助けを求めることは、悪いことじゃない。
そう頭ではわかっていても、「やってしまった」と感じてしまう瞬間が、あるのではないでしょうか。
今日は、そんな気持ちを持ってきてくださった方のお話をさせてください。
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カウンセリングで、あゆみさん(仮名)という方にお会いしました。
30代の女性で、心療内科に定期的に通っていらっしゃる方です。
いつもは薬をもらうだけの、短い診察で済んでいたそうです。
でも、ある日の診察の日、気持ちがどうしても整わなかった。
先生の顔を見た瞬間、何かが溢れてしまったのだと、あゆみさんはおっしゃっていました。
最近いかに苦しかったか、つらかったか、言葉がとめどなく出てきてしまった、と。
すると先生が、静かだけど冷たい口調で吐き捨てるようにこうおっしゃったそうです。
「で、あなたは何が言いたいの?何をしてほしいの?薬を変えたいの?」
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その瞬間、あゆみさんの中で何かがぱちんと弾けました。
「あ、失敗した」
そう思って、「すみませんでした」と謝った。
「薬はそのままで大丈夫です、いつも通りで構いません」と答えた。
そして診察室を出て、帰り道、一人で泣いた。
その話を聞いたとき、私はしばらく何も言えませんでした。
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あゆみさんは、何も悪いことをしていません。
苦しかったから、話した。
それだけのことです。
でも、あゆみさんの心の中には、こんな声があったのではないでしょうか。
「長話は迷惑だってわかってた」
「もっとちゃんと整理してから話すべきだった」
「感情的になってしまった、みっともない」
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この話をある場所でそっと共有したとき、たくさんの方が声をあげてくださいました。
「あゆみさんは悪くない」
「謝る必要なんてない」
「怒っていいんですよ」
そして、似たような経験を持つ方々が、静かに手を挙げてくださいました。
「私も担当医に、そういう話は聞かないんで、と言われて、泣きながら即日転院しました。今は口下手でも患者の心を診ようとしてくださる先生で、転院して良かったと思っています」
「精神科で院長に怒鳴られてから、電車が苦手なのに電車で40分の病院に通っています。怒鳴られるよりはいいから」
読んでいて、胸が痛くなりました。
それと同時に、あゆみさんが一人じゃなかったことを、少し安心して感じました。
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孔子はこう言いました。
「過ちては則ち改むるに憚ること勿れ。」
過ちを犯したなら、ためらわずに改めればいい、と。
でも私がここで伝えたいのは、あゆみさんは過ちを犯していない、ということです。
苦しいときに苦しいと言葉が出てしまうのは、人間として当たり前のことです。
それを「失敗」と感じてしまうほど、あゆみさんはずっと、自分の気持ちを後回しにしてきたのではないでしょうか。
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精神科医が患者を客観的に診る必要があることは、確かです。
感情に寄り添うだけが医療ではない、という側面もわかります。
それでも、と思うのです。
言葉が出てきた瞬間の患者の心がどれほど繊細か。
やっと口を開いた、その勇気がどれほど大きいか。
精神疾患は、言語化そのものが難しい病気です。
整理されていない言葉が出てきたとき、それはむしろ、心がようやく動き始めたサインかもしれないのです。
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ルソーはこんな言葉を残しています。
「人間は本来、自分の苦しみを誰かに受け取ってもらいたいと願う存在だ。」
あゆみさんが先生の前で言葉が溢れたのは、そこに「受け取ってもらえるかもしれない」という、かすかな希望があったからではないでしょうか。
その希望を持てたこと自体、あゆみさんの心がまだ生きている証です。
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あゆみさんは、その後こうおっしゃっていました。
「先生のことが嫌いになったわけじゃないんです。ただ、泣きながら帰ったことを、誰にも言えなくて」
誰にも言えなかった。
その言葉が、胸に残りました。
苦しかった出来事を、また一人で抱えて帰った。
「それを今日、ここで話してくれたんですね」とお伝えすると、あゆみさんはしばらく黙っていました。
そして小さく、「そうですね」とおっしゃいました。
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もし今の診察環境が、心を開くよりも閉じさせるものになっているなら、環境を変えることも、一つの選択肢です。
転院は、逃げではありません。
自分の心を守るための、大切な判断です。
泣きながら帰った日があったとしても、その涙はちゃんと意味があります。
その涙は、まだ自分を諦めていない証だから。
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あゆみさんは今も、少しずつ前に進んでいらっしゃいます。
溢れてしまった自分を、以前ほど責めなくなってきた、とおっしゃっていました。
誰かに「あなたは悪くない」と受け取ってもらえた。
それだけで、人の心はこんなにも変わるのです。
あゆみさんの中の何かが、静かにアクティベートされ始めた瞬間だったと、私は感じています。
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うまく話せなくても、大丈夫です。
整理できていなくても、大丈夫です。
謝らなくていい場面で謝ってしまっても、大丈夫です。
苦しいときに苦しいと感じている、それだけで十分です。
——
泣きながら帰った日があったとしても。
あなたは、間違っていません。
