせていた。
犬を轢いた記憶など、鼻で笑うようにこう呟く。
「チッ、またか。犬なんざ、いくらでもいるだろ」
赤嶺 凶牙(アカミネ・キョウガ)。
その腕には「K.Y.O.G.A」の刺繍が光っていた。
──日本最大の暴走犬伝説が、今、牙を剥く。
「……隊列、確認。第一隊、交差点南に布陣完了」
白谷ルカの声が、冷静に無線機越しに響く。
彼女の背後には、黄色いモンキー125とサイドカー。

クリーム色のラブラドール・ゼロが、まるで軍用犬のように無音で前方を見つめていた。
「ゼロ、左サイドを警戒。……静かに誘導、お願い」
ゼロは一つ瞬きをして、ぬるりと動き出す。
吠えもせず、体で隊列を仕切るように、他のライダーの動線を誘導していった。
「よし……ルカ、お前が“目”だ。全部、指示くれ」
神原レンはセロー250にまたがり、背中にはリュック。
その中から、柴犬のアンが顔を出す。

目は鋭く、口元はいつになく引き締まっていた。
「状況報告。凶牙のゼファーは国道沿いを北上中。散開した仲間を利用して撹乱してるようですわ。……けれど、奴の動きには“隙”があります」
アンの目がマップを睨みつけた。
「このルートじゃ、第二交差点で迎撃を受けますわ。南へ回り込み、第三環状線に出て下さい。……あの男は逃げに弱いタイプ。“包囲”に気づけば、必ず単独で抜けようとする」
「オッケー。アン様、先導頼むわ」
「ふん……探偵はやめましたが、頭はまだ回りますのよ」
レンがアクセルをふかした。
その後方。
赤いレブル250にまたがる園田マキが、同じくエンジンをかける。
タンデムシートには、フードを被ったシーズー犬バク。

「レン! 右から回るわ! バクがさっき、変な音に反応してな……たぶん、東ルートに伏せられてる」
「マジか、さすがだな。……バク、サンキュー!」
バクは「ワン」と短く鳴いた。
一方その頃──
街外れの高架下を走るゼファーの上、赤嶺凶牙が煙草を咥えたままハンドルを握る。

スマホの通知がひっきりなしに振動していた。
「……なんだよ、また通知か?」
画面にはSNSのトレンドワードが並んでいた。
《#不良柴アン》
《#吠える資格》
《#バイク5000台の咆哮》
「チッ……あの柴犬、マジで全国から集めてんのかよ」
そのとき、仲間のひとりが横付けしてきた。
「リーダー、ヤバいっす! 動画の再生数、数百万超えてます! あの犬、“おまえを見てた”って拡散されてて……顔もバレてる!」
「冗談じゃねぇ……なんで、俺が犬に……!」
凶牙の笑みがひきつる。
「もう囲まれてるって話です……! 抜けねぇッスよ、これ!」
「ふざけんな……!」
凶牙は怒鳴り、加速する。
が、道の先には──無数のライト。
別ルートから追いついた隊列が、静かに道を塞いでいた。
「ルカ、進路確認!」
「東、封鎖完了。北はゼロが制圧。南はマキとバクが抑えた」
ルカの報告に、レンが叫ぶ。
「アン、今だ!」
「逃げ道は……ありませんわ!」
レンのセローが走る。
背後には、列を成す5000台のバイク。

アンの赤い蝶ネクタイが風に翻った。
「“咬まれた魂”を、黙って見過ごせませんのよ……!」
土砂降りの高架下。黒と紫のゼファーが横転し、赤嶺凶牙が地面にうずくまっていた。
レンの拳が肩口にめり込んだその衝撃よりも、心を貫いたのは――柴犬・アンのひと吠えだった。
「……てめぇ、“命”をなんだと思ってやがった」
アンの声は低く、荒れていた。
かつての令嬢口調は消え失せ、レンと共に路地裏を駆ける不良の語り口に変わりつつある。
「犬を轢いて、走り去って、笑ってたってわけかよ? おまえのその手足は、罪を咬み砕けるほどデカいのか?」
雨の中、凶牙がゆっくりと顔を上げた。
サングラスは割れ、金髪が額に張りついている。
だがその瞳には、確かな“揺らぎ”があった。
「……チッ……なんで、こんな……犬ごときに……」
だが、ふと視線の奥に、遠い記憶の断片が浮かび上がる。

雨。段ボールの中。震えていた、小さな黒い子犬。
擦りむいた自分の指先を、必死に舐めていた。
「……アイツも……雨の日に拾ったんだ……」
凶牙の声が震える。
「……名前、もう思い出せねえけどよ……あいつ、俺が初めて“守りてえ”って思ったやつだったんだよ……」
アンの目がわずかに細められる。
「……思い出せたじゃねぇか。だったらもう、止まれよ。吠える側に、戻ってこい」
そのとき、ルカの無線が走る。
「……レン先輩、アン先輩、今……全国の視聴者が、あなたたちを見てる」
ルカはスマホを構え、画面越しに数万のコメントを見ていた。
《この柴犬、やべえ……心が震えた》
《俺も……吠えてなかっただけだ》
《凶牙……頼む、変わってくれ……!》
「……見て。人が、変わってく。……これが、“吠える”ってことなんだ……」
その声に呼応するように、レンが一歩前へ出た。
「なあ、アン。おまえは言葉で咬むんだろ?」
アンは無言で頷く。
「……なら、アタシは拳でぶん殴る。それがアタシのやり方だ」
レンの拳がもう一度震える。
だが、それは殴るためではなかった。
吠えるための、覚悟だった。
凶牙が唇を噛みしめる。

「……悪かった……俺は、逃げてた。吠える資格なんて、あるわけねえって思ってた」
アンはふっと、息を吐いた。
「資格なんざ、他人に貰うもんじゃねえ。自分で咬み取るんだよ」
そして、雨の中――
アンは、凶牙に背を向け、リュックの中へと戻る。
「咬み直す気があるなら、勝手についてきな」
夜が明け、空は晴れ渡っていた。
しかし、都市のあちこちに、轟音の名残が残っている。
5000台のバイクが吠え、そして静まり返った朝。
街には、確かに“咬まれた爪痕”が刻まれていた。
ドッグカフェ ルビィ
屋上のテラス席に、アンとレン、ルカ、マキ、ゼロ、バクの姿があった。

レンは缶コーヒーを片手に、空を見上げる。
「なあ、アン。おまえ、もう探偵やんねえのか?」
アンはリュックの上に座ったまま、きっぱりと答える。
「事件を追うのは終わりましたわ。でも、あたしはこれから──“咬む理由”を追っていきますの」
その一言に、ルカがふっと口元を緩めた。
「……じゃあ、もう“アン様”だね。不良柴アン、全国区」
「それは少々、騒がしすぎますわね」
アンがふいっと横を向く。だが、耳の先はほんの少し、赤くなっていた。
マキはバクをひざに乗せながら、スマホをいじっていた。
「見てみろよ。#不良柴アン、いまだにバズってる。Tシャツ作ったガキまでいるぜ?」
「……“アン様、咬んでください”って背中に書いてある……」
ルカが苦笑する。
「うちの商店街のバイク屋、“アン仕様のカスタムヘルメット”出したらしいぞ」
マキがニヤリと笑った。
「……調子に乗ってますわね。……まあ、悪くありませんけど」
アンは軽く尻尾を振った。
カフェの入り口に、新しい封筒が届いていた。
誰が置いたのかはわからない。差出人不明。切手もなし。
ルカが拾い上げて開封すると──一枚の紙が出てくる。
《“吠えるな。次はお前たちが轢かれる番だ”》
レンの眉がピクリと動いた。
「は……? 上等じゃねぇか」
アンは紙をチラ見し、鼻で笑う。
「まったく……暇人の悪戯、かもしれませんけれど…」
だが、ルカの目は鋭くなっていた。
「この印刷、最近使われなくなった廃版プリンターのインク……普通じゃない」
「……つーことは、“おふざけ”じゃ済まねぇってことか」
マキはバイクの鍵を回すような仕草で言った。
「いいねぇ。“次”の現場も、アタシらでぶっ咬みに行くか!」
アンが立ち上がる。

風に揺れる赤い蝶ネクタイが、朝日を受けてきらめいた。
「アン様、出動ですわよ。……“真実”ってヤツは、尻尾にくっついてるものでしてよ」
レンが笑う。
「行こうぜ。“咬む理由”が、まだまだ転がってやがる!」
──こうして、不良柴アンとその仲間たちの伝説は、まだ序章にすぎなかった。
咬まれた魂が、また一つ、咆哮をあげようとしていた!
To Be Continued…
