見出し画像

純粋すぎる後輩|恋人になれない

「先輩のことが好きです。付き合ってください」

桜が散りかけた夕方の校舎裏で、彼はそう言った。
彼の入学から一年、私が部活の指導をしてきた後輩だった。

彼はいつも私の後ろをついて回っていた。部活が終わると、私が帰るまで片付けを手伝ってくれる。
「えらいね」と言うと、嬉しそうに顔を紅潮させる。下校時には「お疲れ様でした」と深々と頭を下げる。

そんな彼が今、私を見つめている。頬は真っ赤で、握りしめた拳が震えている。

「ありがとう」
私はその後の言葉を継げなくなっていた。

彼の気持ちにはしばらく前から気づいていた。私が風邪で休んだ時、部活のスケジュール表を家まで届けてくれた。ホワイトデーには、照れくさそうにクッキーをくれた。
彼のまっすぐな瞳を見ていると、胸が苦しくなる。けれどそれは恋愛感情にはなりえない。小さな弟を守ろうとする保護本能のようなものだった。

彼を傷つけたくはなかったが中途半端な対応をすることはもっと残酷だと思った。

「ごめんね。私にはあなたを恋人として見ることができない」

「理由を教えてください」

本当の理由は言えなかった。あなたが純粋すぎるから、憧れと私への恋愛感情を混同してほしくないから、私にとってあなたは弟だからと。

「あなたはこれから素敵な人にたくさん出会うと思う。私はその中の一人でしかないのよ」
陳腐な言い訳だと私自身が思った。

「僕は先輩じゃなきゃ嫌なんです」
彼の声が裏返る。

「今は、そう思えるだけよ」

校舎の角を曲がるときに振り返ると、彼はまだそこに立っていた。桜の花びらが、彼を慰めるように肩に静かに舞い落ちていた。

翌日から、彼は私を避けるようになった。部活でも最小限の会話しかしない。
当然だ。これでよかったのだ。そう自分に言い聞かせながら、もしあの時彼の思いを別の形で受け止めていたら、と想像せずにはいられなかった。校舎裏の樹は、葉桜となっていった。

やがて夏休みに入るころ、彼は笑顔を取り戻していた。同学年の女の子と楽しそうに話している姿も見かけた。

彼にとって私は、あの日の桜のようなものだったのかもしれない。憧れをもって眺めていても、すぐに散り始める。
いつか桜を見たときに、彼は私を思い出すことがあるだろうか。初恋の相手として、あるいは冷たい先輩として。

どちらでも良いと思った。

私はきっと桜を見るたびに彼を思い出すだろう。
そして、私が早くに失くしてしまった純粋さを、いつまでも彼が持ち続けていてくれることを願うのだろう。

いいなと思ったら応援しよう!