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可能性という宝物


木枯らしの街
枯れ葉がかさこそと音を立てて
路地裏に消えていく

師走は
「よいお年を」
という言葉とともに
現実の自分に向き合わせる。


通りには人はまばらで
誰もが
家路を急いでいるように思えた。
こんな日は
蝸牛だって走っているのかもしれない。

焦っている。

なんだか
置いてきぼりになるようで。
自分だけ帰る場所がないようで。


何者かになりたいと
今年を突っ走ってきたけれど
振り返ると
自分に何が残っているのだろう。

自分の未熟さや不完全さを
思い知った日の
風は
どこまでも冷たくて
思わず
コートの襟を
きゅっと合わせた。


ある老人の言葉を思い出す

それは
名もない老人だった。
田舎で田畑を耕す老人だった。

余白のない人生は面白くないよ。
出来上がった完璧な人生はあり得ない。余白という未知の部分をもっているからいいんだ。


「確かに」と頷きながら
余白という言葉に想いを馳せる。

それは
時には危うく見える。
それは
時には失敗に見える。
それは
時には不必要な部分に見える。

しかし
それがこの先どうなっていくかは誰にもわからない。

万事塞翁が馬だ

危うさは
この上ない魅力に
変わるかもしれない。

失敗は
大成功の
ステップだったのかもしれない。

不必要な部分は
失うと
人生が成り立たないほど
大切なパーツなのかもしれない。

それぞれに
見える部分があるように
誰にでも
見えない部分がある。
まるで三日月のように
これから
変貌を遂げる
ステップの部分だ。

完璧に見えている人にも
足りない部分や
見えない部分がある。

見えている部分の形が
それぞれ違っているように
余白の形も
それぞれ違っている。


絵を描くとしよう。
森の絵だ。

多くの人は
木々を何本も描くだろう。

その表し方がそれぞれ違うように
空間の取り方も違う。

周りの人の絵を見てごらん。

そこにはさまざまな空間が存在する。
空間を描くことは
もしかしたら
木々を描くことより
難しいことかもしれない。
それは
想像力を必要とするから。

だいいち
空間のない森の絵なんて
息が詰まるよね?

完全な球体は
現代の技術では
作ることができない。

だから
安心していいんだ。

私は不完全な球体だ。
私には余白がいっぱいだ。
つまり
私は可能性と面白味だらけというわけだ。

可能性という宝物を手に
まもなく
今年を終えることができることに感謝しよう。

そして
笑顔で挨拶しよう。

よいお年を
という言葉とともに。


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