見出し画像

AIとの付き合い方。あなたは正しく扱えていますか?

チップで応援してくださると嬉しいです。
最近、こんなことを思います。
AIって、すごく便利だけど、なんか釈然としないな」と。

AIを否定したいわけではありません。
むしろ私自身、AIの可能性にワクワクしている一人です。
でもだからこそ、一度立ち止まって考えてみたくて。この記事は、その「釈然としない気持ち」を言語化してみた記録です。

そもそも、なぜ対立しているの?

AIクリエイターとクリエイター、なぜこんなに仲が悪いのでしょう。

実は、やっていることはよく似ています。
どちらも膨大な情報を繋ぎ合わせて、コンテンツを作り出しています。
どちらも試行錯誤を重ねています。では、本当の違いはどこにあるのか——そこを考えてみたいと思います。

AIクリエイターって、実は「三次産業」説

ちょっと大胆な話をします。

エンタメの世界を食品業界に例えると、こんなふうに整理できると思います。

・クリエイター
→ 畜産農家や食品加工業
(一次・二次産業)

・AIクリエイター
→ スーパーやレストラン
(三次産業)


牛を育てる人がいなければ、ステーキは食べられません。

同じように、クリエイターが作品を生み出さなければ、AIは何も生成できません。
「AIがクリエイターの仕事を奪う」とよく言われますが、

実はAIはクリエイターの上に乗っかって成立している——

そんな気がします。

「やり方」は知っていても、「なぜ」は知らない


ここで少しだけ難しい話を。

「ノウハウ(Know-how)」と
「ノウホワイ(Know-why)」
という言葉を聞いたことがありますか?

簡単に言うと、
前者は「やり方」
後者は「なぜそうするのか
という理由・原理原則」です。

クリエイターは
「なぜこの色なのか」「なぜこの言葉なのか」を深く問いながら作ります。

でもAIは、
その「なぜ」を問わなくても生成できてしまいます。これって、すごく不思議なことだと思いませんか?

著作権って、どうなっているの?


さて、少しシリアスな話になりますが、これが一番気になっているポイントです。

コンテンツには著作権があります。

クリエイターが色彩ひとつ、単語ひとつに神経を尖らせて生み出した作品には、ちゃんと権利があります

でもAIは、そのことを「知らないまま」たくさんの作品を学習して、新しいコンテンツを生成しています。

これが著作権の侵害にあたるかどうか、実はまだ法的に議論の途中です。グレーゾーンと言っていいでしょう。少なくとも、「グレーゾーンである」という自覚は持っておきたいところです。

量の暴力、って怖くないですか?


AIクリエイターはプロンプトさえ、うまくいけば、数分でコンテンツを生成できます。
一方でクリエイターは、脳に汗をかきながら何時間もかけて一作品を仕上げます。

「量の暴力」でAI生成物が市場を埋め尽くしたとき、イラストレーターや音楽家はどこへ行けばいいのでしょう。

悪貨は良貨を駆逐する——という言葉があります。
安くて手軽なものが市場を占領して、丁寧に作られたものが消えていく。
そんな未来、少し悲しくないですか?

AIクリエイターのみなさんへ、ひとつだけ聞かせてください


責めたいわけではありません。ただ、こんなふうに考えてみてほしいのです。

・自分が生成したコンテンツは、誰かの作品を学習して作られたものかもしれない——そう意識したことはありますか?

・文章AIでは引用元を提示できるものも出てきていますが、イラストや動画でも「どの作品を参考にしたか」が分かるようになったら、何かが変わると思いませんか?

技術的にはまだ難しい部分も多いですが、「引用元の透明性」はこれからのAI時代における大切な倫理課題だと感じています。

「使うか使わないか」ではなく、「どう使うか」——その問いを持ち続けることが、AIとの良い付き合い方ではないでしょうか。

クリエイターもAIクリエイターも、同じコンテンツという土壌の上で生きています。
その土壌を豊かに保つ責任は、作る側みんなにあるはずです。
この記事が、少し立ち止まって考えるきっかけになれば嬉しいです。

いいなと思ったら応援しよう!