治療薬|片頭痛文芸部|片想い文芸部
また始まった。 こめかみの奥で、小さな槌が血管を叩いている。やがてそれは太鼓になり、ハンマーになり、私の頭蓋骨を内側から破壊しようとする。
二十年間、この痛みと付き合ってきた。市販薬は効かない。処方薬も一時的な緩和程度。
「ストレスですね」「生活習慣を見直してください」医師たちは決まってそう言う。 幼いころは、頭痛というものが想像できなかった。気の毒なお年寄りがかかる病気のひとつだと思っていた。
最初に兆しに気づいたのは、失恋を自覚したときだった。 胸の奥とともに、こめかみに刺すような痛みを感じた。 大学受験に失敗したときもそうだった。 医師の言うように、ストレスなのかもしれない。
ネットで見つけた片頭痛患者のコミュニティで、「ミラクル薬」の噂を知ったのは三ヶ月前だった。 予想以上に多くの書き込みの中に、「一錠で完全に消える」「まるで別人になったみたい」「人生が変わった」などの言葉が並んでいた。
胡散臭いと思った。でも、藁にもすがりたかった。
田町の雑居ビルにある「頭痛専門相談室」。看板もない、完全予約制の小さなクリニック。白髪の男性医師が一人で運営していた。 「治験薬です。まだ未承認ですが、効果は明らかです」 医師は淡々と説明した。
「ただし、依存性があります。一度服用を始めたら、定期的に来院していただく必要があります」 その時はそれも仕方ないと思った。痛みから解放されるなら、何だって受け入れるつもりだった。 恐る恐る最初の一錠を飲んだ瞬間、世界が変わった。
痛みが嘘のように消えただけでなく、視界が明るくなり、音が鮮明に聞こえ、匂いさえも豊かに感じられた。二十年ぶりに、本当の意味で「生きている」実感があった。
薬の効果は約一週間続く。その間の私は別人だった。仕事は順調に進み、人間関係も良好になり、毎日が輝いて見えた。 痛み止めにこれほどの効果があるとは思わなかった。 けれど6日目から、目の前にもやがかかったようになりはじめ、7日目の終わりには以前の私に戻っていた。 正確に言うと、以前とは少し違った。痛みとは関係ないところで、鋭敏になった感覚の一部が残っていた。
街を歩いていると、すれ違う人たちの表情が無表情に見える。まるでロボットのように、同じリズムで歩いている。電車の中で、乗客全員が同じようにスマホを覗き込んでいる。
「薬が切れると、幻覚が見えることがあります」 医師はそう説明した。 「離脱症状の一種です。気にしないでください」
医師の言葉に自分を納得させようとしたが、それはできなかった。 けれど、薬を飲むと片頭痛とともに不安感は薄らいだ。
二回目の服用から一週間が過ぎようとしたとき、私はクリニックに向かった。 街を歩く人たちの表情が無表情に見える。効果が薄れてきているのだと思った。
クリニックのあるビルの入り口で、女性と出会った。 初回の診察で待合室に座っていた女性だった。
道行く人たちとは違って、彼女の顔には明らかな不安が満ちていた。
「あなたは気づいているの?見えているの?」 「薬は痛みを取るだけじゃない」 女性は続けた。 「私たちが見てはいけないものを、見えなくしてくれる。だから私はここに来てしまう。」
「時間通りですね」階段を下りてきた医師が言う。 「幻覚が見えているようですね。緊急投与が必要です」 「大丈夫です。すぐに楽になります。見たくないものは、見えなくなります」 その言葉に女性の表情が和らいだ。
私はその場から逃げ出した。 片頭痛の痛みは増しているが、それが自分の正気を保っているような気がした。
片頭痛と、無表情な街の姿に苦しむ私に、3日後宅配便が届いた。 箱を開けると、「治験モニターの方へ」という手紙と、「ミラクル薬-R」が入っていた。
片想い文芸部のスピンオフ企画で、初のホラーに挑戦してみました。
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