【留学・出発前編③】We only live once.
40歳を過ぎたあたりからだろうか。
折に触れ「人生は一度しかない」と、ふと考えるのだ。
いつか私は死ぬし、親は私よりもっと早く死ぬのだ。
「死」について考える。
途方もない重たいものではない、当たり前のことなんだ、と。
しかし、その当たり前が前提にあったとしても両親が死ねば私は絶望するに決まっている。なぜ優しくできないのだろう、悔いるに決まっている。
20代の頃、村上春樹の「ノルウェーの森」を読んだ。数日間は心がズシーンと沈んだものだ。
生きることは死へ向かうこと。生と死は対極ではなく、ただ一部として存在しているに過ぎない、と。
死生観について初めて考えたし、その通りだよねと理解と共に心のズシーンを受け止めた。
前職の発達支援教室を退職すると決めた際、まず上司へ電話で伝えた。
職員が皆退勤した後、教室にひとり残り電話をかけた。
概ね伝え終えてから電話を切るまで40分。
教室開所から今日までの苦労話や指導員・職員として果たした役割や思い出話など、そのように有難いかな上司は「だからこれからも一緒に働いていこうよ」と必死に引き留めてくれた。
「私の人生はこれ1回しかないんです。」
しかし最後に私はこう伝え、上司も「これ以上は何も言うことができない、応援することしかできない」と言ってくれた。
入社するときは「お願いします!」と、それは力強く
退職するときは「辞めさせてください!」と、もっともっと力強い。
本当にエネルギーがいる、仕事を辞めるということは。
退職が決まってからは毎日があっという間だった。
児童発達支援教室、個別療育の指導員、あやこ先生の4年6カ月。
歌って踊って、文字や数字や概念や認知、コミュニケーション、生きていくために必要なことを、「楽しい!もっと知りたい!」を引き出せるよう切磋琢磨・孤軍奮闘してきた。
初めこそコロナ禍に保育士資格を持っていたというだけで未経験から始めたこの仕事。一朝一夕で技術を身につけることなどできない。
一人ひとりの支援目標を達成するため、子どもたちが今よりも生きやすく、今よりも選択肢を増やしてあげられるような、そんな支援を私は先生としてどれだけ果たすことができたかは分からない。
目に見えない、数字で表れない、約束もできない。
ただ少なくとも、自分がいた日々の中で何も成長しなかった子などひとりもいない。できることが増え、たくさん成長し、そして卒業していった子どもたち。その姿を一番そばで見ることができた。
私は皆にとってちゃんと先生をやれていましたか。
少しくらい誰かの役に立てましたか。
君たちの可能性は無限大
私も自分の知らない自分を見てみたくなった。
だから自分に期待することにした。
5月中旬に最終出社を終え、6月末まで有給全消化したのち退職。
7月に入りようやく文法本や単語帳をめくりはじめた。何から勉強を始めればいいのやら、時間はたくさんあるのにねぇ。
齢四十二、未だ可能性は無限大、That's why 今を生きようじゃないか。
留学出発まであと2か月。
OK、まだ死にはしない。
ではまたsee you around
