中二病、完治せぬまま入社した
昨日、寝られなかった。
理由は今日が入社式だったからである。
ついに来た、社会。
終わった、俺の人生。
ありがとう学生時代。さようなら、無限の可能性。
ようこそ、組織。こんにちは、回収。
冷静に考えれば、ただの入社式である。
スーツを着て、会社に行って、偉い人の話を聞いて、書類を出して、拍手して終わる。たぶんその程度のイベントだ。
なのに、こちらの体感としては完全に違った。
公開処刑
あるいは、才能の査定会。
もしくは、社会による回収作業。
野生で見つかった「まだ自分を特別だと思っている個体」が、ついに保護される日である。
朝、鏡の前に立った自分を見て思った。
あ、終わったな。
スーツを着た瞬間、自分の中の何かが明らかに負けていた。
今までギリギリ守ってきた、
「ぇ、?俺?まだ本気出してないw」
「なんだかんだ言って天才側の人間かもしれないし」
「サラリーマンとか、まあ、なろうと思えばなれるけど?」
みたいな、根拠ゼロの神話が、ネクタイ一本で首を絞められていた。
しかも厄介なのは、その神話が、まだ完全には死んでいないことだった。
僕はずっと、うっすら思っていたのだ。
自分はこんなふうに、会社の説明を受け、名札をつけ、同期と無難な笑顔で会話し、「今後ともよろしくお願いいたします」みたいな文を自然に言える人間ではないのではないか、と。
もっとこう、なにかあるだろう、と。
なにかって何だ。
知らない。
でも、とにかく会社員としてきれいに回収される器ではない気がする、と。
恥ずかしい、最悪である。
しかも、こういうことを考えている時点でかなり最悪なのだが、さらに最悪なことに、入社式前夜の僕は本気で、
「ここで会社に入ったら、自分の伸び代が途中で切断されるのではないか」
と思っていた。
切断て。
大丈夫である。
誰もそこまで真剣にお前の可能性を見ていない。
会社側からしたら、
「朝ちゃんと来るかな」
「必要書類あるかな」
「話聞けるかな」
くらいのものである。
なのにこちらは、
「これが、才能の終わり……?」
みたいな顔をして布団の中で震えていた。
自意識の規模がでかすぎる。
もはや入社式ではない。
最終審判である。
朝の自分なんて、完全に碇シンジだった。
逃げちゃダメだ。
逃げちゃダメだ。
逃げちゃダメだ。
いや、マジで逃げたかった。
エヴァにも乗りたくないが、会社にも行きたくない。
むしろエヴァの方がまだ乗る理由が明確でいいまである。
あっちは少なくとも、人類を守るとかいう名目がある。
こっちは「本日からよろしくお願いいたします」である。スケールが小さすぎる。
でも、俺は24でシンジくんは14。
驚愕の10歳差。
こっちはこっちで地獄なのに、戦闘BGMも流れない。
それでもちゃんとスーツを着て、髪を整えて、家を出た。
こういう人間の一番いやなところは、
「俺はこんな場所に収まる人間ではない」
と思っているくせに、
普通に時間通り行くところである。
これも満員電車で輸送されながら書いている。
反骨精神があるなら遅刻しろよ、と思う。
でも遅刻はしない。
開始二十分前には着く。
持ち物も確認する。
クリアファイルに書類を入れる。
社会に対して壮大な違和感を抱えながら、提出物はちゃんとしている。
この“ちゃんとしている中二病”がいちばんダサいのかも。
本物の反逆者になれない。
かといって、素直に適応もできない。
「こんなの自分じゃない」と思いながら、わりと綺麗に受付を済ませる。
社会に対する最後の抵抗が、内面でちょっと悪態をつくことしかない。
弱すぎる。
しかも会場に着くと、周りの新入社員たちがみんな普通に見えるのである。
なぜだ。
みんな昨日ちゃんと寝たのか。
なぜそんな顔をしていられる。
本当にこれが「ただの新しいスタート」だと思っているのか。
こっちは人類補完計画の説明会くらいのテンションで来ているのだが。
僕だけが、量産型に囲まれた最終回の主人公みたいな顔をしていた可能性がある。
実際にはただの新社会人なのだが、気分だけは異様に重い。
たぶん僕が怖かったのは、会社そのものではない。
会社に入ることで、自分が“普通にやっていけてしまう”可能性の方だった。
本当に嫌なのは、
向いてない、苦しい、無理だ、ということではなく、
案外やれてしまって、
案外慣れてしまって、
案外そのまま生活が回ってしまうことなのかもしれない。
そうなると、自分の中にずっといた
「俺はもっと別の何かになるはずだ」
という雑な神話が、いよいよ行き場をなくすからだ。
つまり僕は、
仕事が嫌というより、
自分が仕事に適応してしまうことに怯えている。
面倒くさすぎる。
社会から見たら知らんがな、である。
でも、たぶんこういう面倒くさい自意識って、完全に捨てるのも違う気がする。
中二病って、ただの幼稚さじゃない。
自分を簡単に現実へ明け渡したくない、という最後の悪あがきでもある。
もちろん、そのままでは困る。
家賃は中二病では払えない。
定期代も中二病では出ない。
上司との会話に「僕はまだ本気を出していないだけなので」は通用しない。
そんなことはわかっている。
でも、
「自分はこんなもんじゃないかもしれない」
という、あまりに根拠のない感覚まで完全に失ってしまったら、
それはそれで少し寂しい。
だから僕はたぶん、
中二病を治したいわけではないのだと思う。
社会の中で、バレない程度に飼いたいだけなのだ。
ネクタイの下で。
社員証の裏で。
会議中の無表情の奥で。
「俺は本来、こんなところで終わる器ではない」
そういう、効き目のない呪いみたいなものを、
小さく持ち続けたいだけなのかもしれない。
とりあえず、入社式には行く。
逃げなかった。
偉い。
全然乗りたくない田園都市線からエヴァに、とりあえず搭乗した。
しかも戦わない。
拍手して、話を聞いて、よろしくお願いしますと言うだけである。
あまりにも地味な搭乗だが、当人の精神だけは異常に派手だった。
たぶん明日からも、こういう日は続くのだと思う。
会社に行きたくない日もあるだろう。
自分の才能の限界を勝手に感じて落ち込む日もあるだろう。
「俺はもっとすごいはずだったのに」と、誰にも頼まれていないのに傷つく日もあるだろう。
でも、そのたびに思うのかもしれない。
別に、社会に入ったから終わりではない。
ただ、自意識が少しうるさいだけだ、と。
本当にうるさい。
黙ってほしい。
昨夜も一睡もさせてくれなかった。
それでもまあ、今日会社に行けたので、
たぶん人間としては合格である。
天才かどうかは、いったん保留にする。
あ、腕時計忘れた。やってられるか!
