モネ「睡蓮」のために建てられた地中美術館(直島)。自然光のうつろいとともに作品鑑賞する幸せ
■『直島誕生』
「印象派を代表する画家、クロード・モネが手掛けた最晩年の「睡蓮」シリーズ5点を自然光のみでご鑑賞いただきます。部屋のサイズ、デザイン、素材はモネの絵画と空間を一体にするために選定されています。」
こんな贅沢な美術館が、瀬戸内海の島、直島にある。安藤忠雄設計の建物に、モネの部屋、ウォルター・デ・マリアの荘厳な空間、ジェームズ・タレルの3作品、が展示されている。

地中美術館設立までの経緯は、1991年~15年間、ベネッセで直島プロジェクトを担当した、「仕掛け人」である秋元雄史氏の著作『直島誕生』に詳しい。
モネの『睡蓮』を購入することになり、オーナーは作品を直島に置きたい意向を示す。現代アートの島、しかもコンセプチュアルでなく地域密着型に方向性を決めたばかりの直島に、いきなり印象派の巨匠、モネ? どういうつながりで置くべきか? 『直島誕生』には、その経緯と著者の奮闘についても詳細に記されている。
ヒントは勿論、「光」、そして、米国での評価(実際の風景を描いているので厳密には「抽象に見えるような絵」だが、晩年のモネの作品は、目を患ったこともあって、その表現が抽象画を先取りした手法ととして主に米国で再評価されたという。実際、晩年の作品は、鑑賞者の想像力を借りて、より奥行きを増しているように、わたしでさえ感じられる)、さらには、アメリカ経由で輸入された日本の近現代アート史をふまえているという。
その文脈ゆえに、米国現代アーティストで光を表現する、デ・マリアとタレルの作品とともに、鑑賞できる仕掛けとなっている。

■「睡蓮」を自然光の光の変遷とともに鑑賞する幸せ
「地中美術館」の「モネの部屋」には、靴を脱いで入る。白い細かなタイルが敷き詰められた空間に入ると、温水プールや温室に入ったときのような、軽い湿気を感じる。
まず、2枚組の「睡蓮の池」(1915-1926)が飛び込んでくる。縦2m×横はあわせて6m。この縦横の比率は、じつはバランスがあまりよいとはいえず、空間構築において非常に苦労があったと『直島誕生』にあった。
長く長く、眺めていると、屏風絵にも見えてくるふしぎな絵だ。太い筆致で横に引いた線が、睡蓮の葉に本当に見える。さきにも書いたとおり、抽象のように描くことで、鑑賞者のイマジネーションが増幅される。
この大睡蓮の左右の壁には「睡蓮―草の茂み」「睡蓮」(1914-17)が対に展示されている。大睡蓮の反対側の壁には、「睡蓮の池」(1917-19)、「睡蓮―柳の反映」(1916-19)。個人的には、モネ晩年の「睡蓮」が好きなので、この空間は至福だ。
いろいろな時間に行ってみてわかったことは、採光が天窓からの自然光ゆえに、時間とともに、絵が表情を変えることだ。まさに、睡蓮の池を実際に眺めているときのように。そしてじっと30分くらい佇んでいると、光は時間とともに移ろい、「同じ光は二度と差さない」と気づくこととなる。

■自然光で印象派を鑑賞できる機会はあまりない
以前にも書いたように、特に『●●美術館展』といった展覧会の場合、絵は、さも貴重品のように(実際、非常に貴重なわけだけど)、薄暗い部屋の中に、独自のライティングで展示されることが多い。
収蔵先から借りてきた貴重なアートなので、なにかあっては大変、という諸藩の事情はもちろん想像できるが、アトリエで描かれた絵ならともかく、光の変遷を描いた印象派画家の絵が、暗い空間でオレンジ色のライティングで展示されているのには、がっかりしてしまう。
印象画家たちは移りゆく自然の光を、自分の目と感覚だけでとらえようとし、だから同じアングルでも色彩の異なる「連作」があったりもする。なるべく自然な光に近づけるようなライティングを工夫してくれている美術館はあるけれど、「自然光そのもの」で鑑賞できる機会は本当に稀なのではないだろうか。
■だから、年パスでしばらく通ってみる
諸々の事情が許すことになり、旅が再開でき、自由に場所を選べる、そんな状態になって、それならば直島で、ベストな環境で展示されたモネの絵をゆっくり鑑賞してみたい、と思うようになった。
たくさんの人々が作品を愛し、その作品が最も「その作品らしく」鑑賞できるように、専門家たちが心を尽くして創り上げた空間。そんな場所に「通う」ことができるなんて、とてつもなく幸せだ。だから、来られるときにはここを訪れ、たくさんのものを受け取らせてもらおうと思う。

