「没入」という体験 -[マシン・ラブ:ビデオゲーム,AIと現代アート] 01
「マシン・ラブ:ビデオゲーム、AIと現代アート」@森美術館(六本木ヒルズ)。6月8日まで開催。

オープン日含め、すでに数回鑑賞した。

展覧会名の「マシン・ラブ」について
タイトルにある「マシン」は産業革命以降の重工業的な機械ではなく、コンピューターやハードウェアの総称としての「マシン」を意味します。
20世紀初頭には機械のスピード感やダイナミズムが象徴する新たな時代を「マシン・エイジ」と呼び、多様な芸術分野で支持されましたが、本展では21世紀に発展したコンピューターやインターネットに深く関わる新しい「マシン」時代のアートに注目します。
「ラブ」は、愛情、妬み、恐れ、高揚感など、ゲームやマシンに向けられる熱狂的な感情を連想させます。さらには、AIの発達した未来には、ロボットやアンドロイド、サイボーグなどが感情や意識を持つ主体となり得るのか、という哲学的な問いでもあります。
前回のブルジョワ展は、人によっては、観るのにハードな面があった(それが魅力でもあり、何度も鑑賞に訪れた)。

今回は全く趣を変え、年齢や国籍、性別を問わず、皆に開かれている展覧会という印象だ。実際、さまざまな人が鑑賞を愉しんでいた。
展覧会構成をもとに、印象に残った作品を2回に分けて紹介していきたい。


《ヒューマン・ワン》
ビープルによる本展の第一作。

作家が生きているかぎり公開し続けられる本作の中で、作中の「旅人」はさまざまなものを背景にひたすら歩きつづける。特に物語ははじまらず、軽快な音楽と効果音とともに、延々と歩き続けるだけ。
鑑賞者は写真撮影をしたり動画を撮ったりして、満足するとその場を立ち去る。このようすは期待に沿っているというか、ああ、やっぱりこういう展覧会、という嬉しさがあった。


展覧会はデジタル空間、メタバースで生まれた最初の人間《ヒューマン・ワン》(2021年)で始まります。ビープルによる初の立体作品である本作は、直方体の空間にいる人物が果てしなく世界を歩き続け、デジタル作品でありながら立体的な存在感を生んでいます。

《アウトレット》
佐藤瞭太郎作品は、絵と映像の二本立てで構成。




映像作品では、


メタバース空間?のなかの人?やものたちが、デジタルな存在であることを明らかにしたうえで、どんどん生産されて消滅していくようすが描かれる。

自分の身体までもが巻き込まれていくかのような……これは没入感というのだろうか?



世界そのものが消滅するような、ぐらぐらする感じ。
佐藤瞭太郎は、ゲーム制作に使われる兵士、少女、動物など無名のキャラクター・データ「アセット」を映像作品に大量に用い、どこか不穏で不条理な世界を描き出します。
代替可能な生命として使われるアセットは、戦争や自然災害などで失われている現実世界の命を連想させ、その意味を改めて考えさせます。
《エル・トゥルコ/リビングシアター》
海外からの鑑賞者がおおいに盛り上がっていたのが、この作品。
任意のキャラクターを選び、質問をすることでインタラクティブな対話が繰り広げられていくのだが……。盛り上がっていたのは、かなりセンシティブな(政治的な)内容の言葉の応報が繰り返されていたからだ。

使い手によって内容が全く異なる、というのも、たしかにアートだなと感じた。
ディムートは、AI言語モデルに早くから関心を持ち、機械と人間の関係性を問い掛けてきました。
出品作のひとつ《エル・トゥルコ/リビングシアター》のタイトルは、18世紀のハンガリーの発明家ヴォルフガング・フォン・ケンペレンによる自動チェスマシンが、実際には内部で人間が操作していたという逸話に由来したもので、2名のAIキャラクターあるいはAIと観客による哲学的な対話の場が設けられます。
《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》
入口には、このイラストパネル。

アニメ作品なのかな?と思って展示室に入室すると、

フルCGの映像作品が流れていた。舞台はソウル。


ストーリーも明確で、まるで映画のように鑑賞できる。
キム・アヨンの映像作品《デリバリー・ダンサーズ・スフィア》が描き出すのは、コロナ禍で拡がった配達サービスの移動の軌道です。
それは最短距離、最短時間を競いながら、ソウルという都市空間をバイクで通りぬけるキャラクターのラブストーリーでもあります。
外に出てみて改めて、この作品の全容を知ることになる。





《独生独死̶自我》
本展では上質な映像作品が多く、こちらは最も大きなスクリーンで上映されていた作品のひとつ。

自身も仏教の実践者であるルー・ヤンは、新しいテクノロジーや大衆文化をとおして、人間の身体と意識に関する叡知を浮き彫りにします。
自身のアバターDOKU(ドク)が登場する映像作品では、スピリチュアルな空間を旅しながら、身体と精神の関係性やアイデンティティなどを問います。
輪廻転生。ひとことで言うとおそらくそういうことなのだろうけれど、映像が圧倒的に美しい。
そして、3作品が連続で、繰り返し上映される。それそのものも、輪廻のようだ。


シリアスなテーマなのだけれど、時折ユーモアも感じられる。
《シリコン・セレナーデ》
多くの映像作品で気分が高揚したあと、センチメンタルな気分になることができるのが本作。

シュウ・ジャウェイはテクノロジーの本質を金属や鉱物など地質学的な観点から捉え、無形のデータやクラウドではなく、物質としてのテクノロジーを起点に人類史をはるかに越えた時間軸へ想像を広げます。
新作映像ではウェハーと呼ばれる半導体の材料に使われるシリコンに着目します。
AI時代に欠かせないのは半導体ウェハー用のシリコンで、その原料の大部分は砂浜から採取……そんな連想から、作品は「半導体」というキーワードでひとつになる。
例えば、画面のなかのスクリーンに映しだされるAI専用チップ研究の画像、印象的なオレンジ色の照明は半導体工場のクリーンルームで使われているもの……。


実はスクリーン正面のブイがポイントで、ここに備え付けられたVRゴーグルの動きが、ゆらゆらと揺れる画面の揺れと連動している。

しかしそんな作品意図を超えて、ただ揺らめく海面のCGに、なぜか癒されていたりもするのだ。
体験し、没入し、時間は飛んでいく
今回は1つのテーマをもとに、さまざまな作家の作品をキュレーションしたものなので、好きずきはあると思う。また、AIをテーマとした作品で多かった気がするディストピア的な世界観を「ストレートに」描いたものは(さすがに出尽くしたのか)なかったと感じる。
テクノロジー、AIがない世界はもはや考えられない。それを体験し、没入して、時間はひたすら流れ、そのあと思考の時間がやってくる、そんな印象を受けた。

展示作品は、まだまだある。続きは次回に。

