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49歳、どん底からの再出発。派遣バイトを卒業し、私は海で生きる夢を掴んだ

2026年4月7日 火曜日

長きにわたる派遣アルバイトの日々が、今日、無事に終わりました。
道具を片付け、現場を後にする時、胸の中にあったのは爽やかな達成感と、少しばかりの寂しさ。そして、数ヶ月前には想像もできなかった「次の一歩」への確信でした。
振り返れば、今年の1月。
タイから日本に帰国したばかりの私は、49歳という年齢で、これからの進路を模索していました。
経験を活かそうと何社もの正社員案件に応募しましたが、返ってくるのは無情な「不合格」の通知ばかり。
「自分はもう、社会に必要とされていないのではないか」
資金も底を突き始め、焦って応募したアルバイトですら採用されない日々が続いたとき、私は人生のすべてを否定されたような暗闇の中にいました。

正社員もバイトも不採用。人生を否定された1月からの記録

あの頃の自分を思い出すと、今でも胸が締め付けられます。
タイでの生活を終えて帰国し、意気揚々と挑んだ再就職活動。
しかし、現実は甘くありませんでした。
「49歳」という数字が、まるで見えない壁のように立ちはだかる感覚。
書類選考で落とされ、面接までたどり着いても結果は同じ。
貯金残高が減っていくのと比例するように、自信も削り取られていきました。
生活のためにと応募した近所のアルバイトですら、連絡すら来ない。
「自分には価値がないのか」と、自問自答を繰り返す夜は、本当に長く暗いものでした。

2ヶ月間で4社の雇用契約。がむしゃらに働き、自分を取り戻した日々

そんな私を救ってくれたのは、ダメ元で応募した派遣会社の短期単発バイトでした。
見事、雇用契約を交わすことができた時の喜びは忘れられません。
2月から今日までの約2ヶ月間、私は4つの派遣会社と契約を結び、文字通り毎日のように働き続けました。
現場は日々異なり、仕事内容も様々。
けれど、体を動かし、誰かの役に立ち、その対価として報酬をいただく。
その当たり前の営みが、バラバラになりかけていた私の心を繋ぎ止めてくれました。
忙しく働く中で、不思議と心は冷静になっていきました。
「今の自分に何ができるか」ではなく、「本当はどう生きたいか」。
がむしゃらに働く日々が、私に自分自身の進むべき道を見つけさせてくれたのです。

掴んだ「海技士」への道。熊本の養成学校での新たな挑戦

そして今、私はようやく新しいスタートラインに立っています。
派遣生活の合間を縫って模索し、掴み取ったのは「海技士」への道。
あと3日後には、九州・熊本にある海技士養成学校での4.5ヶ月間にわたる勉強会が始まります。
派遣アルバイトを辞めるのは、仲間との別れもあり少し寂しい気持ちもあります。
けれど、それ以上に今、胸にあるのは高揚感です。
苦しい時期に必死で掴んだこの「小さな夢」を、これからの努力でもっと大きなモノに変えていきたい。
これからは海の上で生きるプロフェッショナル、海技士に向けて、持てる力のすべてを尽くす。
そう心に決めています。

実家への感謝と別れ。49歳の「行ってきます」

明日は、どん底の時期に支えてくれた実家での暮らしとも、しばらくお別れです。
温かい食事と屋根があることの有り難さを、これほど噛み締めた数ヶ月はありませんでした。

思えば、いろんな失敗を重ね、がむしゃらに行動し続けたからこそ、今の自分に辿り着きました。人生は何があるか分からない。

だからこそ、時に残酷で、時にこれほどまでに面白いのかもしれません。

49歳からの再出発。

熊本の空の下、新しい自分に出会うための旅が始まります。

【結びに代えて】

ここまで読んでくださったあなたに、心から感謝いたします。
これは「完璧な誰か」の物語ではなく、試行錯誤を繰り返す一人の人間の、現在進行形の記録です。
第1話から順に読み進めていただくことで、単なるエピソード以上の「物語としての重み」を感じていただけるかもしれません。
あなたの「スキ」や「フォロー」が、暗い夜道を照らす灯火のように、この連載を続ける勇気をくれます。
その温かな反応のひとつひとつが、私がこの連載を書き続けていくための、何よりの原動力になります。

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