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オーシャン・ドッグスⅢ🐕 第4話:私は地図の上でアンを追いかけるよ

そして、海上自衛隊の艦の甲板。

白いヘリポートのマーク。

灰色の手すり。

その間を、人びとが行き来している。

谷から救い出されたお父さんお母さんたち。

子どもたち。

そして、その中に

「アン!」

聞きなれた声。

振り向くと、そこにはモモがいた。

世界一周の客船でいっしょだった、アンの飼い主モモちゃん。

モモは少し日焼けしていて、でも笑い方は昔のままだ。

「モモ…!」

アンが駆け寄ると、モモはしゃがみこんで両手を広げた。

「アン…やっと会えた…!」

その後ろから、ヨシタカパパとリョウコママも顔を出す。

ヨシタカパパは、相変わらず双眼鏡を首から下げていて、リョウコママは、涙で少しだけ鼻が赤い。

そして、少し離れたところで、もう1匹の柴犬が静かに見ていた。

アンのママ、ユズキ。


アンが駆け寄ると、ユズキは昔と同じように、そっと鼻先をアンの鼻先に重ねた。

「…アン」

声は、あの夜と同じや。

「もしもの時は、三歩進んで止まる。それから風を見る。吠えるのは…」

「一回だけ。海に道を聞くとき」

アンが先に言うと、ユズキは目を細めた。

「覚えてたね」

「うん。ネパールでも、それで何回か助かった」

アンは笑うけど、目の端が少しにじんだ。

モモが、その輪にそっと入ってくる。

「アン、これから北極に行くんだって?」

「あんこが勝手にバラしよる」

あんこが、「情報共有だよ」と小さくつぶやく。

アンは、モモに向き直った。

「うちらの船、人間は乗れへん。せやから、一緒には行かれへんねん」

モモは、ぎゅっと唇を結んでから、うなずいた。

「うん。知ってる。でもね…」

モモは、デッキの床を指さす。

「アンが走るところは、だいたい“私の世界地図”のどこかに線が引いてあるの。だから、私は地図の上でアンを追いかけるよ」

ヨシタカパパが、楽しそうに笑う。

「こっちは空から追跡する。衛星写真と風のデータ、いくらでも見るさ」

リョウコママが、アンの首元を撫でる。

「寒くて泣きたくなったら、ちゃんと泣きなさい。泣かない約束なんて、誰ともしてないんだから」

アンは、大きく息を吸った。

怖さと、うれしさと、離れたくなさと。

いろんな気持ちが胸でぐちゃぐちゃになって、でも、それを全部ひっくるめて、前を向く。

「なあ、モモ」

「なに?」

「うち、今でも“見張り犬アン、異常なし”って言いたいねんけどな」

アンは、ちょっと困ったように笑った。

「北極はたぶん、異常だらけや」

モモが、ふふっと笑う。

「いいじゃん。“異常だらけ”の方が、お話になるよ」

「せやな」

アンは尾を振る。

「そっちは、日本にちゃんと帰って。うちらは北極行って…またどっかで合流しよ」

「約束」

モモが小指を出そうとして、途中でくすっと笑った。

「ごめん、アンには小指ないんだった」

「肉球あるで」

アンは前足を差し出す。

モモはそっと、その肉球に自分の指を重ねた。

ユズキが、最後に一歩前に出る。

「アン」

「なに?」

「強く、泣かないように、なんて言わないよ」

ユズキは静かに言う。

「泣いた分だけ、風が読める。怖かった回数だけ、吠え方が上手になる。アンはそれでいい」

「…うん」

アンは、声にならない返事でうなずいた。

艦の汽笛が鳴る。

別れの時間だ。

シバ・ゼロは、少し離れた沖合に待機している。

人間は乗れない。

だから、ここから先は、それぞれの船で進む。

「あんこ、りう、ルナ。戻るで」

アンが振り返る。

「了解」

「ヨーソロー」

「患者さん…じゃなかった、クルーの心拍は良好」

3匹が、それぞれの口調で答えた。

最後にもう一度だけ、アンは振り向いて叫ぶ。

「モモ、パパ、ママ、ユズキ!ちゃんと帰れよ!」

「アンもねー!」

モモの声が、風に乗って追いかけてくる。

艦とシバ・ゼロのあいだに、2本の航跡が広がった。

すぐに波に消えるけれど、アンの胸の中には、くっきり線が残る。



夕暮れ。

シバ・ゼロの甲板に、また4匹だけが戻ってきた。

その足もとには、相変わらず石のカメポン。

アンは甲板のへりに腰を下ろし、北の空を睨む。

「…さて」

アンが、ひとつ息を吸う。

「インド洋のお礼、ぜんぶ言えたな」

「うん」

「うん」

「うん」

3つの声が重なった。

「あとは日本帰って、シバ・ゼロを“北極仕様”にしてもらって…」

アンは、石の甲羅を見下ろす。

「世界のてっぺんで、“おかえり”言うだけや」

その瞬間。

カメポンの甲羅の北側が、また小さく光った。

今度は、さっきより少し長く。

細い細い、氷の模様みたいな光。

あんこが、きゅっと真顔になる。

「あかん、これちゃんと残しとかんと。chatDOG、記録。石殻内の反応、北方向への共鳴。航海ログのタイトル“北極からのささやき”…っと」

アンは、北の地平線を見つめた。

心臓の鼓動が、また少しだけ速くなる。

怖さと楽しさが、ごちゃまぜで跳ねる。

「進路、北。…その前に、一回だけ神戸寄ってええ?」

アンは、空に向かって言った。

シバ・ゼロの舵が、ゆっくりと回り始める。

石のカメポンの甲羅が、ほんの少しだけ、北の方角へかすかに傾いた気がした。

「ほな、行こか。カメポン、待っときや。次、うちら本気で迎えに行くで」

アンのその言葉ごと、シバ・ゼロは、日本へ向けて走り出した。


つづく