森美術館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:⑦ [理科]
「森美術館開館20周年記念展 ワールド・クラスルーム:現代アートの国語・算数・理科・社会」。本日は、【理科】を。

理科(Science)と書いてあるのに、まずふしぎな感じを受けた。言葉のイメージからすると、展示作には理科的なものと、サイエンス的なものがあるように思えた。
ペーター・フィッシュリ、ダヴィッド・ヴァイス
わたしのなかでの「理科」のイメージはこの作品だ。

1987年
ビデオ、サウンド 30分



広い、工場のような場所。黒いゴミ袋やタイヤといった、生活におなじみのものたちが並び、それらは物理や化学の法則に従って、ぶつかり、発火し、飛び、破壊され、気化していく。まだに「事の次第」。



次にだいたい何が起きるか予測でき、その通りになっていく。30分という長めの動画でありながら、周囲にいた家族連れの子どもたちも、熱心に観ていた。

瀬戸桃子
わたしのなかで、理科というよりはサイエンス、を感じたのが本作。

2014年
ビデオ、サウンド 11分40秒(ループ)
描かれるシーンはすべて、現実をはるかに超えて美しい。まず、氷の中に閉じ込められていた蜂をはじめとした昆虫たちが、強い太陽光の下で溶けた氷から生命を吹き返す。
描かれる世界は、昆虫ありきで成り立っているようだ。


ただ、やがて大地の水は涸れ、土は乾き、ミツバチの大量死を思わせるシーンが描かれる。
そもそも、これは蜂の物語なのか? というはじまりから、環境問題が頭をよぎっているわけだけど、象徴的な「大量死」が示されたことで、やはりメッセージが示されているのか、と思えてくる。
ただ、映像はループされ、はじまりは「再生」だというところに、わたしは観る者は作家によって置き去りにされていない、という感じを受ける。
再生→反映→滅亡→再生・・・という永劫回帰が示されていると考えるなら、滅びた者たちが再び蘇り・・・というそれそのものが、作家の世界観なのだろうか。

ソピアップ・ピッチ

2015年
竹、ラタン、金属線、黄麻布、プラスチック、合 成樹脂 131×250×99 cm
こうしたラタンや竹でできたものを目の前にすると、つい「何に使うのだろう」という発想になってしまう。タイトルを見て「種なんだ」となっても「で、何の種?」と、つい意味を求めがちになる。



それなりの時間をかけた、優れた手仕事の作家による作品であり、そこにかけた時間(+植物が生まれて育ち、素材となるまでの時間)の長さに思いを馳せてみれば、「大きな種」という作品タイトルの意味合いも、じんわりと伝わってくるような気がしてくる。
梅津庸一
卓上に広がる、街・・・いや、人の気配を感じないふしぎな世界。





説明を読むと、これだけの数の作品が集まっていながら調和を感じないところや、どこか荒涼としたものを感じたことにも合点がいく。さきほどの「大きな種」と同じく、何に使うのか、という問いを超えて、オブジェはオブジェとして独自の存在感を放っている。
宮永愛子

2023年
ナフタリン、ミクストメディア サイズ可変
ナフタリンで造られた靴。知っただけで、緊張感が走る。脆い、消えてなくなってしまう素材で作られた靴だなんて、感じるところが多すぎる。




ただ、わたしに理科(サイエンス)の知識が足りなかっただけだ。ナフタリンは消えて目には見えなくなるけれど、消滅するわけがなく、再結晶する。すがたは変わっても、ボックスの中に存在はしているのだ。
田島美加
2枚の抽象画風の画面に、グラデーションが浮かんでは消える。



上の解説から、畜光性の顔料が使われていたことを知る。光、は、印象派の昔から画家たちのテーマだったけれど、顔料そのものに光をため込んでその発光を愉しむというのは、とても興味深い。そして、それを知らなくても、作品の美しさは十分にたのしめる。
サム・フォールズ
最後に、絵画を2作。

2021年
顔料、キャンバス 446×869 cm


ロデル・タパヤ





