言えばわかってくれるんだろうけど、別に言うほどでもない程度の生きづらさ
たぶん、言えばわかってくれる人はいる。
朝が極端に苦手なこと。雑談のあとにどっと疲れること。急な予定変更で頭の中が少し崩れること。人の機嫌が気になりすぎて、何もしていないのに消耗すること。音や光や空気のざわつきで集中が途切れること。頼まれると断りづらく、引き受けたあとで静かに後悔すること。
説明すれば、「そういう人もいるよね」と言ってくれる人はたぶんいる。
でも、別に言うほどでもない気もする。
ここが厄介だ。
命に関わるわけではない。劇的に困っているわけでもない。毎日泣くほどつらいわけでもない。仕事にも行けるし、会話もできるし、生活も一応回っている。
ただ、少しずつ生きづらい。
この“少しずつ”は、かなり扱いにくい。
大きな痛みなら休める。高熱なら寝込める。骨折なら誰でも気づく。
明確なトラブルなら相談もしやすい。
でも、名札のないしんどさは説明の順番から困る。
何がどう困るのか。どの程度なのか。甘えではないのか。
気にしすぎではないのか。みんな同じではないのか。
話す前から、反論役まで自分の中にいる。
たとえば職場で、雑談の輪にうまく入れない日がある。
別にいじめられているわけではない。誰かが意地悪なわけでもない。みんな普通に接してくれる。ただ、会話のテンポに乗れず、笑う場所が少しずれ、帰る頃には妙に疲れている。
これを誰かに言うとして、なんと言えばいいのだろう。
「みんな優しいんだけど、なんかしんどくて」
かなり伝えにくい。
電車でもそうだ。
混んでいるだけで疲れる日がある。隣の人の荷物が少し当たる。車内アナウンスが重なる。香水と柔軟剤とブレーキ音が一気に来る。到着する頃には、もう今日の気力の一部が削れている。
でも電車とは、そういうものでもある。
だから言いにくい。
「満員電車がつらくて」
それは多くの人もそうだろう。自分だけ特別にしんどいと主張するほどでもない。そう思って飲み込む。
こういうことが積み重なる。
一つひとつは小さい。相談するほどではない。助けを求めるほどでもない。
我慢できなくはない。
その結果、ずっと自分の中だけに残る。
別に言うほどでもない程度の生きづらさは、他人より先に自分が軽視してしまう。
このくらい普通。もっと大変な人もいる。自分が弱いだけかもしれない。
気にしなければ済む話だ。
そうやって片づけ続けると、しんどさは消えずに形だけ見えなくなる。
見えない疲れは、回復の機会も少ない。
最近ようやく思う。
困りごとには、大中小があっていい。
深刻でないと相談してはいけないわけではない。診断名がないと配慮を求められないわけでもない。人生が壊れてから初めて助けを求める必要もない。
「少し苦手なんだよね」
その一言で済むこともある。
朝一番は頭が回らない。急な変更が続くと疲れやすい。大人数の場は少し消耗する。一人の時間があると助かる。
その程度の共有で、だいぶ楽になる関係もある。
たぶん、言えばわかってくれる人はいる。
ただ、自分が“言うほどでもない”と決めつけてしまうと、そこへたどり着けない。
今日もしんどさは派手ではない。劇的でもない。外から見れば普通に過ごしている。
けれど、そういう小さな負荷の積み重ねで、人は静かに疲れていく。
言えばわかってくれるんだろうけど、別に言うほどでもない程度の生きづらさ。
人生には、そういう名前の長い荷物がある。
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