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おてあげですね|アマノ文筆クラブ|名前のない物語

「おてあげですね」
修理屋の老人は、私の持ち込んだ時計を見てそう言った。

「直せないんですか?」
「いや、直せますよ。というか、動かすことはできる」
老人は笑った。

「どういう意味ですか?」
老人は時計を手に取って、光にかざした。

「午後三時二十分。この時計は、この時刻で止まることを選んだんです」
老人は静かに言った。

「時計が?」
「そう。時計が」

祖父の形見の懐中時計。三ヶ月前から止まったまま動かない。
私は祖父の最期を思い出した。病室で、祖父が息を引き取ったのは午後三時二十分だった。

老人は時計を机に置いた。
「時計というのは不思議なもので、持ち主の想いを宿すことがあるんです」

私は黙って聞いていた。
「特に長年使われた時計は、持ち主のリズムを記憶してる。朝起きる時間、仕事に出る時間、家に帰る時間」

老人は時計の裏蓋を開けて私に見せた。
「この時計、お爺さんが毎日ゼンマイを巻いてたでしょう」
私は頷いた。祖父は毎朝、必ずこの時計のゼンマイを巻いていた。

「最後の日も巻きましたか?」
私は考えた。あの日、祖父は朝、いつものように時計のゼンマイを巻いていた。そして午後、静かに眠るように逝った。
「巻いてました」
「そうでしょうね」

老人は片眼鏡越しに時計の内部を覗き込んだ。
「ゼンマイには、まだ少し力が残ってる。でも、針は動かない」
「なぜですか?」

老人は私を見た。
「この時計は、それ以上進むことを、拒否してるんです」

私は息を呑んだ。
「この針を動かすということは、時計のその想いを断ち切るということです」
老人は裏蓋を閉じた。

「私が直せば、この時計はまた動き出す。でも、それはもうお爺さんの時計じゃなくなります」
私は時計を見つめた。

「どうしますか?」
老人が聞いた。

私は答えられなかった。
時計は時を刻むためにある。止まった時計は、もう時計じゃない。
でも。

老人は私の言葉を辛抱強く待ってくれた。

「直さないでください」
しばらくしてから私は言った。

老人は頷いた。
「わかりました」
私は時計を受け取った。
「ありがとうございました」

店を出る。冬の午後。空が少しずつ暗くなり始めている。
ポケットの中の時計。針は午後三時二十分を指したまま。

祖父が最後に巻いたゼンマイ。
動くことを止めた時計。

このままで良い。
この時計は、時を刻むことをやめて、一つの時間を永遠に抱きしめている。

おてあげ。
それは、諦めではない。

時計が望んだこと。
私が選んだこと。





アマノ文筆クラブに参加させていただきます。

☺️「名前のない物語」は、当note独自のシリーズ名で、ちょっとファンタジー、でもひょっとしたら。というテイストの物語です。


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