見出し画像

オーシャン・ドッグス4🐉 第7話:鼻からお腹まで実家モード入ってるし

アンは実家への道を歩き出す。

街の匂いが変わっていく。

港の油の匂いから、住宅街の土の匂いへ。

だしの匂い、洗いたての布の匂い、どこかの家の味噌汁の匂い。

頭の上のカメポンが、鼻先を少し上げた。

「いいにおい」

「せやろ。帰る家って、まず匂いでわかるんや」

しばらく歩いて、なじみの角を曲がる。

見慣れた塀。

見慣れた植木。

見慣れた玄関。

アンの足が、少しだけ遅くなる。

チャイムを鳴らすより早く、扉が開いた。

「アンーっ!」

飛び出してきたのは、モモちゃんやった。

レモン色のパーカーが先に飛んできたみたいな勢いで、星シール帳までしっかり抱えてる。

うれしい時は全身が先に走る子や。

モモはしゃがむより先に、もうアンの首に腕を回していた。

「おかえり。おかえり。ほんまにおかえり」

アンの耳がぴんと立つ。

「ちょ、ちょ、待ってやモモちゃん。うち今ちょっとボロボロやから、抱きしめ圧がすごい」

モモは目をうるうるさせたまま笑う。

「だって、会いたかってんもん」

頭の上のカメポンを見つけて、モモの目がさらに丸くなる。

「わあっ、この子がカメポン? ちっちゃい海みたいな顔してる」

カメポンは、まじめな顔で答えた。

「カメポン」

「かしこい!」

アンが笑う。

「自己紹介だけ聞いて、もう天才判定は早い」

その奥から、リョウコママが出てきた。

栗色の髪はきれいに内巻きで、ネイビーのカーディガンも、今日一日ちゃんと回してきた人の顔も、いつも通りきっちりしてる。

アンの汚れたバンダナをひと目見て、リョウコママは何も聞く前にタオルを持ってきた。

「アン、おかえり」

その声は静かやのに、胸にまっすぐ届く。

アンは、ちょっとだけ笑ってみせる。

「ただいまや、リョウコママ」

リョウコママは、アンの顔を見て、耳を見て、首元の汚れたバンダナを見た。

その一瞬で、ぜんぶ察してしもたみたいな目やった。

「強がらんでええよ」

アンは鼻をひくっとさせる。

「その一言、反則やで」

そこへヨシタカパパも出てきた。

首に下げた双眼鏡が、歩くたび胸でことっと鳴る。

笑ってるのに、アンの耳の下がり方も、足のふらつきも、ちゃんと見逃してへん目やった。

「おお、帰ってきたな、船長代理見習い。進路は東、ヨーソロー、やろ?」

アンの耳がまたぴんと立つ。

「それ言われると、なんかほんまに風向き変わりそうなんズルいわ」

ヨシタカパパは笑う。

「実際、ちょっと変わるからな。うちの決まり文句や」

モモがすぐ足す。

「アン、いっしょに走ろ、もあるで!」

アンはモモの顔を見る。

困った時の合図。

その言葉が、昔と同じままここにある。

「今日は走る前に、ごはんやな。うち、今ちょっと、鼻からお腹まで実家モード入ってるし」

モモが笑う。

「なにそれ!」

リョウコママが扉を大きく開ける。

「入り。あったかいうちに食べよう」

家の中へ入ると、木の匂い、だしの匂い、干した毛布の匂いが、いっぺんに胸へ入ってきた。

体のほうが先に、帰ってきたと思い出していた。

食卓には、アンの好きなものが並んでいた。

湯気の立つ汁物。

焼いた魚。

やわらかいごはんの匂い。

昔と同じ皿。

昔と同じ箸置き。

アンは思わず座ったまま固まる。

「反則やろ、これ」

モモが首をかしげる。

「どれ?」

「好きなもん全員集合しとる」

ヨシタカパパが笑う。

「そらそうや。主役が帰る日やからな」

リョウコママがやさしく言う。

「いっぱい食べ。今日は考える前に、ちゃんと戻ってきた体を先に休める日や」

カメポンは小皿のごはんを一生懸命食べていた。

「おいしい」

モモが目をきらきらさせる。

「しゃべった!」

アンが笑う。

「カメポン、しゃべるで。しかも食べもんの感想は早い」

少しだけ、ほんまに少しだけ、アンの胸のざわつきはやわらいだ。


つづく